葡萄の季節(季節の果物シリーズ②)
お盆のあとも僕とあなたは朝の海岸で会っていた。
台風が来て2日間会えなかった時には、もうあなたに会えなくなるのではないかと心配したが、翌日にはちゃんとあなたは来てくれた。
台風の影響で砂浜にうちあげられた流木や、様々な人間が作り上げたゴミを二人で拾い集め、一ヶ所に纏めながら話をしたね。
「ねえ、私ね、今度、山梨の実家に遊びに帰ることになったんだけど、君も一緒に来ない?」
もちろん快諾したさ。
8月が終わりに近づき、猛暑も一段落した薄曇りの日の午前、僕は親の車を借り、あなたを乗せて山梨へと向かった。
僕の実家から山梨までは最近、縦断道が出来たので呆気ないほど早く到着してしまった。
昼前にはあなたの実家の近くまで来てしまったので、先に昼食をとることにした。
折角、山梨に来たのだからと、ほうとう鍋のある食堂に入った。
だが、まだ夏だ。
暑いほうとう鍋を食べる気にはなれない、と店に入ってから気づく。
すると、あなたが冷たいほうとうもあることを教えてくれた。
〈おざら〉だったね。
その店では冷やしたほうとうをザルに乗せ、野菜やらキノコがたくさん入った汁を小さめの丼で提供された。
普通のほうとうよりは少し細目の麺で、つるつるしこしことのど越しが良く、醤油ベースの出汁の効いたスープも美味しかった。
途中、僕が着ていた白いTシャツに汁を飛ばすとあなたは、まったく仕方ないわねぇ、というような笑みを浮かべながら、おしぼりで拭いてくれたよね。
食事が終わり車に乗り込んで、美味しかったね、と僕が言ったら、うん、美味しかったね、とあなたが返してくれた。
僕はそんな遣り取りだけで、とっても幸せを感じられたんだ。
お昼を過ぎて1時間ほど経った頃、僕達はあなたの実家に着いた。
あなたはリラックスした笑顔で、ただいまーっ、と元気良よく玄関に現れたご両親に挨拶をした。
僕は緊張しながらなんとか笑顔を作り、持参した〈生しらすの塩辛〉の瓶詰めを渡した。
あなたから事前に、お父さんは日本酒が好きだと教えてもらっていたから、これなら日本酒のあてに丁度いいだろうと思って。
家の中に通されて出してもらった麦茶を飲みながら、あなたはご両親と雑談していた。
僕は手持ちぶさたでテレビを見ているふりをしながら、時折ご両親から向けられる質問に答えていた。
一頻り雑談が終わると、葡萄畑へ行こうということになった。
ウチの葡萄はとーっても美味しいんだよ、とあなたは嬉しそうに僕を誘ってくれた。
あなたの家の周りには広い畑が並んでいて、葡萄や梨やサクランボや無花果、それからこの間のバーベキューの時に食べた桃などを栽培していた。
大きなビニールハウスに案内されると、ハウス内は思ったよりは暑くなく、葡萄の芳醇な香りが凝縮されていた。
そのハウスでは、黒に近い青紫色をした大きな粒の葡萄が育てられていた。
ピオーネという品種だったね。
あなたのお母さんがハサミで枝を切り、一房葡萄を手渡してくれた。
一粒もぎ取って口に入れる。薄緑色の透き通った大粒な果肉はからは、濃厚でジューシーな汁が口いっぱいに広がった。
あなたも一粒、口に運ぶ。
葡萄にに吸いつくあなたの唇を見て、僕はひとり密かに興奮したものだった。
あなたは幸せそうな笑顔で僕に目配せをした。
ねっ、とーっても美味しいでしょ、って。
「この子ったら幼い頃、このピオーネが大好きだったんだけど、これ実が大きいから口に入らないくらいで顎から胸までビチョビチョに濡らしちゃって、それでも次から次へ口に運んでたのよ」
あなたのお母さんはそう言って、お父さんと目を合わせて笑った。
「お母さんたらもー、恥ずかしいからやめてよー」
あなたは照れてそう言いながら、僕と目を合わせて笑ったのだった。
「そろそろ帰ろうか」
夕方になりあなたが言うと、あなたのご両親は寂しそうな顔をした。
「泊まっていけばいいのに」
というあなたのお母さんの言葉を、明日は朝から用事があるからと、あなたは断った。
二人で車に乗り込むと、僕の両親にお土産にとシャインマスカットを持たせてくれた。
「本当に綺麗な色してますね。これってけっこう高価ですよね。僕、これまだ食べたことないです」
「それ、本当に甘くて美味しいんだよ。皮ごと食べられるからね。じゃあ、ご両親によろしく伝えておくれ」
あなたのご両親はとても親切で優しい素敵な人達だと思った。
あなたはあのご両親に育てられたからこそ、優しい素敵な女性になったのかと納得させられた。
帰り道、君の提案で下道を走ることにした。
山道のカーブが心地よく、快適なドライブだった。
あなたの住むアパートの前に着くと、あなたは急に黙りこんだ。
今日は楽しかったね、と僕が言ってもただ頷くだけ。
どうしたの、と訊くと突然、僕の方を向き目を閉じた。
これはもしや、とその時の僕は一気に頭の中をぐるぐると回転させた。
うん、間違いない。
僕はあなたの肩を軽く掴んで、あなたの唇に己の唇を重ねた。
あなたの唇はピオーネのように芳醇な味がした、ような気がした。
「もう少しで夏休みも終わりだね。君と離ればなれになっちゃうね」
僕もそれが気になっていた。
僕が東京に戻ったあと、僕達はどうなってしまうのだろうと。
❮葡萄の季節❯おわり
連続短編である、この記事の前の記事はコチラ