2023年色々話題のイランに行ってみたら想像以上に凄い国だった ラスト~出国編
エラム庭園に出かけてみる
さてシーラーズ終盤、つまりイランに居られるのも残りわずかとなった頃。私はシーラーズ市内のエラム庭園という植物園に向かうことにした。美しいバラ園を有し、市民の憩いの場だという。
庭園の正門でタクシーを降りると、すでにたくさんの人で賑わっていた。皆折り目正しく列を作って入場チケット売り場に並んでいる。私もそれに倣い、順番を待って中に入った。
これまでの旅で分かっていたことだが、イランは全体的に公共施設だとか史跡が驚くほどきちんと整えられている。まあトイレは汚いが。
私は男性なので女子トイレがどうなのかは分からないが、伝統的な衣装、つまり裾が長い服を着用している女性も多いイランであるから、女子トイレは綺麗であると信じたい(ホテルを除き、イランのトイレは和式便所に似ているのだ)。その国のトイレ事情がどうなっているのかは重要な情報だけに、女性トラベラーに有益な情報を残せないのは残念である。
さてバラ園だ。入場して右手に進むとバラが咲き誇っている区画に入る。夏の暑い盛り故ちょっと日差しに負けている感じもあるが、少なくともよく整えられている。
バラ園を見た後は、その足で庭園の方へ移動する。こちらは木々が生い茂り、鳥がさえずり、池もある、さながら小型の新宿御苑のような感じだ。
ここで園の右側を一周し終わり、先ほど見た中央の建物まで戻ってきた。噴水に彩られた建築はそれ自体に文化的価値がありそうだ。
とはいえ6月のイラン、歩き回っていると汗をかいてくる。木陰にたくさんのベンチが設置されたエリアを見つけてそこに腰かけた。やれやれ、少し休憩せねば…
そんなこんなで休んでいると、誰かが私に話しかけてきた。顔を上げると若い女性が立っている。
彼女はたどたどしくはあるが明るい英語で「どこから来たの?」とイランで何度となく聞いたフレーズを訪ねてきた。
せっかくなのでこちらからも話を聞いてみると、近くの高校に通う女子高生だという。まさかアジア人のオッサンが外国人のJKに話しかけられる時代が来ようとは…
イランを歩いていると本当にたくさんの人から話しかけられる。以前訪問したことのあるインドでもそれは同じなのだが、かの地においては話しかけてくる奴は大体敵と思って間違いないが、恐ろしいことにイランでは話しかけてくる奴は大体味方なのだ。
まあ運よく嫌な奴、騙そうとする奴に会わずに済んだだけかもしれないので、もちろん最低限の自衛は必要ではある。くれぐれも私の記事を鵜吞みにして「アイツ大丈夫って言ってたのに!」とならないようご注意ください。
さてイラン人は英語を話す人はもちろん、英語が話せない人でも「ファルシ?(ペルシャ語OK?)」とか言って話しかけてくる。OKなわけないだろと思うのだが、それでも果敢にチャレンジしてくるほど人懐っこいのがイラン人なのだ。
もしあなたがファルシ(ペルシャ語)OKだとしたら、イランに行けばスター扱いされるだろう。彼らの多くは異文化との交流をとても望んでいる。大学等でペルシャ語を学んだ方は是非とも勇気を出して実際にイランに足を運んでみてほしい。全然怖い国ではないことが分かるだろう。
もっともそれはインドというある意味世界最低の国の訪問経験があるからそう感じるのかもしれないが…(インドを悪く書きすぎた)。
閑話休題。
ぶらぶらと園内を歩くと、鳥たちの姿が目に飛び込んできた。私は野鳥撮影も趣味で、小型の望遠レンズも持参していたのでレンズを交換していくらか野鳥撮影に挑戦してみた。
ううむ、鳥はいいなあ。日本でも鳥を探しに出かけたりするが、外国では思いもよらない鳥がいるので楽しい。
そしてこの公園には猫もたくさんいた。何しろ自然豊かな公園だし、正門以外にも裏門が沢山あり、そこから猫が行き来できるのだ。暑い日には日陰で休みたくて集まるのだろう。
シーラーズにて自然の多い憩いの場をお探しなら、このエラム庭園が良いだろう。
先ほど紹介した通り庭園中央の建物には土産物屋も入っているため、お土産探しにも便利である。ここで私は少し奮発して、伝統的な布製品とか石のカップなど実用性の無いものを購入した。
そう、そろそろ出国が近づいてきているので、イランリアルを使い切らなければならないのだ。
入国初日に約1億5千万リアルを手にしていたが、この時点で3千万リアルほどまで消費していたと思う。米ドルにして約60ドル、当時のレートで8,280円ほどだろうか。
ホテルでとった食事の料金がチェックアウト時の精算になっているし、あまり使いすぎると足りなくなる恐れもあるが、と言って余らせてしまうと今度はドルに戻せるか分からない。調査不足で申し訳ないが、本当に分からないのだ。だから理想的にはギリギリまで使いたい。
それに、万一使い切ってしまったとしても、わずかに残った米ドルや、こんなこともあろうかと隠し持っていたユーロもあったので、それで交渉すれば何とかなるだろう。とはいえなるべくならイランリアルで収めたい。
そんなことに留意しながら、私は次の予定のため、一度ホテルに戻ったのだった。
最終日にピンクレイクを見に行く
実は前回の記事でお世話になったタクシードライバーから、「時間があったらピンクレイクを見に行かないか」と誘われていた。これまたシーラーズ市内から車で1時間ほどかかるのだが、その名が示す通りのピンク色に染まった湖があるのだという。ピンクモスクでの敗北を引きずっていた私は、ピンクつながりでもあることだし、リベンジとばかりにこの話に食いついた。
再びホテルまで迎えに来てもらい、車に乗り込み出発した。昨日で政府の愚痴は言い終えたのか、今度はシーラーズの歴史やらここで造られるワインの話になった。彼ら自身はイスラム教徒だから飲めないのに、歴史ある醸造所が連綿と続いているのは何とも不思議な話である。ちなみに、有名なシラーズワインとは何の関係も無いらしい。スペルまで同じなのにねえ。
タクシーに乗り込んで1時間弱走っただろうか。山が切り開かれた道を進み、上り坂を上り終えると、開けた景色が目に飛び込んできた。
ピンクレイク!!
たしかにこれはまごうことなきピンク色の湖である。この世のものとは思えない光景に息を飲む。
タクシーは一度湖を走り抜けると、折り返して湖側の道路へ入った(イランは右側通行)。運ちゃんオススメポイントで右折し、湖のビューポイントへ進んでいく。二人で車を降りて、湖のほとりまで歩いて行った。
この画像を見てすでにお気づきの方もいるかもしれない。そう、ピンクレイクは塩湖なのだ。手前の岸や、奥の白い山、あれらは塩の塊なのである。運転手によると、この塩を取り出して利用する会社があったんだったか今でもあるのかどっちからしい。タクシーの運ちゃんに聞いたのだがイマイチはっきりしなかった。どっちなんだい!?
それはさておき運ちゃんが面白いものを見せてやろうと言って、湖の水を手で救い上げた。その時の写真がこちら。
実はこれ、プランクトンなのだという。このプランクトンの働きで塩水が赤く染まっているというのだ。プランクトンというと目に見えないほど小さなモノだと思い込んでいたので、肉眼ではっきり視認できるほどの大きさのプランクトンがいるとはこの時まで思いもよらなかった。
運が良ければ、このプランクトンを食べに来たフラミンゴの群れに会うこともできるというが、不運にもこの日は観光客が多く、警戒したのかフラミンゴは現れてはくれなかった。
フラミンゴは居なかったが、とはいえこれだけの光景はなかなか見られるものではない。なんというか、旧劇場版エヴァンゲリオンのラストシーンを彷彿とさせると思うのは私だけだろうか?
なおこの湖は皮膚病の治療のために入浴に来る人もいるとかなんとか運ちゃんは言っていたが、滅茶苦茶怖くて入る気にはとてもなれない。私だけかもしれないが、間近で見るピンクレイクはあまりに大きくまた現実離れしていて、美しいと同時にどこか恐怖に近い感情を引き起こす。入ったが最後二度と出てこれないのではないかと本気で思ってしまうような存在だ。
逆に言えばそれだけ印象深い存在であることは間違いない。シーラーズにお越しの際、足を運んでみる価値はあるだろう。
さらばイラン―――出国の時
ピンクレイクを見に行った日の夜。8日間に渡ったイラン旅行もついに最後の時が来た。私は次の目的地であるフランスに向かうため、経由地イスタンブールに向かうための飛行機であるターキッシュエアラインズTK855便に乗り込むべく行動を開始した。
日付を超えて深夜1:45に飛ぶ便である。ペルセポリス、ピンクレイクと今まで2度もお世話になった運ちゃんに再度お願いし、夜11時にホテルにピックアップしてもらう運びとなった。ホテルでの清算を済まし、この時点で700万リアル、約14米ドルを手元に余らせた状態だった。
ホテルからシーラーズ国際空港までは20分ほどかかっただろうか。運ちゃんに料金を聞くと「お気持ちで」とのこと。
これまでの経験から、200か300万リアルあたりが相場かな…と思ったが、余らせて持って帰るくらいならという気持ちと、今までありがとうという気持ちから500万リアル渡した。ありがとう運転手のおじさん。貴方のおかげで色々楽しくシーラーズの名所を見て回ることができたよ。
私は名残惜しくなり、タクシーを降りて空港の建物に向かう途中におじさんを振り返った。おじさんはもう走り去っていた。ま、まあもう遅いからね。時刻はその頃およそ11時30分になっていた。
空港はこぢんまりとしていた。国際線出発ロビーには売店が一つとカフェが一つ。もう深夜と言っていい時間帯だがどちらも開いている。なかなか肝が据わったお店だ。
しかし、相変わらず一筋縄ではいかないのがイランなのである。
普通の国際空港、例えば成田空港から出国する場合、
①自分の乗る航空会社のカウンターに行きチェックインをする
②荷物を預ける
③保安検査を受ける
④制限エリアへ
…という流れが一般的だ。だが、どこをどう見まわしてもターキッシュエアラインズのカウンターが無い。というか、そもそも航空会社のカウンター自体が無い。
代わりにあるのは、長蛇の列だけ…
ここでC.S.に電流走る!
治安が不安定な国によくあるが、まず最初にX線保安検査を受けてからでないと、航空会社のカウンターがあるエリアまでたどり着けないタイプの空港だコレ!
私はとっさにそう理解し列に並んだが、すでにかなり長い列が形成された後だった。それでも、判断が遅れた人々が私の後ろに並び続け、最終的に私は列の真ん中あたりになった。
そしてまあ、この列が進まないのなんの。本当に検査してるのか怪しくなるほど前に進まない。焦って時計を見る。10分過ぎた。また10分。しかし列は全然進んでない。出発時刻から2時間以上余裕をもって来てはいるものの、今私はイランという我々の常識の埒外の国にいるのである。事がうまく運ぶ保証は無い。
ドキドキしながらも、私は待った。さすがに出発時刻1時間を切るようであれば、手を挙げて申告しながら進ませてもらうか…そこまで考えていたが、30分ほど待ったあたりで徐々に列が動くようになった。何とか強行作戦に出ることなく、検査の順番がやってきた。
前の人たちの動きから、パスポートを見せて、荷物を全部X線検査機に乗せて、自分は金属探知機に入る、そういう流れであることは見て取れた。私は係員にパスポートを渡した。
彼は「え、マジ?」という顔で私を二度見した。よっぽど日本人が珍しかったのかな…
さて無事空港内部に入ると、成田空港とは比べ物にならないほど小規模なカウンター列があり、その中のターキッシュのカウンターに並んだ。手続きは無事完了し、荷物を預けると出国審査に向かった。あの審査官にパスポートを渡してドキドキしながら待つ奴だが、イランから無事出国できるかはこのおじさんに掛かっている。頼むぞ…!
私は眠気を押して、なるべく愛想よくニコニコしながら審査官に「サラーム(こんちわ)」と言いながらパスポートとビザの紙を渡した。
審査官はなんか滅茶苦茶困った顔をしていた。
イラン人と思われる乗客の人々はものの十数秒で終わるというのに、私は2分以上待たされたと思う。審査官、今度は別の審査官を呼んできた。マドハンドかお前は。
私は肝が冷える思いがしつつ、後ろに並んでた人からの「面倒な奴のいる列に当たっちゃったよ…」という視線をやり過ごし、何とか耐えていた。ちゃんとフランスまで行く航空券を持っていることまで見せて、ようやく出国が認められた。やれやれ、生きた心地がしなかったぜ…
さて、私はここにきて200万リアル余らせていることを思い出した。どうせなら可能な限り使いたい。そこで私はこのキオスクで水を買ってみた。正確な金額は覚えていないが、確か30万リアルほどの良心価格だったと思う。世界中どこの国でも空港で水を買うとぼったくられるものだが、それをしないのはイランと日本だけである(今のところ)。
とにかくこれではまだ余らせてしまうので、サフラン入り紅茶のティーバッグを買ってみたら100万リアルほどだった。よし、これでOKとしよう。
しばし待っていると、搭乗の時が来た。一応スターアライアンスゴールドメンバーであるので、いち早くゲートをくぐり先行バスに乗り込むことができた。
眠い目をこすりながら無事に席に座り、少しでも寝ておこうとアイマスクを被り、背もたれに体を預けて―――
こうして、私のイラン旅は終わりを迎えることとなった。
イランを旅してみて
さてこれまで5回に渡りイランの旅について綴ってきた。そのうち一部でも読んでくださった方には感謝の念に堪えない。
実際にイランに行って旅をしてみて思ったのは「思っていたよりも遥かに豊かな国だ」という事だ。
まず物質的に豊かだ。きれいな自動車がいくらでも走っているし、商店には物が豊富だ。レストランに行けば美味しい食事が簡単に手に入るし、ショッピングをする場所にも困らない。たまたま私は利用しなかったがカフェもよく見かけたし、バザールに行けば人々の熱気を感じることができる。
一方で、精神的豊かさも感じた。これまで何度も書いてきた通り、困っている私を助けてくれたり、話しかけてくれたり、異文化を知ろうとしてくれる人たちがたくさんいる。私が訪れたことのある国は(多分)16か国だが、国民の精神性の高さレベルはトップクラスであったと思う。日々恐ろしいニュースが流れてくる国なのに、である。
確かに、台湾旅行やフランス旅行と比べてハードルが高い旅になるのは間違いない。インターネットは自由に使えないし、ペルシャ文字は全く読めない。公共のトイレは汚い。直行便も無いからどこかで経由していかねばならない。クレジットカードが使えないから30年前の海外旅行みたいなお金の使い方にならざるを得ない。
しかし、旅とはそうしたものではないだろうか。
「ただ間違いないものが間違いない結果を出したところで、退屈であるに過ぎないのだ」
そう岡本太郎も言っていた。タローマンで言ってたから間違いない。
ガイドブックだって7年前のものが最新版の有様なのだ。予想できない旅が、イランにはある。それは高度に情報化した社会においては貴重な経験となるはずだ。
この旅行記を読んで、イランに興味を持たれた方は、ぜひ勇気を出して訪問してみてほしい。きっと一生ものの思い出ができるはずだから。
次回、よもやま話編。オムニバス形式で記憶に残ったエピソードをご紹介します。
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