「質」という見えざるもの
※この文章は、日本仕事百貨のニュースレターに寄稿したコラムを加筆修正したものです。ニュースレター登録はこちらから。
リトルトーキョーの3階。今日はラテを飲みながら書いています。
平日のお昼オープンしているこのカフェのバリスタ、アキさんはかなりの腕前なので、コーヒー好きはぜひ一度来てみてください。オープン日はリトルトーキョーのInstagramで見ることができます。
さて、最近考えさせられているのが、文章の質について。質というのはなかなか言語化しづらく、これ、といったものであらわすのが難しいです。
たとえば「読みやすさ」、という視点で考えると、止まらずに最後までスラスラ読めるか、ということが質に関係しているけれど、その文章が「面白い」か、という視点が加わると、これまた話が変わってくる。
「読みやすさ」「面白さ」「知識を得ることができる」「リズムがいい」などなど。
「質」と一言でいっても、書く人が大切にしていることや、読者に何を感じてほしいか、文章が載るメディアがなにを大切にしているか。それに書く量によっても変わってきます。
さまざまな要因で文章の質の良さは決まってくる。
日本仕事百貨でいうと、読者をまず一番に考えます。だから、「読みやすさ」は大事。
その上で、求人メディアであるという特性から、「臨場感、没入感」、「募集している会社、仕事をわかりやすく説明できているか」も大事になってくる。
これらをうまく組み合わせて、独自の文体としてこの10数年、進化を遂げてきたのが日本仕事百貨の文章です。だからほかのメディアと書き口が異なるのはある意味当たり前のこと。
それに書く人も変わってゆくし、時代によって文体や言葉遣いも変わっている。そう考えると、文章の質、というのは一定ではなく、時代によって揺らぎながら評価が変わっていくもの、と言えるかもしれません。
だからこそ、一人の意見よりは、複数人の目でその文章を読む。これは読みやすいか、面白いか。伝えたいことを伝えられているか。
質が下がっている、いうのは簡単かもしれません。ただそこで終わらずに、なにがよくない状態になっているのか、それは一人の主観だけに寄っていないか、複数の人の意見はどうか。いろんな視点で見ることで、全体の質が向上していく。
日本仕事百貨の文章はこうして進化してきたと、ぼくは先輩から学んできました。これからもそのようにありたい。
そんなことを思いながら、今日もつらつらと文を綴っています。
(稲本 琢仙)