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◆不確かな約束◆しめじ編 第8章 下 導き
その日は観光のお客さんが多い日だった。私はいつものように、乗馬体験に来るお客さんを馬に乗せ、手綱を引き柵の中を廻っていた。
順番を待つ列の後ろに、社員旅行らしい女性が4名、新たに並ぶのが見えた。馬からお客さんを降ろし、新しいお客さんを馬に跨がらせている時、並ぶ列の向こう側に、記憶にある影が見えたような気がした。
列に並ぶ人の隙間からもう一度確認してみた。
〈えっ 嘘でしょ。やっぱり、シュウだ〉
動揺した。直ぐに馬の反対側にまわり、自分の顔がシュウから見えないようにした。一瞬、こちらを見たような気がした。
〈見つかっただろうか?〉
私は直ぐにでも駆け寄りたい気持ちを抑えて、馬を引いて歩き出した。
〈次に近づいた時に声を掛けようか〉
〈いや まだだ、、、まだ会って話しをするべき時ではない〉
遠くから楽しそうな、懐かしい声が聴こえた。
〈シュウ。元気そうで良かった〉
私の動揺を悟った馬が、落ち着きなく歩く。
〈いけない。ちゃんとしなきゃ〉
心を落ち着けようと努力するが、うまくいかない。
休憩時間に来場予約の名簿を調べた。
【○○映像㈱】おそらくこれだろう。都内からのようだ。
〈へー シュウはまた東京に戻ったのね〉
まだ胸のドキドキがおさまらない。前よりも少し逞しい体つきになっていたような気がする。嬉しい半面、私には気付かなかったのだろうか?何故?ただ見えていなかっただけ?それとも、私の残像さえも頭に残っていないほど、遠い存在になってしまったのだろうか? という不安が渦巻いていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
次の日、仕事が休みだったので、モヤモヤした気持ちを解消するためドライブに出掛けることにした。車は山梨に越して来てから買い替えた、赤い中古のコンパクトカー。山道ばかりのこの土地でも、快適に走る。
海が見たかった。いつもよりボリュームを上げ、好きな女性アーティストの曲を流した。窓を開けて新鮮な空気を浴びながら、西伊豆を目指した。天気も良く、最高のドライブ日和だった。
途中、沼津の市場に寄り、海鮮丼を食べた。新鮮なお刺身が丼ぶりいっぱいに乗っていた。アオサの味噌汁は落ち着く味だ。美味しいものを食べて少し元気がでた。
土肥に向かい、そのあとは海岸沿いを堂ヶ島まで走らせた。堂ヶ島に到着し、車を駐車場に停め、しばらく海を眺めた。海を見たら、逆に不安な気持ちになってきた。
〈何故? なぜ昨日、私はまだ会って話しをする時ではないなんて思ってしまったんだろう? 別に良いではないか。7年という自分が決めた歳月に拘っているだけなのだろうか? わからない。〉
気分を変えるため、遊覧船に乗る事にした。その、洞窟めぐりをする遊覧船は人気らしく、大勢の人が並んでいた。私もその列に並び、船に乗り込んだ。
空も海も青く澄み渡り、潮風が気持ち良かった。
このクルーズのクライマックスに差し掛かった。天窓洞。天上部分の岩の間から日光が射し込む。通称、青の洞窟と呼ばれる神秘的な光景。この船に乗っているほぼ全員がカメラやスマホで写真を撮っている。
この世のものとは思えない、美しく妖しい空間に、私は妙な感覚に陥った。体がフワフワとするような、なんとも言えない恍惚感に包まれていた。なんだか頭がクラクラとしてきた。船に酔ったわけではない。むしろ、気持ちが良いくらいだ。
遊覧船が、射し込む光に包まれた瞬間、船内の隅からこちらを見ている男と目が合った。そこには1年前に遊園地で出会ったナオキ君の姿が。
彼はスポットライトを浴びているように写し出されていた。まるで、光と共に現れたかのようだった。
「やあ やっと会えたね」
彼は私に近づいてくると、そう声を掛けてきた。私は返事が出来ないまま、ただゆっくりと頷いた。
「時が来たようだね。君は今、複雑な心境の中にいる。そして俺のことを求めているはずだ」
「複雑な気持ちでいることは当たっているわ。でも、あなたのことを求めているなんて決めつけないで欲しい」
「ホントにそうかな」
私は彼から目を反らし、取り合わないフリをした。
遊覧船は青の洞窟を抜けて、また眩しい海原を進んでいた。隣に座った彼は、イヤホンをつけて音楽を聴きながら、平然と景色を眺めている。
私はさっきの青の洞窟での神秘的な光景、その光の中に突如現れた彼の姿を頭の中でずっと反芻していた。そこへ彼の言葉が重なる。
「俺のことを求めているはずだ」
〈なぜ私があなたを求めなくてはならないの?〉
〈私があなたを求める理由なんてないじゃない〉
〈時が来た ってなによ〉
〈複雑な心境だったらなんだって言うのよ〉
〈シュウと会ったから?〉
〈動揺している。予期せぬ再会に⁉〉
〈私がシュウに声を掛けられなかったことに⁉〉
〈まだ会って話しをするべき時ではない と思ってしまったことに⁉〉
〈私が思った“時„と、ナオキ君が言う“時„ってどう違うの?〉
〈私はシュウと まだ話す“時„ではないと思った。ナオキ君は、私が彼と寝る“時„が来たと言っている〉
〈ナオキ君は、ただそれが“わかる„ と言っていた〉
〈私もまだシュウと話すべき時じゃない と“思った„〉
そのふたつは同じ事のように思えてきた。
気がつくと、船着き場へと到着していた。乗客が次々に船を降りている。船内にも並ぶ列が出来ていた。
「さあ 行くよ」
ナオキ君が私の手を握り、引っ張り上げて立たせた。そのまま列の最後尾に並ぶ。
船を降りて陸へと上がった。
「車で来たんでしょ。君の車はどこ?」
私は右手を上げて指を指した。ふたりで手を繋いだまま私の車へ向かった。
「鍵をかして」
カバンの中から探るように鍵を取り出し渡した。
彼は、ロックを解除し私を助手席に座らせると、運転席に乗り込みエンジンをかけ、車を走らせた。
山道に差し掛かったところのラブホテルに車は滑り込んでいった。
私は彼と寝た。
抱かれている間、ずっと頭の中を青の洞窟と、そこに差し込む光が浮かんだ。私は行為の間、何度かその光に包み込まれるような恍惚感を味わった。
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