駄菓子屋に訪れたバイオレンス時代 #あのころ駄菓子屋で
駄菓子屋。
そこは胸踊る、安価で楽しめる子供たちの遊興施設。
カビ臭い建物の中に一歩足を踏み入れると、そこには無数のお菓子や玩具が所狭しと並んでいる。そこにあるのは、いつもと代わり映えしない商品なのに、迷う、悩む。ポケットの中の小銭を握り締め、頭の中で計算する。構成を考える。甘いもの。しょっぱいもの。量が多いもの。口の中で長続きするもの。遊べるもの。一か八かクジを引いてみようか。考えていると頭から煙が出てきそうだ。
それでもとっても幸せな時間。
小学校の低学年までは。
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駄菓子屋。
そこはまるで北斗の拳の世紀末の世界のようだった。力を持つ者だけが赦されるユートピア。力のない者は狩られ、追い出される。逆らえば当然、力で捩じ伏せられる。
駄菓子屋が、全ての子供達にとってのユートピアでなくなったのは、テーブルゲームが置かれるようになってからだった。
私の住む地域では小学校の中学年くらいになると、行動範囲の全ての駄菓子屋にテーブルゲームが置かれるようになった。昭和50年代の中頃のことだ。
インベーダーゲームやブロック崩しから始まり、様々なシューティングゲーム、自動車やバイクのレース、プロレスのゲームなんかもあった。
僕らのユートピアは、中学生に牛耳られていった。
中学生の中でも力のあるグループはゲームセンターという名の、彼らにとっての最高のユートピアに集っていた。
だから、僕らのユートピアで蔓延っていたのは、中学生の中では力のない、ゲームセンターでは狩られる立場の雑魚キャラたちだ。
彼らは1回50円のゲームを永遠に楽しむため、小学生たちから金銭を巻き上げていた。そして、そこにある菓子を我がもの顔で略奪し、時には子分につけた小学生に万引きさせていた。
その頃から僕たちは、駄菓子屋というかつてのユートピアへ、足を踏み入れることは無くなった。
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ある日の下校時、かつてのユートピアの前には人だかりができていた。
店の前を通りすぎようとすると、人垣の隙間から大量の鼻血を垂れ流している中学生が見えた。鼻の骨が折れていたのではないのだろうか。鼻を押さえる手からは少し黒ずんだ血がボタボタと滴っていた。白いはずのYシャツの胸元から腹の辺りまでが真っ赤に染まっている。アスファルトにも大きな血溜まりができていた。
中学生の前には、がたいのいい大人のひとが立ち、血まみれの中学生を恫喝している。どうやらその中学生が、小学生からカツアゲしているところを目撃し、店の外へ逃げようとした中学生を捕まえ、鉄槌を喰らわしたようだ。
大人の方のゴツくて大きな右の拳にも、血がべっとりとついていた。いったい何発喰らわしたのだろう。
あとで知ったのだが、そのがたいのいい大人は駄菓子屋のお婆さんの息子で、お店での万引きやらカツアゲが多く、困ったお婆さんが用心棒として少し前から店を見張らせていたということだった。
掟破りの輩には、力で対抗する。
そんな時代だった。
しばらくして救急車のサイレンが聞こえてきた。中学生が救急車に運ばれていると、ほどなくしてパトカーも到着した。中学生は警察官から住所と名前、電話番号を訊かれたあと、救急車で運ばれて行った。殴った方の大人は、声を荒げながら警察官に事情を説明していた。
私はその場を立ち去り、家に向かって歩き出した。頭が痛くなってきた。目の奥がズキズキしている。血だらけの中学生の姿が脳裏から消えない。鉄のような匂いが鼻口に残っている。気持ち悪い。胃の中のものが洗濯機に入れられた洗濯物のように、ぐるぐると動きまわっているようだった。
家の鍵を開けトイレに直行すると、胃の中のものを全て吐いた。自分の部屋に行きランドセルを放り投げると、そのままベッドに倒れ込み、寝た。帰ってきた母が心配したが、何故だかその出来事については話さなかった。
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ユートピアとしての駄菓子屋の存在は、私の中では消えて無くなった。
それから数年すると、駄菓子屋じたいが店をたたみ、無くなっていった。
高齢のお婆さんがやっている店ばかりだったので、お婆さんたちがもう働けなくなったのか、万引きが多すぎて閉めざる負えなくなったのか、治安の悪さに耐えられなくなったからなのかはわからない。
私の家には、スナックを経営していた父親が持って帰ってきた、ブロック崩しとインベーダーのテーブルゲームが置かれていた。
この企画に参加させていただきました。
楽しい話じゃなくてごめんなさい_(._.)_