『ニトラム』感想 (2022/3/30)【転載】
(インスタから転載)
“Nitram”
directed by Justin Kurzel
『ニトラム』
オーストラリアで起きた無差別銃乱射事件「ポートアーサー事件」の犯人を描いた作品。
「鏡の向こうにもう一人の自分がいるが、距離があって届かない。
そいつが周りと同じように振る舞うために、何をすれば良いのか分からない」
私は《ニトラム》に共感できる、と思う。
私は学校生活がいまいち上手くいかなかった、そういうもんだと思っていたから気にしていなかったけれど、歳を取って遠くなった距離でその頃を思い返すと、私はいつも何かを間違えていて、私にはそれが何か分からないから「直し」ようもなく、誰も私にそれを教えない、なぜなら私はまともな彼らとは違う、彼らの仲間ではないから、「おかしなやつ」はただの「おかしなやつ」でしかない。
自分のおかしさには気づいているが、自分をどうにもできなくて、「自分」と社会にいる自分との間に隔たりを感じる。
まともな人びとは「おかしなやつ」のフラストレーションが分からない、彼らは「おかしなやつ」の持つフラストレーションがない。でも《ニトラム》も言っている通り、みんな例外なくクソみたいな人生を送っている(ここの台詞うろ覚え)。フラストレーション自体は誰もが持っている。ただ互いの持つフラストレーションについて共感できるか、ということ。ヘレンと《ニトラム》は共感できる特性があったのだろう。
私は勉強はできたから、まあまあ民度の高い学校に行って、そこの人たちは私の「おかしさ」についてスマートな対応と「理解」を示したけれど、いったい彼らが何を「理解」したのか私には分からない、本当になにかが分かっていたのかもしれない、とにかく私には彼らのことは分からない。
大人になって色んな人に会って、共感できる人たちに会えたのは、社会に生きる上で多少救いになっているかもしれない。
《ニトラム》が車をジグザグ運転させたり花火をやることについて。
私は大学に入るくらいまで他人を植え込みに突き飛ばすのが好きだったのだけれど、ある時「クソ迷惑だな…?」と気づいてやめた。私のような人間はあまり他人に興味がない。他人への共感力に欠ける。
彼らの方も私を仲間とは思っていないからお互い様じゃないか?
あと壁に頭突きを食らわしたり色々していたが、フラストレーションへの対処法だったのかもしれない。
《ニトラム》はヘレンが死んだ後にひたすらノイズを聴いていたが、彼のフラストレーションに近い響きを持っていたのだろうか。
今でも私は社会にいる時にいつもイライラしている、私は今でも間違い続けていて、死ぬまでイライラし続けることを考えてうんざりしている。
社会に対してというより、社会にいる時の自分に対して怒りが消えない。社会はどうでもいい。
どうでもいいから、極限に追い詰められた時にその怒りが社会に向かないとは言い切れない。
自閉症スペクトラム障害について、何か突出した能力があるともてはやされることが多いが、大部分はどっちつかずで中途半端な「問題のある人物」でしかない。人びとが「問題」だと認識しているのは分かっている、誰よりもわれわれ自身が困っている。
われわれの「良い」ところを見つけようとするな、お前らにとって「都合の良い」ところを見つけようとするな、都合が良かろうが悪かろうが問題は間違いなく存在している。
つまり問題のある上で生きていくということ。折り合いをつけるということ。それこそ「種の浄化」をするのでもないのなら。
私は子どもの頃からフラストレーションについてたくさん書いて、言語化して、自分だけは自分の理解者であろうと努力している、そして自分が社会的に欠陥があり悪であったとしても絶対に自分の味方でいられるくらいバチクソに自己肯定感が高いが、自分と折り合いがつけられないとフラストレーションの矛先が社会に向くのかもしれない。社会というより、自分以外のなにか。
「おかしなやつ」もおかしいなりに正しいことをしようと努めるが、その行為もどこかズレている。
銃乱射は《ニトラム》にとってはなにか筋の通った行動だったんだろう。少なくともジュース飲んでフルーツミックス食ってからビデオを回す余裕があるくらいなんてことない行為だった。
まともな社会は彼を理解しない。現在も動機は分からないまま。ただ起きたことに対して「35回の終身刑に値する」という判決を下す。
別に私は彼を擁護しない、どんな動機だったとしてもそれ以下の判決にはならないと思う。
私は中途半端な人間なので、私よりおかしな人間に対して不快感を覚えることもあれば差別意識もある、持つべきでないと分かっていても。でもみんなに感情があることを忘れないようにする必要がある。
《ニトラム》は本名マーティンを逆から読んだもの。映画の中で彼は一度でも本名で呼ばれただろうか?聞き取りができなかったから分からないけれど、彼が何者であったにしろ、社会は彼を《ニトラム》としてしか認識しなかったのでは。
ポスターが良い。
ひび割れた家の壁。
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