『JORKER』感想 (2019/10/4)【転載】

(インスタから転載)

JOKER (2019)
directed by Todd Phillips

 一人で2回観に行って友だちと1回観た。
 現代の「反逆者」を上手く描いた作品だと思う。

 DCのジョーカーというキャラ、印象が強いのは初めて観たジャック・ニコルソン版、好きなのは断然ヒース・レジャー版だけれど、これはコミックとは別枠の物語だと思っている。この作品の舞台は『バットマン』の世界である必要があったんだろうか?
 たぶん現実の話にしてしまうと色々面倒だと判断したのではないか。それにゴッサムシティが腐敗した都市だという認識はみんな持っているから説明を省けるし。

 Twitterで感想をエゴサ(誤用)してると「アーサーの気持ちが分かってつらい」「自分もこんな時ある」という共感コメントをちらほら見かける。私もそんな気持ちになったけど、Twitterは私も含め人間のゴミが多いので、インスタで #映画好きな人と繋がりたい も付けて検索すると「かわいそう」「怖い」「不快」など同情や嫌悪のコメントの方が多いような気がした。完全なる偏見だけど、たぶんそういう人の方が多くて、その方が望ましいんだろうと思う。

 私はアーサーに共感してしまったゴミ側の人間だけど、もちろんそこまで過酷な人生は送っていない。ただ何となく、その場の空気とかタイミングとか、自分の立ち位置が掴めなくて、うっすら周りから馬鹿にされているような気がしていて、どうあがいてもブルース・ウェイン(ヒーロー)になれない。
 こういう悪い意味で共感を抱いた人を私は「(同じ穴の)狢」と呼んでいるんだけど、アーサーも小人症の同僚ゲイリーをムジナだと思っている節がある。ゲイリーも他の同僚も、彼に対して特別意地悪でも親切でもない。ただアーサーには「自分よりまともなやつは漏れなく自分を蔑んでいる」みたいな感覚があるらしい。
 アーサーは自分よりまともそうなランドルを刺殺して、小人症の ”不憫な” ゲイリーには「君はいつも優しかった」と言う。自分の中の差別意識が露呈しただけ。
 差別って無意識でやってしまうから本人が一番気付いていないのかも。

 などと言いつつ、陰キャと陽キャの間には埋められない溝があると思ってしまうんだよなー陰キャなので。
 ハッシュタグで繋がりたい系の人間でも場違いなことをして恥をかいた経験はあるだろうから全く理解してないなんて言わないけど、こちとら自分がどんなポカをしたのかすら分からないのだ。周りには自分の知らないルールがあって、もしかすると教えてくれようとする人がいるかもしれないけど、その人は自分の分からない言葉を喋っている、何言ってるか分からないから親切そうなやつまで嫌いになる。
 知ったような口利くな何笑てんねん火炎瓶ぶつけんぞ。

 監督がリスペクトした『キングオブコント』の主人公は完全なサイコパスだったけど、アーサーはそういう種類のサイコパスではない。彼には「そうなってもしょうがない」と思ってしまいそうな背景がある。実際は別にしょうがなくなんてないが。「もっと大変な人だっている」というやつ。しかし「まさに苦しんでいるのは自分」という主観を、余裕のない人間が取り払えるのか。
 「アーサーの不幸はすべてありきたりである」という感想を見かけて、それは確かにそうで、あまりにも正しい、だがその正しさはアーサーや彼に共感した暴徒や観客には受け入れられないだろう。ありきたりな不幸の積み重ねは、箍を外させるには充分なのかも。決定打すらない。
 社会に馴染めない人間の行動は本人にのみ責任があるのか、社会にも責任があるのか。誰もが幸せな世界なんて不可能だから、足切りを受ける人間は必ず出てくる。彼らの不満は社会に向かう、確かにそれは社会が一因ではある、でも正当な主張と言えるのか…?社会に適応できないのは罪なのか…?そのように生まれてきたことは自分の選択ではない、が、「不出来さ」はどこまで言い訳として通用するのか…?
 解決策は分からない。

 このジョーカーは『バットマン』のジョーカーのようなカリスマはなく、暴徒の中の一人でしかない。この時代に悪のカリスマなんて存在するのかな。ネットで炎上しそうなことを呟けば、ろくに確かめもせずに大勢が騒ぎ出す。結局のところ、みんな暴れる理由が欲しいだけかもしれない。
 個人的に、一番好きなのは公衆トイレで踊る場面なのだが、この映画を要約するとあの場面になるのではないだろうか…。
 ありきたりな、人生が上手くいっていない人間による一人芝居。しかし公共の場で「演じる」ことにより祭り上げられる。SNSの炎上を具現化したよう。

 ホアキン・フェニックスは凄かった。というか痩せすぎててびっくりした。ジョーカーのスーツで全身が映った時に「代役!?」と思ってしまったくらい。『ビューティフル・デイ』の時はもっとタプタプしてたじゃん…ちょっと心配になった。

 最後の台詞 “You wouldn’t get it.” (あんたには理解できない)。
「面白いジョークを思いついた」「教えて」からのこの台詞なんだけど、色んな人の考察を読んでよく分からなくなった。もしかすると、アーサーは自分の苦しみや自分への不当な(と感じられる)扱いを理解されたいと思ってきたが共感を得られなかったから、もはや「理解されない」というところに快感を見出しているのかも。
 人間、自分に酔い始めたらいよいよ終わりだよ…せめて自分に対してだけはシラフでいないと…。
 自分に酔っている人間目線の物語は全く信用ならない。自分でも何が本当に起きたことか分からなくなる。アーサーとシングルマザーとの関係ははっきり妄想だったと本人も理解する描写があるが、ではこの映画のどこが現実だったのか、全て幻覚なのか…そもそも誰かに語られる現実とは語り手の解釈でしかない。
 出来事、経験に対する自分の解釈が、一瞬たりとも妄想でないと断言できる人はいるだろうか。主観からは逃れられない。みんな自分の幻想の中で、違う現実を生きている、のかもしれない。

(内容関係ないけど、パンフレットに歴代ジョーカーが載ってて、ジャレット・レトがかわいそうな人扱いされてて笑った。)

#film #cinema #movie #joker #映画 #ジョーカー  


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