おとめ座は「振り返り会」が嫌いだった理由
年に1回、大学時代の友人と「振り返り会」を実施している。
仕事上のかかわりのない4人が集まって、1年間の出来事をそれぞれ報告する。それを聞いた残りの3人はコメントを返す。専用のテンプレートがあるので報告もざっくばらんな雑談では済まされない。確か著名な経済学者のドラッカーが提唱者だったような気がする。友人Eが「振り返り会をやってみようよ」と言い出した頃はインターネット上に存在する無料のノウハウのうちの一つだったが、最近また検索してみると、どこかの誰かが起業してコンサルティングサービス化していた。私達も毎年欠かさず実施しているのだ、それだけ効果のある手法なのだろうと妙に納得した。
私達の「振り返り会」は、だいたい年末から春先くらいの時期に実施される。長く実施していくうちにライフステージが変化したので、時期も開催方法も臨機応変にしている。コロナ禍の緊急事態宣言の頃はZOOM開催したりもした。今年の振り返り会は3月上旬、友人の一人のオフィスを借りての実施だ。ステイホームが定着し、ZOOM飲みも当たり前になったこのご時世ではあるが、学生の頃のように笑い転げられるのは対面の醍醐味だなとしみじみと思った。
私はこの「振り返り会」が嫌いだ。
参加する友人は、発起人でエンタメ系大手の企画職のE、漫画編集者のR、心理系研究者のYと、みなそれぞれのキャリアで活躍して輝いている。振り返りシートにも仕事の成果がずらりと並ぶ。一方の私は、夫の会社の経理と子供2人の育児。代わり映えのない日々を代わり映えのあるように、小さな事件を虫眼鏡で拡大するように、日々の困りごとでシートを埋めて、多少の自虐を交えて1年間の振り返りを語るのだ。話しているうちに友人たちとの差をまざまざと感じて、自分の振り返りシートがこの中でいちばん薄っぺらなもののように思えて、だんだんと肩身が狭くなっていく。友人たちの「けいちゃんは2人育ててるんだから……」は慰めにしか思えず、自分の世界の箱庭のように小さいのだと、毎年毎年突きつけられるような気持ちになるのだ。新卒で勤めていた会社を辞めて夫の会社に入ったのも、コロナ禍以前からすべて在宅ワークで済むように環境を整えてきたのも自分の選択なのに、もしもそちらを選ばなかったら、と考えずにはいられなかった。それでも毎年「振り返り会」に参加するのは、箱庭の外に出る貴重な機会に他ならないからだった。
私は、家庭でありオフィスであるこの家から出るには何人かの許可が必要だ。それは多くの母親が感じている不自由さと同じだろう。子どもの母親である私の外出は、私がこの家に不在の間、子どもの世話をみてくれる人頼みなのだ。この会は夫が息抜きしておいでと言ってくれたのでその厚意に甘えることにした。長く続くステイホームもあり、普段出かけるとしたら近所のイトーヨーカドーがせいぜいだ。休日に遠出したとしても、子どもと一緒に公園やアミューズメント施設に遊びに行くばかり。子どもなしで電車に遠出するなんてどれくらいぶりだろう。「振り返り会」そのものは嫌いなはずなのに、外出できるという事実を楽しみにするあまり、私は自分比でずいぶん早くから振り返りシートの作成にとりかかった。
昨年作成した振り返りシートを見て、昨年と一昨年の手帳を見て、社内SNSの自分の書き込みやメール送信履歴も覗いてみる。当時はその問題で頭がいっぱいだったはずなのに、能天気な仕様の私の脳みそは綺麗さっぱり忘れてしまっている。シートに書けそうな事件をメモに拾い集めていくと、当時の自分に同情するような気持ちになってきた。ああ、また注意力散漫でミスして謝ってる。思いが強すぎて社内SNSに長文書き込みしているね。あの時もっと出来ることがあったんじゃないかな。締切ぎりぎりで税理士に急かされてるな……。そうだ、この時期は幼稚園が休園で大変だったんだ。毎年、経理の仕事なんて同じことの繰り返しだから書くことなんてないと思っていたけど、忘れていただけで結構いろいろあった。そして同時並行で育児も頑張ってた。24時間365日、ほぼフル稼働で、ずっとずっと、頑張っていたじゃないか。振り返りシートの向こうにドタバタ走り回っている去年の私が見えるようで、書き込むペンを持つ手にも自然と力がこもった。
今年の振り返り会、私は話しても話しても時間が足りなかった。社員の指導をせざるを得なくて、リモートだから苦労したこと。夫婦ともにほぼ完全在宅ワークで、仕事家事育児を共に稼働させていくために工夫していること。年少さんの息子が頑張って幼稚園に馴染んでいったこと。生まれたばかりの娘が、すくすく大きく可愛らしくなっていったこと。シートに書いたキーワードを指さすと、何もないと思っていた箱庭の中にスワロフスキーのビーズの欠片が埋もれていて、それをピンセットで摘まみ上げたような心地にある。
なんだ、私、何もないわけじゃなかったんだな。
スワロフスキーを色や形別に並べていくように、拾い集めたキーワードを頭の中で整理していく。いつだって私のタスクは私の思う通りにはならなくて、その時々苦労させられた原因がずらりと並んだ。社員教育。夫との関係。子どもたちの成長。私自身のキャリア。あの人がこんな大ポカをやらかして、フォローに回らざるを得なかった。夫は一昨年に比べて、かなり家事育児に協力してくれるようになった、ちょっとした言い回しの積み重ねが功を奏しているのだ。おしゃべりが上手になった息子が、幼稚園に行きたくない理由をしんみりと聞いてやった日もあった。まだ泣くことしかできない娘が、ママがいないのよと泣くのを、布団で抱き込んでトントンして安心させてやった日もあった。なんだ、たくさんあるじゃないか。なんだ、いろんな色どりがあるじゃないか。
私は「振り返り会」が嫌いだったのではなくて、「振り返り会」で何も見つけられない自分が嫌いだったんだ。
ちゃんと掘り起こせば、こんなにもキラキラしたものがたくさん見つかるじゃないか。
今までの私は忘れていただけ。だったら、忘れないようにすればいい。手帳に書いて、日記も書いて、アプリに残して、noteをアップして。一つ一つ、大切な輝きを、しっかりと記録していつでも取り出せるようにしておけばいい。
「今年はnoteを書こうと思ってるんだ……!」
いつになく満たされた気持ちで、私は今年の抱負を口にしたのだった。
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