もう朝なんて来なくてもいいのに
大晦日の陽が暮れ始めた頃、僕はいつもの歩道橋へと向かった。
君がいつ現れるかわからないので、ダウンジャケットにマフラーとニット帽、それから手袋までして完全防寒装備で待った。
いつものようにテールランプの数をかぞえた。
何も考えずに、ただ数字だけを頭の中で重ねていった。
次第にそれが何の数だか判らなくなり、コンビニへウイスキーのミニボトルを買いに行った。
コンビニで時計を見ると、既に年を超えていた。
君と電話番号やメールアドレスの交換をしていなかった事がとても悔やまれたが、きっと君は教えてはくれなかっただろう。
だって、名前や年齢でさえ〈意味のない事〉なんて言う人なんだから。
歩道橋の上に戻り、ついでに買ったチキンを頬張った。ウイスキーを流し込むと、喉から食道、そして胃にかけて順番に熱を帯び、頭の中が一瞬、クリアになった。
そして、君はもうここへは現れないのだろうと悟り、その事実から逃れるためにまたテールランプの数をかぞえ始めるが、通る車の台数は疎らになっていた。
ぼーっと道路の先を見るともなしに眺めていると、次第に空が白く変わり始め、やがて建物の上から太陽が顔を出した。その神々しい眩しさに瞬きをすると涙が溢れた。僕はそれがちょうど潮時だと決め、自分の部屋に帰ったのだった。
初日の出を一緒に見ようと約束した君とは、それ以来一度も会う事は無かった。
僕の方も普通の通路としてしか歩道橋を利用しなくなった。
それから1年が過ぎ僕は大学を卒業して、地元の企業に就職した。
たまに歩道橋の上にショートカットの女性の姿を見つけると、君ではないかと期待してしまうのは仕方のない事だと自分を慰めている。
25歳になった俺はやさぐれていた。
毎日の仕事を適当にこなし、仕事が終わると酒を呑んだ。
ついでにタバコも吸うようになっていた。
人生なんかくだらねぇとくだを巻き、男女関係なく半分、世を捨てたような人間とばかりつるんでいた。
平日の休みで相手してくれる輩がいなくても、ひとりで呑んだ。
夏のクソ暑いある日、俺は海岸まで歩いた。
グリーンのサングラスを上にずらすと眩しい光が瞳孔を射貫く。
波の破片が銀色に輝き、生温い風が潮の香りを乗せて鼻腔を擽る。
俺は熱された堤防の上に腰掛け、手提げ付きの保冷バックを開く。
中から使い捨てのプラスチック製のコップを取り出し、山盛りのロックアイスとウォッカを5分の1、タッパーに詰めてきた櫛切りのレモンを3つそしてソーダを注ぎ込む。
一気に3分の1ほどを呷ると、全身の毛穴から汗が吹き出した。
片手で麦藁帽子を押さえながらジッポで煙草に火を点け、唇の端に咥えた。
サングラスをかけ直し、浜辺で水を掛け合う若いカップルを眺め、昔を懐かしんでいると、紺地に赤い花の模様が入ったアロハシャツの上に灰がポトリと落ちて、慌てて手で払う。
3杯目の酒を飲み干して視界からカップルが消えると、俺はサングラスを外し、アロハシャツを脱ぎ捨てて、海水に飛び込んだ。
いちど頭まで潜り、それから仰向けになって海面に浮かんでいた。しばらくして視線を感じ砂浜の方を見ると、不思議そうな顔でこちらを見ている1頭の犬と目が合った。
「そんな目でヒトのこと見るんじゃねえよ」
と言ってやったが、犬は理解していないようだった。
浜へ上がると、さっきの犬が尻尾を振って近づいて来た。
落ちていた枝を投げてやったら取りに行かないので、俺はその犬に興味をなくし、堤防へと戻った。
アロハシャツを肩に掛け、また酒を作り呷る。
煙草に火を点け、口に咥えたまま堤防の上に寝そべり、どこまでも深く続く水色の空を見上げる。
空の奥の奥まで覗こうとすると、宇宙の果てまで吸い込まれそうに感じ、恐くなったので目を逸らした。
俺はなんだか人恋しくなり「こんな場所、俺には似合わねぇや」と嘯いて、贔屓の飲み屋へと向かうことにした。
気付くと何軒も梯子していた。
散々に呑んだ午前5時、川沿いの道をひとり歩く。
ついさっきまでカラオケで滅茶苦茶に盛り上がっていたのに、急に所在不明の自己嫌悪感が襲ってくる。
ついさっき、最後の店からの帰り際、ママとハグをして別れた。
そのままタクシーに乗り込んで帰る気にはなれず、川沿いの道を歩いている。
川の水面に映る街灯の光が綺麗で、堤防によじ登って覗き込む。
しばらく水面を見つめていると、このまま飛び込んでもいいような気がしてくる。
試しに堤防の上に立ち上がり、歩いてみる。そのままよろけて深い川に沈んだらそれまでだと思ったが、案外しっかりと真っ直ぐ歩けて、しらけてしまい道路側に飛び降りた。
何故だか鼻の奥がツンとなったので上を向くと、星の瞬きが自分のことを嘲笑っているかのように見えた。
少し明るくなりかけてきた空に、また朝が来ちまったとうんざりした。