アイスコーヒーができる頃に〈コップ一杯の夢と適量のノンフィクション〉
確か秋の初め頃だったと思う。休日に散策していると、空き家だった場所にカフェができていた。立て看板にはどこにでもあるようなお馴染みのメニュー、内装は5名程度の座席。特段予定があるわけでもないので入ってみることにした。
誰もいない店内にドアベルが響き、ジャズが流れる。アイスコーヒーを注文したが、まだ試作段階でホットしかないとのこと。猫舌だが、一度入ってしまったのでホットを注文した。「すみません」と申し訳なさそうに謝られる。まだ慣れていないのかコーヒー豆を床に落とし、また謝られた。
「今日オープンしたばかりで、最初のお客様なんです。」
弁明するように言われた。なんということだ。何かしらの縁を感じた。話をしてみると案外気さくな人で、月2回程度の頻度で利用した。そして決まってホットコーヒーを注文した。熱いのが苦手で飲み終わるまでに時間がかかるが、その分長く話せるからだ。中身の無い話から人生相談、日頃の愚痴を言い合ったりした。
連絡先は交換しなかった。なんとなくそれは違う気がしたのだ。あくまで店員とお客さんの関係で、それ以上でも以下でもない。何が良いかというと、私に限らず退店する時は毎回出入り口まで見送っていた。そんな真摯な姿からか、お客も増えていった。
開店して1年程経ち、遠く離れた場所に移転すると知った。閉店する最後の日まで、多くの人で賑わっていた。当初と比べると対応も随分手慣れ、少しずつでも人は成長しているんだと感じた。
最後の注文はアイスコーヒーを頼んだ。
「ようやくアイスを注文してくれましたか。」
ニヤッとし、お互いに笑った。今までの習慣からか、時間をかけて少しずつ飲んだ。気がつけば店内は2人だけになっていた。
「最初と最後のお客さんでしたね。」
続けて店員さんが言う。
移転しても都合が合えば行こう。席を立ちドアを開けると他に誰もいない店内にドアベルが響き、今までと変わらずに見送られる。
「ありがとうございました。」
お互いにそう言い、私は立ち去った。冷たいコーヒーが身体に沁み渡った。