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七つの子(8)
あの男から一刻も早く遠ざかりたかった。
玄関に入っても子供達はなかなか靴を脱ごうとしない。
「いいかげんにしなさいっ」
右手が勝手に動いていた
しまった
やってしまった
あの男の不気味さを感じて、気持ちが不安定になっていた。
わたしは可愛い息子と娘に手をあげてしまった。
ふたりの子供達は一瞬、おどろいた表情を浮かべたあと、ぶたれた左頬を押さえると、波の音さえ消すことができるほどの更に大きな声で泣きはじめた。
しかし、カァーっと血がのぼった頭は、抑えたい気持ちとはまた別の行動をとらせる。
「あんた達が言うこときかないから悪いのよ」
泣きじゃくる子供達の靴を剥ぎ取るように脱がせた。
ふたりを無理やり両手に抱えあげ、家に上がろうとしたその時、玄関の扉が開く音がした。
うしろを振り返る前に、背中に衝撃がはしった。
勢いでふたりの子供を抱えたまま床に倒れ込んだ。
わたしは両手が塞がっていたので受け身がとれず、顎をしたたかに打ちつけた。
息子と娘はふたりとも頭から落ちてしまった。
大丈夫だろうか。
「いたいよー。いたいよー。ママー。いたいよー」
「ぐうぇーーん。うわぁーー。」
娘の、それから息子の泣き声が聞こえた。
ふたりの様子を見ようとしても、体が動いてくれない。
口の中にジャリっとしたものを感じた。
奥歯が欠けてしまったようだ。
顎が火傷したように暑い。
背中にも、じんじんと焼けるような傷みが襲ってきた。
誰かがわたしの背中の上に馬乗りになった。
誰かって、
それは彼しかいない。
今度は右肩に衝撃をうけた。
なんとか首だけ動かしてうしろを見ようと試みる。
彼の右手が見えた。
手には錐(きり)を持っていた。
昨日、庭で娘用の椅子を作るために使い、今日もまた使うつもりでそのまま置きっぱなしにしていたものだ。
彼の右手が降り下ろされた。
首に錐が突き刺さった。
「子供を叩いちゃダメでしょっ」
彼の口から放たれた言葉。
彼がわたしの首から錐を抜くと、赤い液体が勢いよく飛び散った。
刺された首を手で押さえる。
強く押さえても、温かい液体がどんどん溢れてきてしまう。
押さえていた右手にも錐が刺さった。
激痛が走る。
殺される
痛みで体を捩って仰向けになった。
遠退きそうな意識の中、彼を見る。
なんだか今にも泣き出しそうな悲痛な顔をしている。
彼の白いシャツの胸やら袖は、赤く染まっていた。彼の顔、左側の壁にもわたしの血液が。
「やめろーーっ」
息子が彼の左腕にしがみついた。
「おっ たくましいね。お母さんを助けたいのかい。でも、これじゃお母さん死んじゃうね」
彼がわたしの上から退いて、中腰の姿勢で息子に語りかける。
「君達、お母さんいなくなったら寂しいでしょ。だから、お母さんと一緒に天国へ連れていってあげる」
息子の短い叫び声が聞こえた。
彼はわたしの頭の向こうを横切って、娘の方へ移動する。
やめてーーーっ
叫んだつもりだった。
でも開いた口の中で、血の泡がゴボゴボいっただけだった。
娘の泣き声も聞こえなくなった。
彼はわたしの脇に屈み込んだ。
瞳にはもう何も写らない。
涙だけがただ流れ続ける。
「ママー。泣かないで。大丈夫だよ。ママが安心して眠れるように、ぼくが子守唄を歌ってあげるね」
そして彼の歌声が聴こえてきた。
それは今まで聴いたことのない、地獄の門を開けるときのようで切なく、それでいて安らげるような奇妙な歌声だった。
きこえるように きこえないように
うたってあげる きみだけに
きみがみるゆめ きこえないように
まよいをあげる いつまでも
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ぼくは唄い終わると、彼女の胸に顔を埋めた。
温かかった。
やすらぎと母親の温もりを感じた。
このまま一緒に眠ってしまいたいと思った。
「ママー。おやすみ」
最後に、寝ているお母さんの心臓をひと突きした。
立ち上がった。
ぬめっとしたものに足をとられて、滑りそうになった。
床一面が血だまりになっていた。
赤、赤、赤。
「ふーーっ」
深いため息が出た。
お母さんを抱き上げようとしたが、力の入っていない体を持ち上げることはできなかった。
仕方なく、両足を持って引き摺った。
玄関の扉を開け、赤い車へと向かった。
車の後部座席になんとか寝かせることができた。
子供達も一緒に乗せていこうと思っていたが、もう力は使い果たしてしまった。
車を出し、高速道路に乗った。
夕焼けが視界を真っ赤に染めていた。
まっかだなー まっかだなー つたーのはっぱがまっかだなー もみじのはっぱもまっかだなー しーずむゆうーひにー てーらされてー まーっかーなほっぺたの きーみとぼくー
まぶしいなー。
でも赤ってやっぱり好きだなー。
小学一年生の参観会に一度だけ、母親が来てくれたなー。
その時にこの歌を歌ったっけ。
あとで、じょうずだったよ って誉めてくれたんだった。
それにしても血って、あんなに体の中に入ってるんだなー。
すごい量だったなー。
でも、匂いがダメかも。
なんか気持ち悪くなってきた。
ぼくは高速のパーキングエリアに車を停め、トイレに駆け込んだ。
歩いている人達が、みんなぼくの方を見て、ギョっとした顔をしていた。
トイレの便器で吐き、洗面台の鏡の前に立つと、そこには血だらけのぼくが疲れきった顔で写っていた。
♦♦♦♦♦♦🚌♦♦♦♦♦♦
・・・・・・
*〈レコーダー〉は黒夢のEITHER SIDE をこの記事の作者が歌ったもの
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