『アイダよ、何処へ?』感想(2021/9/28)【転載】
(インスタから転載)
“Quo Vadis, Aida?”
directed by Jasmila Žbanić
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争の際に起きたスレブレニツァ虐殺を題材とした映画。
島国日本で曖昧な日本人をやっていると、民族意識や宗教抗争やナショナリズムを本当に理解するのは難しい。そういう意味で自分と異なる人々という存在を肌で感じづらい。
主人公のアイダはボスニア人、NATOの通訳として働いている。
橋渡しという立場は難しいものだが、特に身内の命が関わっていると相当な葛藤があると思う。
私は極度に理論的というか、身内を含めて他人に対する感情がほぼ無なので「うちの家族も一緒に逃がしてください」と頼んで「規則だから無理」と言われたら「ですよね」ってなってしまうと思うが、本当に必死で家族を救おうとしてる人を見ると「融通きかせろよ!」となる…私に愛は理解できないが、その人にとっては大事なことらしいというのは分かる…。
しかし職員の身内まで援助していたらキリがないし、線引きをしっかりしないと組織がどんどん崩れてしまうので、ある種の冷酷さは必要なのだろうな…冷酷ではあるが誤っているとは言えない。
最近も日本政府が日本大使館に勤めるアフガン人が家族と一緒に亡命することを認めず話題になったよね。いったいどこで命綱を断つのか。全員を救うことはできない…。
『アウシュヴィッツ・レポート』の時も書いたけど、NATOとかの介入はしないよりマシなのだろうか?グローバル社会って難しい。
決して中立ではなく、どちらの立場に立つかというとやはり利害関係も絡んでくるはず。
結局お互いの正義で殴り合うことになるよなあ…人間だもの…一人一人違う思想を持っているもの…。
例によって独文専修だったのでナチスの大量虐殺とどうしても比較してしまうが、あのどうしようもなく流れていく感じとか、人々が選別されて移送されていく感じとか、気味が悪いほど似ている…。
悪い意味でパワーis力って感じ…(パワー=武力&権力)。
セルビア軍は男たちを一箇所に集めて見えないところから銃殺する。ナチスでもなんでもそうだが、こういうやり方が何よりも卑劣だ…自分で直視できないことをするな。
(直視できる奴もいるだろうし徐々に摩耗していく人もいるだろうが…)
タイトル “Quo Vadis” 「あなたはどこへ行くのか」は聖書から取られている。いわゆる最後の晩餐の場面。
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シモン・ペトロがイエスに言った。
「主よ、どこへ行かれるのですか。」
イエスが答えられた。
「わたしの行く所に、あなたは今ついてくることはできないが、後でついて来ることになる。」
ペトロは言った。
「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」
イエスは答えられた。
「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」
(ヨハネによる福音書13章36節~38節)
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私は人間のことがよく分からないけど、たぶん社会について考えること(というか、何かについて考えること)が好きなので、何を観るか迷ったら社会派の映画を選ぼうと思った…観終わったあとも色々勉強できるし、真面目に作られているから外れない。
正直、この作品が『アナザーラウンド』に賞レースで負けたのが信じられない(そりゃマッツは最高ですが……)。
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