頭上の抱き枕
■よーし、書いていこう。ただいま夜の0時19分。回ってしまっています。酒も回ってしまっています。今週は、もしかしたら毎日飲んでるんじゃないかな?あまり肝臓に良いとは言えない。でもその分水分もたくさん飲んでるし、肌のツヤもいいから問題ないだろう。酒は百薬の長とも言うしね。要するに、人によるし時期による、飲み方による、ということだ。
最近はあまり、文章で何を書こうかと悩んでモニターの前で止まっていることがなくなってきた。先日のポストで宣言した“酩酊文法”を実践しているからである。要するに、頭で考えるよりも早く手を動かせというだけの話なので実際に酒を飲んでいるかいないかは全く関係がない。酒を飲んでいるときは頭の回転が遅くなるから手の方が先手を取りやすいという、ただそれだけの話だ。逆に言えば、シラフの状態で酩酊文法を発動するためには、100%の自分の脳みそよりも早く手を動かさなくてはならないということで、これはめちゃくちゃシビアに脊髄反射速度が試されるのだ。自分の頭よりも早く自分の体(この場合は指先)を動かすことができなくては、酩酊文法を実践することはできない。それかもしくは、フェイントを身につけるなどのやり方は探求してみてもいいだろう。先に回り始める頭の裏をかいて、隙を突いて、手の動きを入れ込むのだ。なぜ自分自身に対してこんなことをしなければならないのか理解に苦しむが、そうしなければ自分自身の脳みその回転に先んじて手を動かし始めることができないのだから仕方がない。やるか、やられるかだ。たとえ相手が自分自身であろうと、常にその意識を持っていなければ酩酊は実現できない。酩酊は過酷なのだ。
とかなんとか言いつつ、もちろん酩酊なので、おちゃらけた、ではないが、若干のチャランポランさも自然と滲み出るというもので、それはやはり頭で考えるよりも早く、というところに由来しているものだろう。逆に裏を掻くということで言えば、頭の回転よりも早く動くという部分に着目して、頭の回転を、もはや一度止めてしまうというのもテクニックとしてあるというか、実際にバンドでライブをしていた頃はよくこれをやっていた。頭の回転を加速させすぎた結果考えても仕方がないような未来のこと、まだどうなるかわからないようなことにまで思考がおよび始め、それは不安として意識に登ってくるので、この不安を完全に無視することで、逆に頭の回転を制限するというか、むしろ、現実のことを処理するために未来のことを考えるのをやめる、CPU に空きを作っておくという感覚を僕は必要に駆られて身につけた。酩酊文法はこの技術の応用に近いだろう。平たく言えば「考えても仕方のないことに関しては考えない」という、ただそれだけのことだ。そしてそうすることによってできた余白に、頭ではなく体で詰め込めるものを全て詰め込みまくるという、ざっくりいうとそういうことになるだろう。
この文章もかなり適当なことを指先に任せて書いているが、実際にいい文章が書けたなという時は、頭と体がうまくその役割をお互いを支え合う形で果たせた時であるように思う。遂にこの一日1000文字以上の文章も累計で10万文字を超えたが、まだまだ僕は駆け出したばかりの初心者だ。これからもたくさん書いていきたいとおもう。できたら絵も描いて、詩も書いて、本当は曲も作って録音して歌いたいし、バンドをやってドラムも叩きたい。できない理由を探すのは簡単だ。現実をなぞればいいだけなのだから。そうではなく、少しずつできる道、未だ来ずの世界を探っていきたい。自分がやっていて本当に楽しいなと思うことをやるというのが、やはり大切だと思う。だって、生きているんだよ。生きて、そしていつかは死ぬのに、大して楽しくないなと思うことを一生懸命やって死んでいくなんて、そんなバカなことがあるか。食えるか食えないかなんて些細な問題で、実際のところ、気にしなければ全てどうにかなるのだと思う。気にしないというのは精神が現実を超越しているということで、現実は現実を超越しているものに合わせて動いていくので、もし精神が本当に現実を超越しているならば、現実はそれに合わせて形を変えていくからだ。現実は可能性なのだ。現実と可能性の間にある断崖を飛び越える覚悟があるか、その賭けができるかどうかが、僕が僕自身でいられるかどうかの境目なのだとおもう。人生はこれからだ。僕はこれから自分がどんどんと若返っていくのだなと確信している。それを楽しみたいと思う。
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