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2023年色々話題のイランに行ってみたら想像以上に凄い国だった トラブルだらけの初日編

最初にお知らせ

 読んでくれる人の為に最初にネタバレを書いておくと、8日間に渡った私のイラン旅行におけるトラブルの9割は訪問初日に起こった。
 そこでイラン訪問を考えている人の手助けになるように、今回は初日編として、時間をかけて実際起こったトラブルとその解決策を書いてみたいと思う。
なんなら初日編だけ書いてエタるかもしれない。
 それでは、旅行に行く前段階から軽く説明していこう。

会社クビになったので海外行く。

 2023年4月、私は勤めていた会社をクビになった。
 ここではその理由についてあれこれ語るのはやめておこう。誰も見ず知らずのおっさんの解雇理由など興味は無いからである。
 解雇を通告されたときは大きな精神的ショックを受けたが、同時に私はこうも考えていた。「これで海外旅行に行ける!」―――我ながら完全なアホである。

旅行計画を立てる。

 さていざ海外旅行に行くと言ってもどこに行くべきか。せっかくだから普段は行けない所に行きたい。
 最初はグリーンランドやスバールバルなどの極地やヨーロッパ周遊を考えたが、どれもしっくりこない。
 そんな時、ふと一つの国が思い浮かんだ。
 イランである。
 理由の一つに、有名な岡田氏の下記記事の影響がある。

 「イラン人は親切」そういう記事がネットを調べると沢山出てくる。失業で傷ついた心に、人々の親切はバンテリンのように染みわたるのでは無いか。
 それに、である。「イラン行ってくる」と言ったら何となく怖い気がするが、イランの旧名である「ペルシャ行ってくる」だったらどうだろう。エキゾチックな魅力を感じないだろうか。プリンスオブイランだとパッとしないが、プリンスオブペルシャだと往年の名作ゲームになるのと同じである。
 実際にはイランの前にネパール(これは名作「神々の山嶺」の影響)を訪問し、イランの後にはフランスに行く旅程を組んでいたわけだが、この三国の中でとりわけ魅力的で、情報も少ないイランにフォーカスして記事を書いてみたい。

1,初日編(入国前)

 さて上でも書いた通り私はネパール旅行を終え、空路イランへと向かった。
 イランについて、「首都はテヘランである」ことくらいは知っている人も多いかもしれないが、私はテヘランには向かわない事にしていた。
 ガイドブックを見る限り、テヘランはメガシティではあるものの、それほど文化的遺産があるようには見えなかったからである。それにイランは広い。都市間を結ぶ交通手段としてイランで最も発達しているのは長距離バスだが、日本で東京-大阪間の長距離バスにすら乗ったことの無い私が、異国、それもイランという全く未知の国で長距離バスに乗るのはなるべく避けたかったのである。
 そこで私は首都テヘランはスキップして、最初からイスファハーンという都市に入る事にした。このイスファハーンというのはイランの京都のような場所であり、実際に過去には首都に定められていたこともある。

イスファハーンの中心地、エマーム広場(筆者撮影)

 だがこの「国際線でイスファハーン入りする」という所にすでに罠が潜んでいた。
 いくらイランの京都と言っても、首都テヘランと違って所詮は地方都市。そう多くの国際線が飛んでいる訳ではないのだ。
 外国人が直接イスファハーン入りする場合、ドーハからカタール航空で行くか、イスタンブールからターキッシュエアラインズで行くかの2つが現実的だと思う。私は前者を選んだが、どちらの場合でも入国は深夜・早朝になる。
 この時私は、「最悪空港のロビーで朝になるまで寝てればいいさ」くらいに考えていた。それが間違いであるとも知らずに。

2,初日編(入国審査)

 現地時間の早朝4時ごろ、私を乗せたカタール航空470便はイスファハーン国際空港へ到着した。
 前日までネパールにいた私にとっては、体内時計的にそれはほぼ午前6時に等しく、飛行機の中でほとんど眠れなったのでほぼ完徹の状態でイランの地に降り立ったのである。
 眠い目をこすりながら入国審査の列に並ぼうとすると、係員に「お前はダメだ」と弾かれてしまった。何が何やら分からないが、周囲の人の動きから察するに、どうやら外国人は入国審査の前にビザオフィスに行かなければならないらしい。窓口に向かい、事前に取得しておいたビザを印刷した用紙を渡すと、次は保険に入れと言う。
 「日本で保険に入ったよ」と言いながら三井住友海上の海外旅行保険の用紙を見せるが、「ダメだ、保険に入れ。あの列に並んで」と指さされる。
 指さされた方を見ると戦慄した。私が乗ってきた飛行機には、赤いユニフォームを来たスポーツ選手らしき40名ほどのグループが同乗していて、やたらハイテンションで喧しかったのだが、その赤布族が先んじて保険オフィスに並んでいるのである。とは言え、保険に入らないと入国させないとイラン国家の注意書きまで貼られている始末。入らないわけには行かない。
 列に並んで待つが、遅々として進まない。そうだ、せめてこの待ち時間に日本の家族に向けて無事の到着を伝えたい。私はスマホを取り出し、空港のフリーWi-Fiに接続した。空港Wi-Fiのログイン画面が出てくる…

空港フリーWi-Fiの接続画面

読めるか!!

 ほとんど眠れておらず、しかも赤布族によってブロックされた保険の列によってイライラしていた私はキレかけた。しかも独立したウィンドウで出てくるのでグーグル翻訳の自動翻訳も働かない。一応あてずっぽうでメールアドレスや電話番号を打ち込んでみたが無駄だった。今にして思えばコピペしてグーグル翻訳アプリに貼ることもできたかもしれないが、寝不足の私には考えが及ばなかった。
 仕方がなくひたすら待つことになった。私と同じく赤布族にブロックされてイライラしていたオーストラリア人から「保険料っていくらか分かるか?」と聞かれ「いや、さっぱり」とか話しているうちに少し仲良くなる。彼はなかなか出来る男で、赤布族のスキを突いて保険オフィスに突入し、「俺のを先にやってくれ!」という漢だった。そこで私も虎の威を借るキツネとばかりに彼にくっついて行って一緒に処理をしてもらった。しかし、彼から遅れる事10分後くらいに処理されたのは、虎とキツネの差であろうか。
 ここで重要な事を説明する。2023年5月末時点で、保険料は15米ドル(または12ユーロ)である。私は小額紙幣は10米ドル×2しか持っていなかったが、5ドルのおつりはもらえた。
 もしここで、米ドルもユーロも持っていなかったらどうなるのか?
 
残念ながらその確認は出来なかった。しかしイランでは一部の例外を除きクレジットカードは使えないので、クレカ払いは出来ないと思われる。日本円もハードカレンシーだから対応してくれるかもしれないが、確証はない。ビザオフィスの隣に銀行窓口があったのだが、早朝過ぎる為か開いていなかった。くれぐれも、イランに行く場合は米ドルかユーロを持って行って欲しい。近年では、イランで使えるデビットカードを旅行者用に手配するサービスもあるようだが、現ナマで米ドルかユーロ(特に小額紙幣)を持って行って損は無い。
 イラン国家保険(仮称)に加入すると、ようやく入国審査に並ぶことが出来た。審査は滞りなく進み、こわもての審査官が「日本人か?」と聞くので「そうだ」と答えると、日本語でコンニチワと言うお茶目な一面を見せてくれて、寝不足と赤布族へのイライラに支配された心に一陣の風が吹いた。

ようやく入国審査を終えてイラン国内へ(赤布族も写っている)

 で、このイスファハーン空港、これと言った設備がない。SIMカード売り場とか、通貨両替所とかが無いのである。
 (あとで地球の歩き方を熟読したところ右写真の売店の中に銀行があり換金に応じてくれるとのことだが、ビザオフィスの隣の銀行も開いていなかったことから、早朝到着だと開いていない可能性もある。残念ながら確認取れず)

この売店の奥に銀行があるらしいが、早朝はやっていない可能性あり

 この時すでに午前5時頃になっていた。
 交通機関が動いていなかったら空港でしばらく寝ていようと思っていたのだが、どうやらタクシーは動いている様子。SIMカードが入手出来ていないので通信手段が無いし、現地通貨も無いのは不安だが、とにかくホテルで休みたかった。運転手に「ドルでいいか」と聞くとOKとのことなので、ホテルまで乗せてもらう事にした。ちなみに市内まで15ドルした。

空港から市内までの道

3,初日編(ホテル到着後の地獄)

 市内中心部にあるホテルに到着した時、時刻は5時半頃になっていた。タクシーに別れを告げ、ホテルのドアに手を掛けると…
 ガシャン。
 鍵が掛かっており、開かない。
 私は猛烈に焦った。タクシーは行ってしまった。ホテルは開かない。そもそもホテルが閉まってるってなんだ。まさか廃業しているのか。
 慌てた私は何度かドアを開けようと試みて、ガチャガチャと音を立てまくった。まるで強盗である。そうこうしているうちに、中で休んでいたと思われるホテルスタッフが眠そうな顔でドアを開けてくれた。
 結局これがイランでの常識なのか、このホテルだけの習慣なのかは分からなかったが、あまりに早い時間(または深夜?)にホテルに到着すると開いていない可能性がある。これを考えると早朝・深夜便でのイラン入国はかなりリスクが高いと言えるのだ。私はそれを知らず、早朝イラン入りする行程を立ててしまっていたのだ。
 ともあれ中に入れた。チェックイン時間はまだ先だが、とにかく寝ていないので休みたい。アーリーチェックインできないかと聞いてみるが、「今日は満室で、チェックアウト者が出ないと入れてあげられない」とのこと。まあ仕方がない。部屋が空くまでロビーで休ませてもらおう。
 そう思った私に、フロントから非情の宣告が告げられた。
 曰く、「本来この時間に人を入れてはいけない事になっている。スーツケースだけは預かってあげるから、開店時間まで出て行ってくれ」
 私は絶望した。完全にホテルのロビーで休ませてもらう気満々だったからだ。まさか深夜早朝にはホテルが閉まっており、ロビーで休むことも許されないとは思わなかったのだ。24時間じゃない三ツ星ホテルなんてアリ?
 なんとかここに居させてくれないかと懇願したが、ダメの一点張り。仕方なく、せめてWi-Fiだけ貸してくれないかと頼み込んだ。家族に無事を知らせたかったのだ。許可が出たのでWi-Fiに接続するとVPNを起動した。イランは中国と同じく、インターネットの検閲があるのでそのままだとLINEやTwitterなどは使えないのである。
 イラン在住の方のブログ(下記)から、ExpressVPNというVPNアプリがイランで動作確認出来ているという事は聞いていた。事前に日本でインストールしてきたそれを起動すると…

 いつまでたっても接続完了の文字が出ない。
 この時私は知らなかった。日本にいてVPNを使うならどこのサーバにも繋がるが、イランにおいてはVPNの接続先サーバはかなり限定される。鉄板なのはイギリス(ExpressVPNにおいては特にドックランド)と、カナダのモントリオールあたりなのだが、その時私はどこのサーバにも接続できるものと思っており、必死に日本サーバに接続しようとしては弾かれていた。
 空港の時はそもそもWi-Fiに繋がらなかったが、繋がったら繋がったで通信手段が断たれた。
 だがこれも事前に情報を得ていたのだが、イランは中国と異なりGoogleのサービスは何故かそのまま使える。私はVPN接続を諦め家族にGmailでメールを打つと、言われるがままにホテルを出て行った。この時、時刻はまだ午前6時にもなっていなかった。

ホテルの前の道(後日撮影)

4,初日編(地獄に仏)

 私は途方に暮れた。
 想像してみて欲しい。異国の地、しかもイランという未知の土地で、早朝6時前に、

・現地通貨無し(クレカも使えない)
・SIMカード無し(スマホで調べ物もできない)
・食べ物無し(昨晩から何も食べてない)
・行く所無し(この町の事を何も知らない)
・言葉も分からない(英語なら喋れるが…)

 という状態で放り出されたのである。この時の心細さたるや、無事帰国した今思い出しても胃がキュッと縮まるほどである。
 とりあえず、道に突っ立っている訳にも行かない。ホテルからは10時くらいまでは戻ってきても無駄だと言われている。またホテルの従業員曰く、「町の中心地エマーム広場は徒歩4,5分で着くから、そこに行ったらどうだ」とのことだったので、行く当てもない私はひとまずそこに向かって歩き出した。道には殆ど人影は無いが、たまに早起きのご老人が歩いていてジロジロこちらを見てくる。恐らくは外国人が、しかもこんな早朝にうろつく外国人が珍しかったのだろう。また、日本と同じく人がいないうちに道路の清掃をしている作業員もいた。朝6時だから商店などは開いていないが、社会としては少しずつ動き出しているようだった。これが一時間早かったらもっと心細かっただろう。そう思うと、赤布族に邪魔されたことがプラスに働いているとも言えた。

早朝のエマーム広場。無人では無いが、人影は少ない。空に浮かぶ黒点はツバメの群れ。

 エマーム広場にたどり着くと、とりあえずベンチに腰を下ろした。浮浪者なのか、たまにベンチで寝ている人もいて怖かったが、とりあえず立ちっぱなしにも疲れていた。ここで「地球の歩き方イラン」を取り出すと、エマーム広場に繋がるセパ―通りには両替商が集まっている、との記述を見つけた。早朝でまだ開いていないかもしれないが、すぐ近くだし行ってみる価値はある。
 一縷の望みに掛けてセパー通りに行ってみるが、銀行らしき建物は複数あれど開いている所は無い。無駄足だったか…がっくりきた私は大通りにぶつかるまで歩くと、そこにあったベンチに座り込んで頭を抱えた。あとはもう、ひたすら空腹と戦いながら2,3時間耐えるしかないのか…

周辺地図。ちなみに右上のSetarehというのが追い出されたホテル。

 すると、不意に声を掛けられた。振り向くと、謎のおじさんが立っている。私の隣に座り、ペルシャ語で何事か話しかけてくるが、何を言っているか分からない。 

謎のおじさん登場(本人の希望により撮影)

 こんな時の為に持ってきていた「旅の指さし会話帳イラン」を使い、何とか「ホテルに入れないので困っている」という事を伝えたが、相変わらずコミュニケーションはスムーズに行かない。するとおじさん、近くにいた別のおじさんを呼ぶ。新たに現れたおじさん、なんと英語が喋れたので色々話をする。
 「どこから来たの」「こんなところでどうした」と色々聞いてくれるので事情を説明すると、とりあえずお金をいくらか両替してあげよう、との有難い提案。
 ただ、前述の岡田氏の記事に詳しいが、イランには公定レートと実勢レートというものがある。このおじさんがどのようなレートで両替してくれるか分からない。だが無一文というのはそれ以前の問題だ。とりあえず私は50米ドルを差し出してみた。「なんだ、これだけでいいのか?」と言われたが、まずはテストである。
 おじさんが提示してきた金額は、確か2400万リアルであったと思う。これは、下記サイトにて入国前に調べて記憶しておいた実勢レートと比較してそう悪くない換金率だった。

 なお気をつけなければならないのは、上記サイトは1ドルあたりの「トマーン」の金額を記載していることだ。イランの通貨は「イランリアル」だが、例えば10,000リアルは1,000トマーンというように、一桁縮めた単位であるトマーンも現地では頻繁に使われている。イランにお越しの際、買い物するときは必ずリアルかトマーンか確認する癖をつけよう。
 さて私は50米ドル分のお金を手に入れた。一番よく使われるリアル紙幣は50万リアル札であり、2400万リアルでも48枚もの紙幣になる。数えるのも一苦労だ。ようやく数え終えて財布にしまうと、少し安堵感が出てきた。イランの物価がどの程度かこの時点では分からなかったが、唯一の参考である空港→市内のタクシー約30分が15ドルであったことを考えると、日本とそこまで変わらないのではと思えた。とすれば、50ドル分のお金があればひとまず急場はしのげそうだ。
 そうこうしているうちに、空腹感が蘇ってきた。何も食べていない事を伝えると、よしじゃあ付いてこいと手招き。ついて行くと、すぐ近くにある早朝から開いている食堂まで案内してくれた。

案内された食堂(後日撮影)

 この外見、自分からはなかなか入れない感じであるが、案内されれば別である。とにかくお腹が空いていた私は言われるがまま席に着き、おじさんがお店の人に何事か言って去るのを見守っていた。しばらくすると、店員が料理を持って来た。

ひとくち食べてしまってから撮影したが、その時出された料理。

 周りの人から、「そのオレンジを絞って食べるんだ」とジェスチャーで示され、卵に絞ってから食べ始める。美味い。空腹の腹に染みわたる。一緒についている葉っぱはどうやらハーブのようで、食事の合間に皆かじっているので真似してかじってみると、ミントのような清涼感があり胃がすっきりする。そのうちに紅茶まで出してくれた。
 お腹も満たされ、店員に値段を聞くと、「金は取らねえよ」とのお言葉。それは悪いと食い下がるが、「いい、いい」の一点張り。私はイラン人の気遣いに感動しつつ、深々と頭を下げて、店を後にした。
 店を出てさっきのおじさんたちの所に戻ってみると、今度はおじさんたちも紅茶を振る舞ってくれた。一体どこに隠し持っていたのか、プラコップに紅茶を注ぎ、角砂糖も出してくれた。砂糖と共に頂くと、心が安らぐ味がした。

頂いた紅茶と角砂糖。角砂糖を口に含み、紅茶で溶かしながら飲む。

 このあたりで気付いたのだが、どうやら私が腰を下ろして頭を抱えていたのは、運がいいことにタクシーが集まるゾーンだったらしい。彼らからすれば、いつものように朝早く仕事場に出てみると、頭を抱えた外国人が座り込んでいて、気がかりになって声を掛けてくれたのだろう。そう、このおじさんたちはタクシードライバーだったのである。

さっきの地図を再び。もしイスファハーンで確実にタクシーを捕まえたかったら、赤い点の場所に行ってみて欲しい。気のいい男たちが待っているはずだ。

 さてお腹も膨れ、少しばかりの現金も手に入った。次は通信手段を手に入れておきたい。私は英語が話せるおじさんに、「イランセル(大手通信会社)に行ってSIMカードを手に入れたい。どこに店舗があるか分かるか?」と聞いてみた。おじさん、スマホを見たり他のタクシードライバーと色々相談している。店舗の位置が分からなかったのか、こういう外国人でも対応してくれそうな店を考えていたのか、その辺りは分からなかったが、しばらくすると「店は7時半に開店する。連れてってやるからもう少し待て」との説明を受けた。その時およそ7時になっていたと思う。
 私はおじさんたちと会話したり、写真を撮ったりしながらその時を待った。そしてその間、まだ大きな不安と戦いながらも、どこか嬉しい気持ちになっていた。
 これがイラン人の優しさか―――

英語が話せるドライバーのおじさん(本人の希望により撮影)。彼が居なかったらどうなっていた事か…

5,初日編(SIMカード入手~ホテルチェックイン)

 さて時は来た。7時半を迎えた私たちは、おじさんたちの一人が運転するタクシーに乗り込みイランセルの店舗へ向かった。
 車を走らせて10分ほどしただろうか、車は大きなラウンドアバウトに面した建物の前で止まった。

イランセルの場所。車でないととても行けない距離だ。

 運転手のおじさんが先陣を切って中に入ってくれたので、ついて行く私。しかしその建物はイランセルの事務所であり、「店舗は隣の建物だ。8時に開くよ」とのこと。どうするかおじさんに相談するが、「開店まで車の中で休んでなよ。待っててやるからさ」との有難いお言葉。私は甘えることにした。しかし、身体は緊急事態宣言を発しているのか、全く眠くならない。ギンギンに冴えた目のまま、それでもしばらく休ませてもらうと、ついに店舗が開く時間になった。急いで中に入り、「英語が話せる人はいますか」と尋ねると、若い女性店員が流暢な英語で対応してくれた。旅行者用SIMカードをくれと言うと、価格は90万トマーン、つまり900万リアル(凡そ2,500円くらい)。有効期限1か月、データ容量90GBとのこと。私は何度も「9GBとか、19GBの間違いじゃないのか」と念を押したが、90で合ってるとの返答。大型ゲームソフトでもダウンロードしない限り使いきれない容量だ。こんなに要らないが、他に選択肢も無い。とにかく通信できれば何でもいいので、先ほど換金してもらった札束から900万リアル分を取り出し支払いを行った。
 店員曰く、「SIMのアクティベートには5時間くらいかかるから、すぐには使えないからね」とのこと。海外のSIMではそういう事もある。私は承諾してSIMをスマホに差し込むと、待っていてくれたおじさんに声を掛けた。
 「次はどこに行く?」とおじさんに問われる。まだ8時半頃であったが、ひょっとしたらホテルが開いているかもしれない。私はホテルに向かってくれと頼んだ。

記事にすることもあるかと思いイランセルの建物を撮ろうとしたが、多分違う建物のような気がする。

 車はスイスイ進み、ホテルに到着した。いくらかと聞くと流石にタクシーは無料という事は無く、400万リアルとのことだった。大体1,200円くらいだろうか。それなりの距離動いてもらい、なおかつ何十分も待ってもらったことを考えると良心的な価格だろう。気持ちよく支払い、感謝を述べてホテルに入った。
 ホテルに入ると、奇跡的に空室が出来ており、チェックインできるとのことだった。私はパスポートを渡し、嬉々としながら受付票に名前を記載していた。
 この時、致命的なミスを犯しているとも知らずに。

6,初日編(ホテルで休憩~両替)

 さてホテルの部屋に案内されると、三ツ星ホテルにしてはまあまあ豪華な感じの部屋だった。アメニティも一通り揃っており、ミニバーもある。やれやれ、やっと一息つけそうだ。

部屋の様子(後日撮影)

 SIMカードはまだ使えないが、今の私にはWi-Fiがある。Google検索は出来るので、先のイラン在住の方のブログを読み直してみると、どうやらイギリスのドックランドサーバに接続しろとのお達し。試してみると、すんなり接続できた。さっきまでの苦労は何だったのか。
 また、もう一つ重要な事として、VPN無しでもSkypeは使えた。イランにお越しの際は、家族や友人とSkypeで話ができるよう準備しておくことをお勧めする。
 なぜならVPNも万能ではないからだ。私の体感だと、皆が寝静まっている早朝5時~朝7時くらいはTwitterやYoutubeに快適にアクセスできるが、それ以外の時間は画像一枚アップすることすら不可能に近い速度しか出なかった。LINEやTwitterに文字だけ書き込むのはできるだろうが、イランにおいて快適にSNSを利用できるとは考えない方が良いだろう。家族とビデオ通話をしようと思ったら、VPN経由のLINEではなく、VPN無しのSkype利用が現実的である。
 さてホテルだ。疲れ切った身体と頭を休めようと思ってベッドに横になるのだが、全く眠れない。人生最大級のピンチを迎えた為、身体が戦闘モードに入ってしまったのだろう。それでも少しは休まないともたないと思い、何とか小一時間は仮眠を取ることが出来た。
 そうこうしているうちに、スマホにイランセルからのショートメッセージが届く。「SIMがアクティベートされたよ」と書いてある。よし、Wi-Fiを切って通信できるか試してやろう、としたのだが、全く通信ができない。
 特に海外のツーリストSIMにはありがちだが、APN設定が必要なのだろう。イランセルの受付女性に「なにか設定は必要あるか」と聞いてはいたのだが、その時は「大丈夫だ」と言われていた。結果、全然大丈夫では無かった。
 またしても困った事態になったが、それでもWi-Fiがあり、帰って来るところもできた今の私には心に余裕があった。少し身体も休まったことだし、外に出かけようと思った。SIMカード代やタクシー代で現金もかなり消費してしまった。今ならセパー通りの両替所も開いているかもしれない。
 通信できないスマホを引っ掴み、私は再びセパー通りまで出かけて行った。そこにあるメッリ銀行に入ろうとすると、入口に客引きが立っていて、「EXCHANGE?」と聞いてくる。そうだと答えると、近くにある自分の店(土産物屋っぽかった)に引っ張っていく。いくら両替したいんだと聞かれるので、とりあえず300米ドルだと答えると、なんとたったの4,000万リアルと提示された。あきらかにボッタクリである。私はノーとはっきり断り店を出ると、無駄足を踏んだとばかりに銀行の店内に入っていった。

セパー通りにあるメッリ銀行。入口に客引きがいても無視した方が良い。

 さて銀行内に入り、受付に外貨両替はどこか尋ねると2階だという。階段を上り、適当な係員に外貨両替をしているか尋ねるが、どういうわけか「うちじゃやってないよ。外に行け」とのこと。
 私は大人しく銀行を後にした。それによくよく考えてみると、銀行で両替したら「公定レート」での両替になるかもしれない。公定レートと実勢レートの間には10倍近い乖離があるから、そうなったら大損だ。こんな事ならさっきのタクシーでもっと両替しておけばよかったかなと考えながら、どうしたものかと思っていると、若い男性が声を掛けてきた。英語である。
 「両替したいのか?」と聞かれるのでそうだと答えると、両替商の所に案内してくれるという。さらに、「公式の両替商と非公式の両替商がいる。非公式の方がレートが良いが、どっちにする?」と何ともおっかないことを言い出す。

6月27日追記
ふと在イラン日本大使館のホームページを読み直してみたら、「両替は空港、市内の銀行やホテル等で正規に行ってください。闇両替が横行しておりますので、利用しないようお願いします。利用した場合、取り締まりにより逮捕あるいは多額の罰金が課せられることがあります。」との記載を発見した。どうやら私のように闇両替商を利用すると最悪罰せられるようであるから、正規の両替商のご利用をお願いしたい。

 しかし当時何も知らなかった私としては、当然レートが良い方がいいに決まっている。非公式の方で頼むと言うと、男は私を連れて大通りを渡りセパー通りの反対側へ来た。というか、そこもセパー通りだったのだ。行ってみると、20人くらいの男たちが立ちんぼをしており、外国人と見るや「EXCHANGE?」とバンバン話しかけてくる。地球の歩き方に書いてあった「両替商はセパー通りにいる」というのは正しかったのだ。ただ、大通りを渡ったほうのセパー通りだったのである。

両替商をお探しなら、道を挟んで反対側のセパー通りまで行ってみよう。

 案内してくれた男性が、両替商の中から一人の人物を紹介してくれた。ガタイがよく、熊のような男である。いくら両替したいんだと聞かれ、とりあえず300米ドルだと言うと、「青いお札か?」と聞かれる。何のことか分からず、現物の100ドル札を取り出してみると確かに青い。それを見ると男は納得した。恐らく、旧100ドル札は受け付けない、という事なのだろう。これを読んでいる人の中で、過去にアメリカ旅行した際に余った旧100ドル札をイランに持っていこうと考えている人がいたら注意が必要である。通用しない可能性があるからだ。
 今これを書いている傍ら検索したら、下記のような記事もあったくらいだ。

 ともあれ300米ドル確かに持っている事を見せると、男はちょっと待ってろと言って姿を消した。案内してくれた男性に尋ねると、「リアル紙幣が大量に必要なので、かき集めるのに時間がかかる」というのだ。とは言え5分ほどで大男は戻ってきた。手には大量の札束を抱えている。300米ドルは、1億4700万リアルに相当するのだ。
 私は一瞬にして億り人になった。

 などと言っている場合ではない。確かに1億4700万あるか、数えなければならないのだ。仮にこれが全て50万リアル札で構成されていた場合、294枚もの紙幣になる。実際には100万リアル札や200万リアル札も混じっていたのでもう少し枚数は減るが、それにしても200枚以上のお札をカウントしなければならない。一度にはカウントできないので、大男からまず1/3ほどを受け取り、必死にめくって数える。数え終わったのを男性に持っていてもらい、大男からまた1/3受け取って数え、それを繰り返して何とか枚数を数え終わった。正直2,3枚数え間違えている気もするが、もはやそのくらいいいか、という気持ちになって来る。急にお金持ちになった気分だ。
 大男に礼を言って別れると、案内してくれた男性も帰りそうな雰囲気になったので、私は思い切って聞いてみた。「イランセルのSIMカードを買ったんだが通信できない。何か解決策を知らないか?」
 すると男性は、「近くに携帯ショップがあるから案内してやるよ」と言ってくれた。やはりイラン人、親切である。

7,初日編(携帯ショップ)

 道すがら彼とは様々な話をした。イランとアメリカは国家としては仲が悪いが、国民感情はどうなんだと聞くと、全然そんなことは無いという。むしろ多くのイランの高校生が、卒業後の進路としてアメリカの大学への留学を選択しているのだとか。ビザも普通に下りるそうだ。それに、皆iPhoneやギャラクシー(これは韓国だが)を欲しがるという。実際には安価なシャオミ(イランでの発音はシオミ)製スマホを選択する人が多いようだが、とにかくイラン国民に取り立ててアメリカへの敵対感情は無いようだった(もちろん、中にはそうでない人もいるのだろうけど)。
 そしてもう一つ重要な事を彼から聞いた。先ほど大量に手に入れた50万リアル札だが、おおよそ50万リアル札1枚で1米ドルの価値だと思って良いとのこと。イラン国内で何かの都合で「10ドル払ってくれ」と言われたら、その場合50万リアル札を10枚渡せば同じことになると言うのだ。話は前後するが、この後訪ねる携帯ショップでは会計に7ドルを請求されたが、350万リアルを渡すとそれで済んだ。

到着した携帯ショップの外観(後日撮影。撮影日は祝日だったためか閉まっていた)

 そうこうしているうちに携帯ショップに到着した。店員は英語が通じなかったが、付いてきてくれた男性が通訳をしてくれた。どこまでも親切な男である。「イランセルでSIMカードを買ったが通信できない、設定してくれないか」と頼むと、店員は私のスマホを受け取り黙々と設定をし始めた。しばらくすると、「VPNも入れとくか?」と聞かれる。すでに日本でExpressVPNをインストールしてあったが、何らかの事情でそちらが使えなくなった時の保険と思い、入れてもらう事にした。SIMの設定とVPN合わせて7ドル。前述のとおり、50万リアル札7枚出したらOKという事になった。
 それにしても、その日は気付かなかったが、このお店にははっきりと「Tourist SIM CARD」と書かれているではないか。

旅行者用SIMカードと明記されている

 こんな事なら最初からこの店に来ればよかったと後悔したが、それは結果論というものだろう。参考の為、携帯ショップの位置を図示しておく。

携帯ショップの位置。エマーム広場から少し歩くが、十分徒歩圏内だ。

8,初日編(パスポート紛失)

 その後、案内してくれた彼とは一緒に昼食を食べたり、追加で2万円ほどリアルに換金してもらったり、明日も会う約束をしたりするのだが、ここでは割愛する。
 十分な金額の現地通貨も手に入れ、SIMカードも使えるようになり、VPNの使い方も理解した。エマーム広場周辺に限れば、町の構造も分かってきた。様々なトラブルがあったが、全て解決した。これでもう勝ち確…と思っていた私は、実はすでに罠にハマっていたのだ。
 夕食を取りホテルの部屋に戻り、疲れた身体を休めようとベッドで横になっていた。明日からの行動を決めようと「地球の歩き方」を読んでいると、ふと気になる記載を見つけた。パスポートを無くしてしまった人の体験記である。
 そう言えば、大量の現金を両替してもらっている時、お札を数える為に無防備になっていたかもしれない。まあリュックを開けられたら感覚で分かるだろうし、リュックにしまっておいたパスポートを盗まれたなんてことは無いだろうけど、念のために確認しておくことにした。
 いつもパスポートをしまっているファスナーを開け、中身を確認する…
 パスポートが、無い。
 いやいや、そんな馬鹿な。きっとホテルにチェックインするときにフロントに渡して、返してもらった時についズボンのポケットに突っ込んでしまったのだろう。そう思いズボンのポケットを検めるが、そこにも入っていない。
 私は焦った。上着はどうだ。無い。スーツケースにしまったか?無い
 どれだけ探してもパスポートが無いのである。
 そう言えば、現金を両替してもらった後、大量の紙幣をリュックにしまう時、少しリュックが開いていたような気がする―――
 これが疑心暗鬼という名の鬼だろう。疑い始めると、そう言えばあの時、ああ、あの時もと、どんどん疑わしい機会が思いついてくるのだ。
 私は半ば自暴自棄になりながら、日本の友人たちにパスポートをすられたとLINEを打った。友人たちは私に落ち着くように言い、とにかく冷静によく探せと言うが、それでもパスポートは見つからない。
 もう駄目だ、私のイラン旅行は一日目にして終わったのだ―――私は不貞腐れてベッドにもぐりこんだ。これまで何度も書いてきたが、その日私はほぼ眠っていなかった。もう体力も限界だ。それに、一眠りしてスッキリした頭で探せば、案外すんなり見つかるかもしれない。
 そう思って目を閉じるのだが、やはり眠れない。外国においてパスポートを無くすというのは致命傷である。明日は大使館に連絡しなければいけないのか。そうするとテヘランまでの移動手段を確保しないとならない。ここからテヘランまでいくらするのだろう。いやそもそも飛行機が取れるだろうか。現地での宿泊はどうすれば…と不安ばかりが膨らんで眠れないのだ。
 眠れないついでに、友人たちから何かメッセージが来ていないかとスマホを手に取った。すると友人の一人がこんなことを書いていた。
 「イランではパスポートをホテルに預ける習慣があるって記事があるぞ」
 恐らく友人が言っていたのは下記の記事と思われる。

 率直に言って、私は「そんな馬鹿な」と思った。これまで何度も海外旅行をしてきたが、他の国でそんなことをした覚えは無い。それに、チェックインした時に確かにパスポートは返してもらったはずだ。とてもフロントにパスポートがあるなど信じられなかった。
 もう一つの気持ちもあった。フロントにパスポートがあるかもと期待して行って、そこに無かったら余計絶望の底に沈むのではないか。正直それが怖かった。だから最初のうちは、そんな馬鹿なと一蹴して、もう一度ベッドにもぐりこんだ。
 しかし、やはり眠れない。そのうちに私は意を決して、フロントに向かう事にした。フロントにはまだ人がいた。私のパスポートを持っているか?と聞くと、受付の彼は引き出しを開け、たくさんのクリアファイルが閉じられている束を取り出し―――
 あっさりと私のパスポートを取り出して見せた。
 ああ!それ!それだよ!無くしたかと思ってたんだ!!私は素っ頓狂な声を上げて、彼に感謝を述べるとホテルの自室に引っ込んでいった。そして日本の友人達にも見つかった旨を伝えた。
 イランのホテルでは、外国人観光客はパスポートを預ける決まりになっていたのだ。
 それでは何故、そのことを忘れていたのか?
 睡眠不足というものは恐ろしい。チェックインの際にフロントに渡したパスポートを、返してもらったものと100%誤認していたのだ。恐らくは「やっと休める!」という安堵感も油断に繋がっていたと思う。完全に空想に支配されていたのだ。
 こうしてトラブルに始まりトラブルに終わった私のイラン滞在初日は、ようやく終わりを告げる事となった。 

終わりに

 いかがだっただろうか。これが、私がイラン初日に体験したトラブルの全てである。
 トラブルの事ばかり書いたので、イランに行くのが怖くなってしまうかもしれないが、イランには豊かな自然、文化遺産、優しい人々と、訪問に値する数々の要素があるのは間違いない。この記事を反面教師にしていただければ、きっと楽しい旅行になる事だろう。

 最後に一つだけ書かせてほしい。この旅行記で出てくるイラン人との会話は、ほぼ100%英語でなされている。イラン人は英語が通じないとばかり思っていたが、意外と通じる人は多かった。もっとも、英語が話せるからこそ私に話しかけてきてくれた、という逆説的理由はあるだろう。
 何が言いたいかというと、個人でイラン旅行に行くなら英語力は必須という事だ。もしあなたがイラン旅行に興味があり、しかし英語に自信が無いなら、悪いことは言わない。素直にツアー旅行にしておくことをお勧めしたい。

 
イラン旅行の楽しい部分はまた後日記事にするとして、イラン初日編はこの辺で終わりにしたい。この記事が誰かの役に立つことを祈る。

おまけ 億り人のバッグの中身

次回、日本での準備編(時系列どうなってんの)


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