【侵し、侵され。】⑦水炊きと古いアルバム
「妊娠したの」
サラは嬉しそうに、そう私に伝えた。
外で話したいというサラの提案で、私達は公園のベンチに腰かけていた。昼下がりの公園は、ぽかぽかと暖かい日射しが差している。
これまでに2度結婚したいと思った相手がいたことや、妊娠したら結婚しようと考えていたけどそのどちらの相手とも子供ができなかったこと、そして46歳というこの歳になってもう諦めかけていた頃になってやっと妊娠できたこと。
彼女はそんな話を私に聞かせた。
「結婚とか、別にいいのよ。責任とるからなんて絶対に言わないでね。わたしにとってはそういうことじゃないから。とにかく今わたしはとっても嬉しいの。わたしはひとりでもこの子を大事に育てる。だからキヨトには、おめでとう、とだけ言って欲しいの」
私はサラから子供の出来にくい体だと聞かされていたこともあり、全く妊娠することなど考えてもいなかった。だから戸惑っていた。どうする。どうすれば良いのだ。今は何も思いつかない。何を伝えれば良いのか。今、サラになんて言えばいいんだ。
「おめでとう」
結局、口から出てきたのは、サラが望んだ一言だけ。
「ありがとう。また連絡するね」
彼女はそれだけ言って立ち上がると、一度も振り返らずに公園を出て行った。
私は彼女を呼び止めて何か伝えなければと頭では解っていても、体はベンチに貼りついたまま動くことはなかった。
夜になって、とりあえずサラと話をしようと思い電話をかけたが、彼女が電話に出ることはなかった。
夜中ずっと、どうすべきなのか、どうしたいのか自分に問いかけてみたが答えはまるで見つからなかった。
次の日も、また次の日も、サラへかけた電話は繋がることはなかった。
まだ短い付き合いではあったが、私に家庭を持つなどという事が出来ない事を見透かされていたのだろう。それだけはサラの言動から読み取ることができた。
さて、どうする?俺。
うまく集中出来ない仕事を定時で切り上げ、その足で久しぶりに実家へ戻っみた。何年ぶりだろう。近くに住んでいるのに、用がなければ殆ど実家に寄ることはなかった。
突然現れた息子に母親は、急にどうしたのー。と驚いていたが、にこやかに鍋の支度を始めてくれた。晩酌をしていた父親も、笑顔で私にビールを勧めてくれた。
鍋の支度が出来ると、母親も小さいグラスを持って食卓についた。父親が母親の持ってきたグラスにビールを注ぎ、半分残った私のグラスにも注いでくれた。
「かんぱーい。お疲れさまー」
母親の音頭で3人、グラスを重ねた。
3人で鍋をつつく。
来るなら来るって始めから教えておいてくれれば良かったのに。と言う母親の作った水炊きは、鶏のもも肉と鶏だんご、白菜、しめじだけのシンプルなものだったが、とても美味しかった。
それほど浮かんではいない灰汁をこまめに取っていた父親が、そういえばこの間もらった日本酒があったと、台所から一升瓶をとってきた。ビールを飲んでいたグラスをそのまま使って、純米酒を3人で飲んだ。
ご飯と卵を残り汁に入れておじやで締めたあと、母親は昔のアルバムを取り出し、片付けたテーブルの上に3冊どさっと置いた。父親はソファーに横になったかと思ったら、そのまま鼾をたて始めた。
母親は、父親と出会った頃のページから、想い出を語りながら捲っていった。私は残った酒をちびりちびりと口に含みながら、ただ黙って写真を見ていた。
病院のベッドらしい所の脇で、照れ臭そうに赤ん坊を抱く、まだ若い父親の写真があった。
「キヨトが産まれたときのだね。この時、お父さんがどれだけ喜んだことか。このあと、なかなかお父さんが赤ちゃんを離そうとしなくて、看護婦さんも苦笑いしてたわよ」
初めて聞く話だった。親父は子供が出来たことに対してすんなり受け入れられたのだろうか。この写真を見る限りでは、素直に嬉しそうにみえる。
それから私が小学校に上がるまでの写真を見て、母親はアルバムを閉じた。
「このあとはあなたがなかなか写真を撮らせてくれなくなっちゃって、少ないのよ。写っていてもいつもふて腐れたような顔しちゃって」
そうなのだろう。写真なんて写りたくもなかった。今でも写真を撮られるのは苦手だ。
ソファーの上で大きな伸びをして、父親が起きた。
「あーすっかり寝ちまったよ。なんだアルバムなんか見てたのか。それよりキヨト。お前なんかあったのか。なんか話があって来たんだろ」
「えっ」
「えっ、じゃねーよ。お前がわざわざこんな年寄り夫婦のところへ突然顔を出すなんて、なんかあったんだろって言ってんだよ」
「ま、まあ無くはないけれど」
「なーに。なんかあるなら言ってごらん」
おふくろも心配そうな表情で顔を覗きこんでくる。
「子供ができた」
「そうか。で、お前はどうするんだ」
「決められないでいた」
それから私は両親に、いきさつを話した。
「高齢出産なのは心配だけれど、結婚したらどうなの」
おふくろはやはり心配している。
「男としてのケジメも大事だが、お前にその意思がなければ誰も幸せにはなれんからなー。こればっかりは自分で決めるしかないな」
親父の意見を聞く。こんなことってずっと無かったな。なんてのんびりとした事が頭に浮かぶ。アルバムを捲り、産まれたての不細工な自分が親父に抱かれている写真のページを開く。
「ぜんぜん自信なかったんだけど、今日アルバムを見て決心がついたよ。俺、彼女と一緒に子供を育てる。親父も俺が産まれたとき、嬉しかったんでしょ」
「ばっかやろう。そんなん最高に嬉しかったにきまってんだろーが」
「そう、それは良かったわ。お相手の人にちゃんと気持ちを伝えるのよ。そしてうまく伝わったならウチに連れてらっしゃい。ご馳走を用意して待っているから」
それにしても親父もおふくろも老けたよな。すっかり爺さんと婆さんだ。なんて、ぼんやりと滲んだ月を見上げながら、冬が近づく帰り道をゆっくりと歩いて帰った。
《続く》
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