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フリーライターはビジネス書を読まない(24)

被災地の取材に行ってくれ

阪神淡路大震災の発生から2カ月ほど過ぎた3月初め、ハガキのDMに返事をくれた制作会社から、被災地を取材してほしいというオファーが来た。
取材に行くはずだったライターの都合が合わなくなったため、急遽、私に声がかかったのだった。

取材する内容を打ち合わせるため、先方の事務所を訪ねた。
記事を出す媒体は、東京にある大手出版社の月刊誌だった。
災害の記事でよくあるような「大変なことになっています」と連呼しながら、ひたすら悲惨な光景や出来事を追いかける趣旨ではないという。

テレビのワイドショーでは、被害の悲惨さを強調する内容はおさまって、話題のメインは被災者が互いに助け合って、もとの生活を取り戻そうとしている姿にスポットを当てた美談へとシフトしていた。
85歳になる自転車屋の主人が老体に鞭打って店の再建に奔走しているとか、小学6年生の女の子が、耳の不自由な両親に代わって毎朝、給水車まで水を汲みに行ってから登校しているなど。

記事の企画意図は、そんな美談のオンパレードに疑問を投げかけるものだった。
「悪い噂も聞こえてくる」
制作会社の社長はいった。

私立病院の院長が、病院の救急車で逃げてしまった。
芦屋市の山手にある六麓荘という高級住宅街では、他の地区から避難してくる被災者を街へ入れないように、自警団を組織して追い払っていた。
避難所で炊き出しのボランティアをやっていた学生が、被災した人たちに「どなたか手伝っていただけませんか」と声をかけたら、「それはお前らの仕事やろ」と怒鳴られた。

そういう噂がたつ事実があったのか。現地で取材して確かめるのが、私のミッションだという。
「取材は3日間。そのあと1週間で原稿をあげてもらう。できるか?」
即座に「行きます」と答えた。

自宅に戻って3日間の取材計画をつくっているとき、電話が鳴った。出版社の編集者だった。
「急なお願いで申し訳ありません」と恐縮された。
「宿泊代も、もちろん負担します」といってくれたが、そこまでしなくて済みそうだ。鉄道はまだところどころ寸断されているものの、不通になっている区間は代替バスが運行されていた。3日間、日帰りで取材できそうな目途が立っていた。


ただスケジュールがタイトだ。打ち合わせで「いま示したポイントさえ押さえてあれば、自由に取材していい」といわれたが、そのポイントを押さえるだけでそうとうな強行軍になる。

まず初日は、取材ポイントのうち大阪からいちばん近い芦屋市六麓荘へ行ってみることにした。

(つづく)

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