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インターネットがなかった時代のライター営業
「フリーランスライターのブツクサひとり言」第26回
フリーランスのライターで、メディアへ積極的にアプローチして営業をかける人が意外に少ない印象があります。
つい先日、知人の紹介でお会いしたライターや、その人の知り合いのライターも、営業をかけないと聞いて驚きました。
「どうやって仕事を得ているのですか」と尋ねたら、依頼が来るまで待つとのこと。
何年か前に参加したライターの勉強会でも、自分から積極的に営業をかけない人が圧倒的に多くて、私みたいに隙あらば潜り込んでやろうと営業の機会を狙っているライターは少数派でした。
もっとも今はクラウドソーシングへ応募してテストライティングが認められたら、何かしら書ける時代です。そのまま半専属みたいなポジションに就くライターもいると聞きますから、心が折れそうになる営業をわざわざやる必要がないのかもせれません。
ある種、それはインターネットの恩恵なのでしょう。
インターネットがまだ一般に開放されていなかった時代は、積極的に営業をかけないと仕事がありませんでした。
しかも、物理的にも環境的にも東京一極集中が今よりもひどい状態で、ライターの応募資格にも「東京都内または首都圏に在住する方」という文言が堂々と書かれていたのです。
大阪には出版の案件がほとんどありませんでしたが、広告のテキストを書く案件はありました。各社すでに古参のお抱えライターがいたので、新規に参入するのは至難の業でしたが、自分の存在を知ってもらわないと何も始まりません。
飛び込み営業は先方に迷惑だと考えて、ダイレクトメールをつくって郵送していました。
30年ほど前には「マスコミ電話帳」という書籍が出版されていて、全国の出版、新聞、広告、放送、編プロ、制作会社など、メスメディアに関係する企業やプロダクションの連絡先が網羅されていました。
それを使って、大阪に本社がある出版社や編プロからここぞと思うところを選んで、ダイレクトメールを発送したわけです。
当時は幸いにも東京の編プロから書籍の仕事を請け負っていたため、実績として書くことができました。
郵送ですからお金がかかりますし、ダイレクトメールをつくるにも時間とお金がかかります。いっぺんにたくさんは送れなかったのですが、それでもトータルすると200通くらいは発送したでしょうか。
断りの返事をくれるのはまだ良心的で、ほとんどは無視されて何の反応もありません。
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そんな中、3社だけ「お会いしてみましょうか」と返事をくれたのは、地元ローカルのミニコミ新聞、自費出版専門の出版社、広告媒体をメインに扱っている編プロでした。
うち1社はその後廃業しましたが、ほかの2社とは30年を経た今でもお付き合いがあります。
その2社から、さらに紹介という形で出版社と繋がったり取材先から次の記事も書いてほしいと指名をいただいたりして、少しずつ人脈が広がっていきました。
やがてインターネットが一般に普及し始めると、ダイレクトメールがEメールで送れるようになり利便性が格段にアップ。「紹介する・紹介される」というプロセスも簡単になって、紙でダイレクトメールを送っていた時期と比べて人脈の広がり方が急速に伸びていったのです。