陽の当たらぬ部屋で(改正版2)
母は「ようやく父との離婚を決心することができたのだ」と言った。
「だから、その為には娘ふたりを食べさせていくだけの金を稼がねば」とも。
母は0から100へと一気にギアを加速させた。
昼間は会社の事務、夕方からはドラッグストア、深夜はスナックでと3件の仕事を掛け持ちした。
睡眠時間は1日3時間程度。
シフトの関係で、毎日すべての仕事に行くという訳ではなかったが、空いている時間の殆んどは睡眠にまわしていたから、私と会話する機会は極端に減った。
そして私は小学校へ登校するようになった。それはちょうど5年生の新学期が始まるタイミングだった。
長い期間を不登校だった私は、教室の雰囲気に緊張した。
ひとつの部屋にいろんな声が聞こえてくる。そんな状況が怖かった。
でも、クラスの皆は余計な詮索などせずに、自然に振る舞ってくれた。1ヶ月もしたら、友達が何人か出来た。友達が出来ると、教室の雰囲気も気にならなくなっていた。
勉強の方は、家でも算数や漢字のドリルはやっていたので、5年生の終わりにはなんとかついていけるようになった。
私が学校へ通い始めたのとほぼ同じタイミングで父はアパートを出て行った。後から姉に聞いた話によると、半年くらい前から離婚は決まっていたらしい。母が父に離婚を切り出し、父はそれほど抵抗せずに受け入れたということだ。
母と姉と私の3人での生活が始まった。母が知り合いから猫を2匹もらってきて父の隙間を埋めた。いや、実際には父親などの最初からいなかったかのように私達の生活は自然に流れていった。
父はとなりの街のマンションでひとり暮らしを始めていた。
月に2回くらいの割合で私と姉を食事や遊びに誘い、私と姉は3回に1回くらいの割合でその誘いを受けた。
が、父と食事や遊びに行った帰り際の、あの各々が感じる独特の重苦しい雰囲気が私は嫌いだった。
夏休みの後半、父と遊びに行く約束をした。
前日になり姉が急に行けなくなったので、私もキャンセルさせてもらおうと思ったが、母から「それじゃお父さんが可哀想でしょ」と言われ、私ひとりで父が待つ隣街の駅まで向かう事になった。
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