「彼」を想う
「彼」とは高校3年間、同じクラスだった。
同じサッカー部で、彼はついこの間まで生粋のサッカー小僧であった。
高校生の頃、よく一緒に酒を呑んだ。
高校を卒業したあとは、5年前まで会うことは無かった。
彼は高校を卒業してから東京に居たらしい。
私も20歳から2年間、東京に居たがきっとすれ違いもしていないだろう。
彼は役者を目指していた。
その夢を諦め、地元に帰った。
彼は職人になり、一人で仕事をした。
30歳を過ぎた頃だと思うが、自分でサッカーのクラブチームを立ち上げ、小学生・中学生を対象にサッカーを教えた。
職人の仕事をしながら、クラブチームを強くした。
コーチも招き入れ、その年代の全国大会の常連チームに育てあげた。
5年前、他の高校時代のサッカー部の友人と共に、突然わたしの飲食店に顔を出した。
それから彼との付き合いが復活した。
この5年は一緒によく呑みに行った。
2年前、ホルモン屋で4人で呑んでいる時、彼の様子がおかしかった。
いつも饒舌なのに、その日は黙って皆の話に頷くだけで、たまに話をすると声はガサガサ。
冬だったので風邪を引いているのだと思い込み、冗談で「喉がやられているのか」と、着ていたタートルネックのセーターを捲ってみると、皆の笑い声が止まった。
彼の喉には穴があけられ、その穴にプラスチック製の筒が埋まっていた。
彼はバツが悪そうに歪んだ笑みを浮かべると、仕方ねーなーと言いながら、説明を始めた。
初期のガンで、医者に手術をすすめられ、薬を流し入れるための穴をあけられた、と言ってた。
そんな状態でも彼は子供達にサッカーを教えることはやめなかった。
砂埃も舞うだろうし心配だったが、彼は全然大丈夫だって言ってた。
今年の春、私は高校時代の友人と2人で一泊旅行の計画をたてた。
その友人が旅行日の直前になって、彼も誘った。
私は反対した。
でも、彼も行きたいということで押しきられた。
旅行前日、熱があるので行けるかわからないという連絡が彼から入った。
私は少し安心したのを覚えている。
当日に確認の連絡をすると、彼は行くと行った。
私は少し気が重くなった。
移動中の車の中、彼はひとり後部座席に横になり寝ていた。
ずっと微熱が続いていたらしい。
旅館に到着すると、このご時世で、検温をしてからでないと入館できなかった。
彼は検温をするフリだけして、そのままフロントの前のソファにどっかりと身を沈めた。
私ともう一人の友人は、すぐに温泉に入りに行った。
彼は、夜入るからいい、と畳に横になった。
夕方、外に出て飯を食べた。
もちろん、酒も呑んだ。
彼に、そんな状態でも酒は旨いのか訪ねると、別に旨くて呑んでんじゃねーよ、と返事が返ってきた。
3件目で、私の知り合いになったマスターが経営するパブに入った。
彼はそこで一杯の水割りを呑んだあと、もう旅館に戻るわ、と言って店を出ていってしまった。
事情を知らないマスターは、店の女の子がなにか気に障るようなことをしたのかと心配した。
翌日、彼がもう帰りたいというので、観光の予定をキャンセルして帰途についた。
途中で飯を食いたいと彼が言うので、その観光地でも有名なうどんなんかが良いのではと提案したが、麺は啜れないからと却下された。
結局、どこにでもある牛丼のチェーン店に入り、彼はカレーライスを食べ、私達は牛丼を食べた。
彼とは、それが最期になってしまった。
昨日、旅行に行ったもう一人の奴と酒を呑んでいると、不幸な知らせが入った。
昨日の呑みも、そいつが彼を誘うと言って連絡していた。
彼からは連絡が返ってこなかったという事だった。
ここ2ヶ月くらい、誘っても体調が悪いからと断られていたようだ。
それでも彼は5日前まで子供達にサッカーを教えていたようだ。
私とそいつは店を移し、日本酒で献盃した。
彼がいつも呑んでいた緑茶割りを二人の間に置いて。
私達は涙を流しながら笑って、彼との想い出を語り合い、浴びるように酒を呑んだ。
永遠のサッカー小僧の冥福を祈る