スパゲティを啜る人
パスタ、じゃなくて、
スパゲティを啜って食べる人が苦手。
と、婚活サイトのアンケートに記入した。
箸を使って食べる場合には、啜って食べる確率は高い。箸は元々、麺を巻き取って食べるようには作られていないから、蕎麦やラーメンのように箸で持ち上げる。麺がだらんと下に垂れるから、啜る。でも、海外から来た人は、箸でも器用に巻き取って啜らず食べたりする。
フォークを使っても啜る人は啜る。上手く巻き取れないというよりは、せっかちなのだろうか。とにかく早く口に放り込みたいといった風に見える。
どちらにしても、わたしはスパゲティを啜って食べる人が苦手だ。啜って食べる音はわたしに、おまえも早く食えと不快感と共に迫ってくる。
他にも苦手や嫌いな事はあったけど、あまりネガティブな事ばかり書いても良くないと思い、それだけにした。
好きな事や相手のタイプや趣味については、ものすごく迷った。迷ったというよりは記入すべき事柄が、殆ど思いつかないのだ。
食べること、やさしい人、読書。
結局、よくありがちな答えしか書けなかった。
それでも始めて3ヶ月の間に、何人かの男性とマッチングが成立し、会ってみた。
年齢、背丈、出身地などは様々ではあったが、共通して皆、行儀が良かった。
こういう出会いで、最初に会う場所といったらカフェか食事できる所だけれども、マナーなんかは特に気にしてくれているようで、不快なところは全くないし、話題も用意してきてくれて話に困るような場面も殆どなかった。どなたと会ってもみんな紳士的で、一度や二度では欠点などまるで見つからなかった。
でもその後、また会いたくなるかというと、誰ともそうはならなかった。それだから何人とも会ってみたりする事になったのだけれども。
そんなある日の仕事帰り、高校時代の同級生であるヤスマサ君に、地元の駅を出たところでばったりと会った。見つけて声を掛けたのは彼の方からだった。
「おっ、エリじゃん。随分と久しぶりだなー。おまえもそういう格好していると、少しは綺麗な女性に見えるな。あっ、いま仕事帰りか。どうせ暇だろ。ちょっと飯つきあえよ」
彼が一気に捲し立てるように話すので、わたしは何も口をはさめず、「うん」とだけうなずいて彼のあとに付いて歩いた。
15年ぶりくらいに会った彼は黒のスーツ姿で、当たり前だが随分と大人の雰囲気になっていた。胸がドキンと脈打った。彼とは高校3年の時、1年に満たないくらいの間だけ付き合っていたのだ。
駅前のカジュアルなイタリアンのお店に入り、案内された席につく。
「お姉さん、俺、カルボナーラ、大盛りでね。それと生ビールも頂戴。喉が渇いてるから、なるはやでよろしく」
と、まだメニューも開いていないのに自分の分だけ注文する。
「エリはゆっくりとメニュー見て選べばいいからな。どうせまだ今でも選ぶの遅いんだろ」
「はいはい。ゆっくりと選ばせていただきますよ、わたしは。それにしても、ヤスマサ君ってそういうとこホントに変わってないね」
「なんだよ、ヤスマサ君って。気持ちわりいなぁ。ヤスマサって呼び捨てでいいよ。高校の頃みたいに」
彼はそう言うと、テーブルに置かれたばかりのビールを一気に飲んだ。再びテーブルに置かれたジョッキは半分近くまで減っていた。
それからわたしは一頻りメニューを吟味してから、海鮮ジェノベーゼとアイスティーを注文した。わたしがメニューを見ている間にも、彼はジャケットを脱ぎネクタイをゆるめながら、ずっとなにやら話しかけてきていたが、無視した。彼の話にいちいち対応していたら、いつまでたってもオーダーが決まらない。
「なぁエリ、おまえまだ結婚してないのか」
彼が唐突に訊いてきた。
このひとは昔からそうだ。話にも行動にも前置きというものが存在しない。それでいつもわたしは振り回されていたのだ。
別れも突然だった。
「俺たち大学で別々になっちゃうじゃん。だから今のうちにもう別れておこう。俺は遠距離恋愛なんて信用してないから。離れていたらどうせお互いにそっちで違う相手をみつけるだろうし、毎晩電話で無駄な時間を費やすのなんて馬鹿らしいからな」
その時もわたしは頷くことしかできなかった。言いたいことはたくさん頭に浮かんできたけれど、言っても無駄だと思った。
「わたしもう帰るね。向こう行っても元気でね。じゃあ、バイバイ」
わたしは彼と一緒にいるのが辛くなって、それだけ言って先に帰った。わたし達はそれっきりだった。
「おい、エリ。なにボーッとしてるんだよ。おまえ大丈夫か」
「別に。大丈夫だよ。ヤスマサは昔から変わってないなって思っただけ」
「おう、相変わらず男前だろ。また俺に惚れたらヤケドするぜ」
「馬鹿なこと言わないでよ。二度とあなたのことなんか惚れるわけないでしょ」
「ハハハハ、そんなにムキになって否定しなくてもいいだろ。冗談だよジョーダン。で、どうなんだよ。結婚」
「わかってるわよ、そんなこと。で、結婚ねー。早くしたいんだけど。まだご縁がありませんで」
「そっか、まあ焦ることはないよ。エリは何でも慎重でやることが遅いから。そのうち適当な相手、見つかるさ」
「もー、本当にあなたはいつも上からなんだから。でも、ヤスマサはもう結婚したのね、その指輪」
左手の薬指にはプラチナだろうか、銀色のシンプルなデザインの指輪がはめられていた。
「ああ、去年籍入れたんだ。子供が出来て。相手の親父さんには、娘を不幸にしたらただじゃおかない。なんて脅されながらだけど」
ヤスマサは指輪を右手でくるくると回しながら、笑った。屈託のない笑顔もあの頃のままだ。また心臓がひとつ大きく波うった。
「そう、それはおめでとう。」
「サンキュ。まさか俺が子供を育てるなんてな。考えられないだろ」
「そんなことないよ。あなたは子供と同レベルで遊べる、いい父親になると思ってたよ」
「なんだよそれ、誉められてるのか、貶されてんのかわかんねーよ」
「最大級に誉めてあげてるのよ」
ふたりで笑っていると、カルボナーラと海鮮ジェノベーゼが運ばれてきた。注文のタイミングに7、8分の誤差があったが、お店の人が気を使って一緒に作ってくれたのだろう。それでなければヤスマサが全部食べ終わった後で、彼に見られながら食べなければならなかったので、助かった。わたしはひとに見られながら食べるのが昔から苦手なのだ。
「おっ、今日も旨そうだねー。俺、ここのカルボナーラがめちゃくちゃ好きなんだよ。でも、そっちのも旨そうだな」
「へー、ここよく来るんだ。じゃあ、お祝いにこのエビをひとつあげましょう」
「えっ、いいの。サンキュ。俺、エビちゃん大好きなのよね」
「知ってる」
と、小さな声で呟いた時にはもう、わたしの皿からエビをフォークで刺していた。
ズズズズズズ、ちゅるん。
彼はスパゲティを啜って食べる。夢中で。食べてる時は真剣だ。会話など全くしない。
わたしは麺を何度も適量になるように巻き直しながら、高校の卒業式のあと、あの別れ話をしたパスタ専門店での事を思い出していた。
お店に入るなり、彼はメニューを見ながら
「なんでわざわざ〈パスタ〉なんてかっこつけて言うんだろーな。スパゲッティーでいいだろ、スパゲッティーで」
「確かにそうだけど、スパゲティってパスタの中の種類のひとつなのよ。このお店にもスパゲティの他に、マカロニとかリングイネとかカッペリーニとかラザニアもあるでしょ」
「へー、ラザニアもパスタだったのか。種類があることくらいは知ってたけどな。じゃあ、パスタが3年2組で、スパゲッティーやマカロニやラザニアやらなんやらが、俺だったりエリだったり、その他のクラスの連中だったりするわけだな」
「だいたいそーだけどさ、その例えへたくそ過ぎない。どうせ例えるならもっとうまく例えてよね」
そしてふたりで大笑いしてた。
あの日も彼はミートソースのスパゲティをおもいっきり啜って食べていた。
「フォークなんてめんどくせぇ。箸をくれ箸を」
なんて言いながら。
わたしは、彼の白いシャツに飛び散ったミートソースの染みを、ナプキンに水を染み込ませて軽く叩いて拭いてあげていた。
幸せだったなぁ。あの瞬間までは。
「なにまたボーッとしてんだよ。早く食えよ。本当に相変わらずだな。俺、もう食い終わるぞ」
「わたしはゆっくり食べたいの。それにあなたみたいに下品な食べ方したくないし」
「下品だってー。言ったなー。おまえ昔から俺のことそんな風に思ってたのか」
「うん、思ってた」
「なんだってー。そりゃひどいよエリ。酷すぎる」
ヤスマサは大袈裟な身振りで、おどけてみせた。
わたしは笑いながら、右手に持ったフォークでスパゲティを巻き、左手にナプキンを2枚重ねて持った。
彼がテーブルに飛び散らかしたカルボナーラのソースを拭きながら、婚活サイトのアンケートの好きなタイプのところに、❮スパゲティを啜りながら食べて、ソースを飛び散らかす人❯なんて書いてみようかしら。なんて考えてひとりでクスッとしてしまった。
「おまえ何さっきからひとりでニヤニヤしてんだよ。まったく昔からなに考えてんのかわからねぇとこ、変わらねぇなぁ」
「あなたが自分の子供と一緒にスパゲティを食べて、ふたりでテーブルや服や顔をソースで汚しているとこ想像したら可笑しくなっちゃったのよ。でも、いいなー。子供。わたしも頑張って早く赤ちゃん生もっと。まだ相手はいないけどね」
「おまえに子供が生まれたら、子供から『ママ食べるのいつも遅い』って文句言われるぞ」
またふたりで笑った。
こうやって、ふたりでくだらない話で笑いあえる人がいい。
フォークで丸めとったスパゲティを口に運びながら、そうわたしは思った。
【おわり】