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いつか恐れず、公開できる日が来ますよーに
さっきまで、自分だけが読むnote記事を書いてました。「それって日記じゃん」。そう思った、そこのアナタ。ノンノン、ちょっと違うんだな。
公開を前提として文章をつづるから、内容の分かる言葉を選べる。支離滅裂で、最後の方はグチャグチャぐるぐるとペンで塗りつぶしちゃう、やっつけ感がない。理性を保てるからか、落ち着いていられるのです。
そもそも、何を書いてどんだけ興奮しとんねん。思いますよね。書いてたのは、退職理由です。
散々noteで色々書いてきたくせに、実は詳細を語ってない部分があります。今もなお、思い出しては怒り爆発し、「絶対に辞めたんねん」とわたしを駆り立てた出来事があったんですよ。
なんでそれを記事にしないのか。記事にしたが最後、読んだ方が「けっ。なんだその理由」、「わがままじゃん」、「なんか同意できない」て思うかも。そっぽ向かれる。とっても被害妄想しちゃえる。
あかん、想像するだけですごく怖い。語らなければ無いも同じ。そっと触れずにいよう。ぎゅっと蓋をしてました。
でも一年近く経っても、やっぱり怒れる出来事でして。書き散らすほどのエネルギーを秘めてます。「辞める決断は間違ってない!」て現在も激しく己へ同意です。
このジレンマが伝わるでしょうか。その出来事およびわたしの感じたことの詳細を記事にしたなら、共感は得られず、みんな離れちゃうと思ってる。自分を信じてるのか、自分を疑ってるのか、どっちなのさ。毎日葛藤してました。
頭の中で考えてたら、ドツボにハマるように視野がどんどん狭くなる。息をするのも苦しくなるくらい、真っ暗闇へ吸い込まれてく。でも不思議なもんで、こうして言葉にするだけで、呼吸がしやすく心が軽くなっていきます。
いつかどっかで、「全然同意してもらえないかもだけど。実は○○てことがあって、わたしは超くやしくて…」から始まる記事を公開できる勇気を持ちたいな。だってもし公開できたら、ちょっと自分が変われそうな気がするから。
なーんて。発破のおまじないを唱え、本日は終わろうと思います。
では また