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最優先事項について考える

今私がしていることのお話をします。

最優先事項は義父と家族の生活を守ること。

「義父」と書くと「旦那さんは何をしているの?」と言われることもあるが、私は2人の妊娠出産産休育休を4年取り、さらに復帰後も時短のパートだったためおそらく夫の生涯賃金を超えることはなかったと思う。
義父の生活を支えつつ、自分たちと子どもの将来も考える必要があった。
私が義父の介助をする義務はないが、かといって夫が仕事も介助もするのも無茶なのでは、、?
夫がそれをすると子どもと関わる時間が圧倒的に減るのでは?
親として子どもが犠牲になるのはどうなのか?
義母は離婚し、義弟は疎遠な状態。
(波乱だらけのこの話もどこかでお話したいです。)

時間も労力も何もかもがとにかく足りなず、自分の意見やわがままを通す余裕はなかった。

そこで夫婦で話し合ってお互い得意なことで超効率化を図る役割分担をすることになった。

・夫は、とにかくお金を稼ぐこと。
 子どもの将来の選択肢を増やすために働く。
 何があっても私を守ること。
・私は、家族と義父の健康を守ること。
 生活に必要な最低限の家事と介助と育児をする。
・家計は夫婦合算でお小遣いは夫婦同額。
 夫婦は常に対等。
 文句があるなら自分がする、意見があるなら話し合いで解決する、話し合いからは逃げない。
などの条件を決めた。

ここで大切なのが、私は「家」を守ることではなく「健康」を守ることである。
こうした夫婦の役割分担の話になると「男は外、女は中」といったきのこたけのこ論争のような不毛な議論が始まるが、そんな話ではない。
私が守るのはあくまで「健康」であるため、夫は育児に当たり前に参加するし必要最低限でない家事にも参加する。
介助家事育児に休日がないように、夫も仕事が休みの日でも休日はない。
だから夫婦で平等なのである。
平等だからこそお小遣いも一緒で実の親でなくとも「仕事」と思って介助できる。

もちろんやりたかった仕事ではないが、仕方ない。
なにより私は幼いころから通学時間がとにかく短く、高校にいたっては担任や周囲の人から「絶対に無理だ!」と言われた進学校に、家から3分で行けるからと決めるくらいに通う時間が大嫌いだ。
自宅で義父の介助する仕事は通勤時間は0。
ある意味私にとっては超快適な職場環境なのである。

また私は義父のことをATMだと思って介助に臨んでいる。
こんなことをいうと
「なんてひどいことをいう人なんだ!かわいそう!」
と思う人はいるだろう。

私がここまで割り切った思考になったのは、自分の心を最低限守るためである。
生涯のパートナーであったはずの義母は去り、夫の弟さんは疎遠になった。
義祖父母も後期高齢者でいつ命がなくなってもおかしくない。
義父にとって我が家はある意味最後の砦なのである。
最後の砦で1番義父と関わる私がつぶれてしまったらそれこそ本当に終わりである。
メリットなんて何もない。
そしていつまで義父の介助が続くか終わりの見えない生活。
私が私自身を守ることは、最終的には家族と義父の最低限度の生活を守ることに直結しているのである。

ここでひとこと言いたいのは、義父のことを「かわいそう」
冷たい私の対応を「ひどい人」なんていう人、
そんな人に限って結局何もしない人ということは私はよく知っている。
好きなだけ言えばいい。
じゃああなたが看てあげたらいいのに、
といつも思う。

優しさは人の数だけ優しさがあると思う。
義父の今の生活を命を削って守ることが、私の優しさなのである。

なんの話、、?

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