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歩道橋の上、月の下

未希とのあの夜の事を時おり思い出す。
あの日から数日は恋をしたかのように、未希のことばかり考えていた。
しかし今となってみれば、あれはフィクションだったのでは、と考えてしまうほど自分の中ではフワフワとした記憶となっている。


僕は今、夜の歩道橋の上に立ち、眩い光の群れが遥か先からやって来ては通り過ぎてゆく姿を眺めている。
その光と光の間隔を目測し、落下する速度とのタイミングを計ってみる。
空想だ。
実際に飛び降りるつもりなど、今のところはない。
それでも時々、地面に吸い込まれるようにこのまま落下するのも悪くないかな、などと考えてしまうこともある。

朝晩は小学生などがよく通るこの国道に渡された歩道橋は、夜間に利用する者など殆どいない。
そして僕は、この人通りが無くなった歩道橋から見下ろす景色が好きで、何もすることがない時など、たまに訪れていた。

歩道橋の上からの景色は絶妙に現実味が薄れ、僕の心を落ち着かせてくれた。
時には信号機が赤から青に変わる秒数を数えたり、赤いテールランプの数をひたすら数えたり、ここに来るとそんな遊びとも言えない事を無意識のうちに毎回始めているのだ。
きっと無心で数をかぞえたり秒数を計ったりする事は、僕にとって気持ちをリセットするためのコツだったりするのだろう。


「ねぇちょっと、あなたそこから飛び降りたりしようとしてないよね?」
不意に声を掛けられて僕はビクッとしながら振り向いた。

「こっちは久しぶりに友達と気分よく呑んで来たんだから、目の前で飛び降りたりしないでよねって言ってるの」
僕より少し年上に見える、お姉さんがそこには立っていて、何故だか僕のことを睨みつけていた。ショートカットとブルージーンズ姿で、太めの眉がボーイッシュなイメージを与えた。

「いやー、べつにそんなつもりじゃ……」
「つらい事があるんだったらお姉さんが聞いてあげるからさ、その手摺から手を離してこっちにおいで」
どうやら酔っぱらっているようで、お姉さんは据わった目をして強引に僕の腕を取り、階段の方に引っ張って行った。

「ちょ、ちょっと大丈夫ですってば、何も話すことなんてないですよー」
「いいからそこに座って、話はそれから聞くから」
「だからべつに話したいことなんてないですから」

結局、僕は酔っぱらったお姉さんの会社の愚痴を一時間ほど聞かされ、挙げ句僕の着ていた半袖シャツの袖をお姉さんがハンカチ代わりにして、涙やらマスカラで黒く濡らされた。
それからお姉さんはスッキリしたような表情で、スタスタと来た方とは反対側の階段を下りて行ってしまった。
歩道橋の上に残された僕は、ひとり苦笑いを浮かべた。
「まあ、悪い人ではなさそうだ」
と呟いて、自分を納得させたのだった。


「すみません」
僕がまた、夜の歩道橋で車の流れを目で追っている時だった。
「この前の君ですよね」
振り返ると先日の酔っぱらいのお姉さんがまたそこにいた。
「はい、この前の私ですが……」
するとお姉さんは急に深々と頭を下げた。

「先日は大変申し訳ありませんでした、わたし酔っぱらっちゃって、確かシャツの袖も汚してしまったような記憶が……」

「はあ、まあそれはいいですよ、たいしたシャツでもないですし」
「いや、本当にごめんなさい、お詫びと言ってはなんですけど、お嫌いでなければ」
お姉さんはそう言って、僕にコンビニの袋を差し出した。
中には6本入りの缶ビールとさきいか。

「歩道からここに立っている君が見えたので、そこのコンビニで買ってきました」
「はあ、嫌いではないですけど……」
「じゃあ、お詫びの印としてお納めください、それでは」
そのまま彼女は立ち去ろうとする。

「ちょっと待って!」
僕は自分でも驚くくらい大きな声で呼び止めていた。
「あのー、良かったら一緒に飲みませんか」
「へっ?」
「この缶ビール、一緒に飲んでいってくれませんか」

「いま?」
「はい、今」

「ここで?」
「うん、ここで」

「はあ……」
僕は缶ビールのプルトップを2つ開け、1つはお姉さんに渡し、もう1つは自分で一口飲んだ。

「ここからね、眺める車の流れとか光とかが好きなんですよ」
ようやく彼女も缶ビールに口をつけた。

「ほら、なんだか自分とは関係なく勝手に世界が動いてるっていうか、そういうのを見ていると落ち着くんです」
「君、変わってるね、でも確かにそう言われればそんな風に思えるかも」
お姉さんは少し歪んだ笑顔を見せたあと、今度は勢いよくビールを喉に流し込んだ。

それから僕たちは歩道橋の下の世界を眺めながら時々ビールを啜った。
途中、僕はお姉さんの名前を訊ねた。
「名前なんて記号なんだから、なんだっていいよ」
と、どっかで聞いた事のあるようなセリフを言われた。

2本目のビールをほぼ同時に飲み終わると、お姉さんは帰って行った。
「ありがとう、この前も今日も君に癒されたよ」
そう言い残して。

「良かったら、また、ここで会いましょう」
僕は彼女の背中に向かい、車の音にかき消されないように精一杯の大きな声で叫んだ。
お姉さんは聞こえているのかどうか、軽くスキップのようにステップを踏んでから階段を降りて行った。

僕は時折吹く風の中に彼女の髪の香りを感じながら、テールランプの点滅を自分の気持ちと重ねて見ていた。
どうやら僕は、また新しく恋をしてしまったようだ。
僕はお姉さんのことを「君」と呼ぶことに決めた。
君が僕のことを「君」と呼んでくれたのがなんとなく気に入ったから。

それから僕と君は何度か歩道橋の上で会った。
一番近いところではクリスマスイヴ。
近くのコンビニで買った、ハーフサイズのシャンパンを1本ずつ飲みながら、光の川を眺めた。
たぶんもう、君に対する僕の気持ちはバレていたと思う。
好きという気持ちを伝えようとする、僕の言葉をタイミングよく遮って君は違う話を始めてしまう。
それでもなんとか、2日後に食事の約束をとりつけた。
依然として僕は、君の名前も年齢も知らないままだったけど。


海が見える場所がいいという君の希望で、僕たちは地元の海岸に来た。海岸線に沈む夕日を観ながら、カジュアルな価格帯のイタリアンのお店に入る。
食事を終えると、赤ワインで火照った頬を冷ますため、海岸線の道路を歩いた。

ふたりですっかり暗くなった空を見上げる。
「月がきれいだね」
そう君が言った。
僕はどういう意味で言っているのだろうとドキドキしながら、なんて返したら良いのか迷った。
頭の中ではいろんな言葉がグルグルと回っているのに​、僕の口からはどうしても適切な言葉は飛び出して来てはくれなかった。

月の冷ややかな明かりに照らされたまま、僕は君の手に触れたがっている自分の手を、上着のポケットの中でギュッと握りしめた。

年末を迎えた浜辺は強く冷たい風が吹いていて、君が寒そうに自分の身体を抱いていたから、僕たちはバスに乗って帰ることにした。タイミングよくやって来たバスに僕たちは乗り込む。
君は何故だか、先に座った僕の前の席へと座ったから、君の隣はすっきりと空いていて、僕の隣はぽっかりと空いていた。

君の求める答えを返せなくて怒ってしまったのか。
刈り上げた君の項が寂しげで見ていられず、彷徨ったあげく視線のやり場は窓の外に落ちついた。

車のライトが照らす光が次々と流れ去り、僕はその数をかぞえ始めていた。
まるで、さっき僕の頭に浮かび上がった、君に伝えようとした言葉たちが逃げていく様を見ているようだ、と思いながら。

バスを降り、君と並んで夜の街を歩く。
君の横顔をそっと横目で盗み見る。
僕の視線を感じたはずなのに、君は僕の存在など気にしていないフリをして、まっすぐ正面だけを向いて歩いている。

お祭り騒ぎのクリスマスを経て、より親密になったのであろう初々しいカップルが手を繋ぎ、幸せオーラを振り撒きながら通り過ぎる。
つまらなさそうに黙ったままの、端から見たら不自然な僕たちに、酒で上機嫌になったサラリーマンがひやかすような視線を浴びせかけてくる。

このままじゃ君を返せない。
このままの気持ちで僕は帰れない。

「月、きれいだったね」
僕はやっと言葉を絞り出すことができた。
君が頷き、僕の上着の袖を掴む。
僕はその彼女の手を握り、上着のポケットに招き入れる。
「あったかーい」と君が言う。
「あったかいね」と僕も言う。

街を抜けて君の家の前まで辿り着いた。
君と向かい合って両手を繋ぐ。
「今度は初日の出、一緒に見たいな」
君の言葉に、今度は僕が笑顔で頷く。

家に帰る君の背中を見送ったあと、ホッとした気持ちで空を見上げると、さっきは冷ややかに見えた月の明かりが温かく僕を見守ってくれているようだった。

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