ぶらり関西みて歩記(あるき) 天王寺七坂
〔第5回〕
清水坂
■松尾芭蕉も訪れた
有栖山清水寺の北側、大阪星光学院との間にあるのが清水坂だ。下から見上げると右側の3分の2が幅の広い石段、左側3分の1がスロープになっている。しかも坂道の前後には数本の石柱が設置されており、自動車は通れない。
坂道の左右には、清水寺と大阪星光学院の石垣がある。おそらく景観を意識して同じ石が使われているのだろうか。統一感が美しい。
松尾芭蕉は元禄元年、この地を訪れ「松風の軒をめぐりて秋くれぬ」と詠んでいる。星光学院内の「芭蕉園」に、その句碑がある。
■大阪にもある「清水の舞台」
京都の清水寺は、思い切った決断をするとき「清水の舞台から飛び降りる」と比喩される。じつは大阪にも清水寺があって、大阪版「清水の舞台」も存在するのだ。
有栖山清水寺は天台系の和宗に属する仏教寺院で、詳名を有栖山清光院清水寺(ありすさんせいこういんきよみずでら)といい、四天王寺の支院である。
有栖川有栖・著「幻坂」の「清水坂」の項に『享保年間に名を新清水寺と改め、今では清水寺と。その前は有栖寺と呼ばれていたらしい。坂の下を有栖川という川が流れていたからです』という行(くだり)がある。
創建時期は不明だが、大坂夏の陣の頃にはすでにあったようだ。寛永17年、延海阿闍梨(えんかいあじゃり)が観世音菩薩のお告げ受けた。それに従い、京都の清水寺を模した舞台造の本堂を建立し、京都の清水寺から聖徳太子が自作したと伝えられる千手観音像を迎えて本尊とした。それには夏の陣で荒れ果てた境内を整備する目的もあったとされる。
境内西側の崖には柱をくみ上げた舞台があって、京都・清水寺の舞台を彷彿とさせる。「摂津名所図会」にも崖の上に張り出す木造の舞台が描かれている。今の舞台は鉄筋コンクリートのしっかりした構造で、欄干には「清水寺 舞台」のプレートが燦然と輝いている。
創建当時は境内の北と南が崖になっており、大坂の街を一望して遠く大坂湾まで見渡せたため観光名所になっていたといわれる。今は大阪の街に向かって足元には住宅街、その向こうにオフィスビル、そして左手遠くに通天閣が小さく見えるだけ。ここから眺める大坂湾は、西方向ということもあって夕陽が美しかったのではないだろうか。このあたりが夕陽丘と呼ばれるようになった由来ともいわれている。
ところで、寺の入口に古い道標が残っている。「たき道」と記されたそれは、小さいため気づかずに通り過ぎる人も多いだろう。清水寺の境内には市内で唯一、天然の滝「玉出の滝」がある。これも京都・清水寺にある「音羽の滝」を模したとされている。道標は、人々を玉出の滝へ案内しているのだろう。
また、この地域一帯は昔から名泉が湧き出ており、増井、逢坂、玉出、安居、土佐、金竜、亀井の清水が「七名泉(七名水)」として有名である。
●清水坂:大阪市天王寺区下寺町2-4-15/距離:72m・高低差:6m・平均斜度8度
※本文中、時代によって「大阪」「大坂」の表記を変えています。
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