天女魚(アマゴ)～神の宿る滝～改正版

崖の上から勢いよく流れ落ちる滝の水。
水の塊が連なり、下を流れる渓流の水面を叩き割るかの如く打ちつける。
人々は滝のあまりの凄まじさ故、その音を聴けばあらゆる邪悪な絆を断ち切り、そして洗い流し、また新しい縁をもたらすと信じている。
そこに確かに神は宿っていた。
だが、その滝壺に宿る神にとっては人間の事情などには興味もなく、ただ怒りにまかせ水面を打ちつけているに過ぎぬのかもしれない。

レモンイエローの三日月が空に浮かぶ夜、渓流の魚たちは岩影に隠れ静かに休息をとっている。
しかし、そんな夜更けに渓流を泳ぐ影がある。
影は、落ちる水の勢いで深く掘られた滝壺の底へと潜り、気泡に紛れながら自在に泳ぎまわっている。その優雅な姿に見惚れているのか、滝の音が僅かに小さくなったように聴こえる。
月の輪郭が青白く縁取られ、滝壺を蒼く照らし始めた。
泳ぐ影は落ちる滝の手前で浮かび上がり、そして水面から飛び跳ねる。月のライトに映し出されたそのシルエットは一瞬、渓流の女王と呼ばれるアマゴのように見えた。だが、天に向かって伸ばされた掌は間違いようもなく人のものである。
それは岸辺に向かい、浅瀬で立ち上がった。
身に纏った薄い衣は苔の色に似ており、丸く膨らんだ胸やくびれた腰に張り付く。
女だ。

女は臍の前で両手を組み、月を見上げ唄い出す。
その声量はそれほど大きくないものの、まるで滝の音とは別の空気を震動させているかのように不思議と響いた。
その音色は滝の音を邪魔することなく寧ろ、その音に寄り添うようにハーモニーを奏でた。
女の唄う歌は言葉として意味を成してはいなかったが、祈りを感じることができた。
女は濡れた衣を脱ぎ、岩に向かって放り投げ、そして踊り始める。
突き上げた腕は指の先まで女の魂が行き渡る。
女の身体には、アマゴを見分ける為の印とも言える朱色の斑点が、体内からの熱によって浮かび上がっていた。
女は次第にテンポを上げ、狂ったように踊っている。
全身から湯気が立ち昇り、女はその白い湯気の衣を身に纏う。
高い声をあげ、しなやかに飛び上がると空中で両手を広げ、決めのポーズを作った。
それから女は精魂尽きたように岩の上で崩れ落ちた。

張りつめていた空気が和らいでいくのを感じる。
女の放った祈りのエネルギーが、ほんの一時だけ滝に宿る神を宥め安らぎを与えたのかもしれない。
心なしか、滝の落ちる音も軽やかに聴こえてくるような気がした。

また別の雨の夜。
水溜まりで踊る女。
道路脇の水溜まりに街灯の灯りが浮かび、金色が揺れる。
白のミュールが水を蹴り上げる。
女の足下に残った水は元の状態に戻ろうとし、金色は闇の黒と混じり合いそうに見える。
だが、光と闇は決して溶け合うことはない。

女はゆるりと舞う。
仮面をつけたように、そこに表情はない。
はらはらと散り落ちる葉の如く、体全体で表現する。
落ちた葉は地上で静止し、代わりに雨粒が跳ねた。
赤いスカートがふわりと膨らみ、女は闇の中へと消えていった。