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自分を幸せに導くべく、ちょっとずつ変化中

お休みだった今日。これ以上もなくリラックスしたその瞬間、パッと思い出したんです。「仕事にて判断した昨日のアレって、あの答えで良かったんだろか」。

なんで今になって言うよ。最早どうこう出来るわけじゃなし、あの時は迷わず決めたじゃないか。それをどうして休みのここで不安になるの。もうどうすんのさ。

自分へ罵倒のような苦情を並べ立て、散々なじりです。でも暴言を浴びせるほど、ますます怖くなる。もし万一、ガチで何かになってたらどうすんだ。血の気が引いてくほど恐ろしくなって。想像したくもない現実が、わたし不在の職場にてさも起こってそうな。リアル被害妄想の出来上がりです。

すんごい偏った発想ですよね。自分でもその歪さが分かるのに、どうにも止まらず、突っ走るように恐怖まみれ。楽しかった休日が途端に狼狽え出す。

わたしのよくあるパターンです。いざ翌日に出勤してみれば、「え?なんのこと?」くらいのどこ吹く風。誰の気にも留まってない事案でしかない。わたしの悩んだ時間はなんやねん。何もなくて良かった〜とホッとしもするけど、考え込んで損したと地団駄踏むやら。

多分にわたしの性格ゆえで起こってること。いい面に行けば「責任感が強い」「周りへ気遣うことができる」になるんだろうけど、その裏側では発作のように突然憂いごとを思い出し、心拍に悪くなるほどにあたふたしてる。

わたし自身が医療者で、薬剤師で、という面も多少はあるだろうけれど。たぶん関係なさげ。

本日はどうやって心を治めたか。もうとことん不安になってやりました。心の底から味わって。なんぼでも来い、受け止めたらあ。ええ、チワワがキャンキャン吠えるような虚勢を張って、感情をもろともに食らうこととしたのです。

気持ちが過ぎ去った後、事実に基づいて怯えてるのか自己検証です。Aさんが同じことで困ってたら、何て声をかける? そして、そこまで考えなきゃならないこと? そりゃ自分事だから、どうやっても主観からは抜けれないけれど。他者設定をすることで、多少はマシな見方ができました。

なんでここまで段階を踏んで、いろいろ試してるのか。もしかしたら憂う心は、完璧な仕事をするためには欠かせない、素敵な要素かもだけど。わたしがいつまで経っても、全く休まらない。ずーっと心配と恐怖に囚われてる。全然うれしくない過ごし方。自分の人生を幸せにできてない。むしろ不幸を選んだ生き方してる。そう思うのです。

起こってもないことが、さも現実化したように想定し、暴走するように妄想して、むっちゃ疲れ切る。何しとんねん、わたし。起こってから悩んでも、間に合うし。

自分を幸せに導くべく、ちょびっとずつ思考パターンを変えていきたいな。

では また

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