わからないの
「わからないの」
1日に1回はこの言葉を聞く。場面はいろいろあれど、大方はネガティブな場面を想像するであろう。私はネガティブとポジティブが半々のイメージだ。
「”なんで泣いてるのか”わからないの」
これが昨日の夜の「わからないの」。家内の誰が言ったのか「わからないの」。
「”この問題が”わからないの」
これが一昨日だったかな。父ちゃんアホだから「わからないの」。ごめんね。
「”私たちに何故こんな素晴らしい子がいるのが”わからないの」
これが3日前。そんな感嘆しなくてもいいのに。わからないな・・・
確実に毎日、誰かが言っている。わからないのが、何故「わからないの」なのだ。「わからぬ」「どうして」などいろいろあるではないか。「わからない」そんな脳内会議が毎日毎日。
「どうしてお子さんがああなったのかわからないのですか」
「わからない、どうして、わからぬ、何故・・・」
今日の朝。手紙残し、眠る我が子に疑問をぶつけて、今日はお終いさようなら。