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私の考察3 「キャンセル・カルチャー」とは何か?

先ずはいつものお約束⋯辞書を引く。📚

キャンセル‐カルチャー〖cancel culture〗
特定の人物・団体の反社会的言動を人々が問題視し、追放運動や不買運動などを起こすこと。
【補説 】正当な抗議活動としての側面もあるが、SNSで情報を拡散するなどして激しく糾弾し、社会的地位を失わせる行き過ぎた事例も増えており、しばしば問題視される。

電子辞書「物書堂」「デジタル大辞泉
」より

いつもの愛用「精選版 日本国語辞典」や「岩波 国語辞典」等、他の電子辞書には未だ載っていない比較的新しい単語よね。🤔

☝️インターネット百科辞典『Wikipedia』においても、かつては「コールアウト・カルチャー」へとリダイレクトされてて、2021年8月22日 (日)にリダイレクトを解除されたとても新しい単語だと確認できる。(編集履歴より)

キャンセル・カルチャーというフレーズは、2019年後半からグーグル検索のトレンド入りするようになった。最近では、このフレーズは、アメリカ合衆国の保守派・オバマ大統領やJKローリングなど穏健左派から、「政治的に誤った」と見なした表現に対する不釣り合いなほど過剰な抗議反応と認識されているものを簡潔に表す言葉

Wikipedia「キャンセル・カルチャー」の項より

となっている。

某法学T先生(行政法)などは、、、

特定内容の表現について①不適当だと批判する事と、②社会的地位や権威を用いて販路を経つよう煽動/公共施設を使わせるなと煽動/公的資金を出すなと煽動する“運動”とは、一線を画するというべきでしょう。②がキャンセル・カルチャー(やその煽動)なのに、①は自由だ!と非難しても反論になっていません

大手SNSX(旧Twitter)より

などと、独自の「キャンセル・カルチャー」の定義をし、その危険性⚠️を指摘してるが、私にはその独自解釈で論述して誘導しようとする姿勢こそ“ハーメルンの笛吹き男🪈🎶”では?と眉に唾をつけて構えてしまう。🤨

少なくとも上記の引用の如き定義は「キャンセル・カルチャー」にはない。🙅‍♂️(もしあるのなら提示どうぞ🤲)

そんな訳で、議論なり対話なり問題提起する際には「辞書📚」を引く癖をつけましょう。(学者👨‍🏫ですら盲信してはならない😓)

ちなみに「キャンセル・カルチャー」発祥の地とされる米国🇺🇸ではどう捉えられてるか?

アメリカ合衆国での反応
キャンセル・カルチャーという表現は、ほとんどが否定的な意味合いを持っており、表現の自由や検閲に関する議論で使用されている。

元アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマは「本当に良いことをする人も失敗することがある。あなたが戦っている人は子供を愛しているかもしれないし、あなたと特定のことを共有しているかもしれない」「世の中のために良いことをしたと気分が良くなって、あとは傍観者を決め込むやり方で世の中を変えることなどできない。」と述べ、ソーシャルメディアのキャンセル・カルチャーに対して警告した。

元アメリカ合衆国大統領のドナルド・トランプは2020年7月4日のアメリカ独立記念日を祝う式典において、キャンセル・カルチャーを非難した。
また、一部のメディアもキャンセル・カルチャーについて、萎縮効果を誘発しかねないと主張した。

Wikipediaの「キャンセル・カルチャー」の項より

と、アメリカ🇺🇸国民・市民に対して民主・共和の両党陣営の元リーダーが共に諌めてる。(BLM騒動で混乱してた時期だしネ)

では具体的な問題点はというと⋯

キャンセルカルチャーの問題点
キャンセルカルチャーの問題点として以下が挙げられている。

・法治主義から逸脱している
キャンセルカルチャーには法の不遡及の原則がない。何年、何十年も前の言動を発掘してきて、それをいまこの瞬間の価値観や社会正義の基準で裁いている。その企業や人物を排除すること自体を意図している。

・対抗言論が認められない
名指しされた被告発者には、対抗言論の機会は十分に与えられず、一方的かつ不可逆的、しかも急速に排除の手続きが進められる。過去の行為に対する謝罪に意味はなく、謝罪がさらなる反発にさらされるケースも少なくない。前述の小山田圭吾・たぬかなも当該の行為を謝罪・弁明したものの批判の声が収まらず、解任・解雇された。小林賢太郎・石川界人・加藤純一は対抗言論の機会もなく即座に解任され、その後謝罪が行われた。ただし謝罪や弁明に効果がなく、その後長きに渡って多数の出演がキャンセルされる事例もある。

・標的が恣意的である
リベラル陣営の不適切な発言者にはキャンセル運動をしなかったり、あるいは課せられる制裁を異様に引き下げたりする。

Wikipediaの「キャンセル・カルチャー」の項より

これは“つぶやき”にて私は懸念を示してしてるのだが、全てがいわゆるブーメラン🪃である。

私の懸念(ブーメラン仕立て🪃)

法治主義から逸脱している

「キャンセル・カルチャー」と呼ばれる行為で世界的に有名なのが、「#Me Too(運動)」である。

国内🇯🇵では東京五輪🗼でのエンブレムや過去のいじめ騒動。

そもそも「#Me Too(運動)」も東京五輪🗼での問題も、司法的な解決が困難だった為、長年不満が蓄積していた問題で、いわゆる“キャンセル(批判)“を封じると再び問題が出難くなるのではないか?
 

対抗言論が認められない

これも①と被る問題だが、日米韓🇯🇵🇺🇸🇰🇷その他の芸能界が自浄作用(「言論・表現の自由」)があれば、ここまで性暴力問題が都市伝説化し、ニュースとしてクローズアップ⤴️することはなかったろう。

日本🇯🇵では現在進行形でジャニーズ問題がニュースを賑わしている。

いくら未成年者といえど、男性でこれなら女性アイドルははたして大丈夫なのか?

これも表面化し難くなる恐れがある。

(性暴力問題こそ、赤信号皆んなで渡れば「#Me Too」だと思う)
 

標的が恣意的である(→言葉の定義が未確定)

これは今回のテーマで、最初に書いたことである。

未だ新しい単語であるゆえに、某法学T先生(行政法)のように各々にとって実に都合良く解釈して使用している。

(ジャニーズ問題ですら「キャンセル・カルチャー」だとする人も)


【私の結論】

これも既に“つぶやき”にて言及しているが、

先ずは「対抗言論」にて様子を見つつ、

徐々に各々の着地点を探るのが良いのではないだろうか?

問題意識が強い人ほど、「(言論・)表現の自由」に関心があるようなので、この一応の結論は受け入れてもらえるものと考えている。

そして喧喧諤諤と議論してるうちに、言葉の定義と、いわゆる“行き過ぎ”も是正されるのではないだろうか?🔚

(現在、自宅の蔵書が山地化して参考文献として活躍出来んかった💦再整理後追記の形で登場するやも⋯?)

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