陽のあたらぬ部屋で〈続き〉
母は「ようやく父との離婚を決心することができたのだ」と言った。
「だから、その為には娘ふたりを食べさせていくだけの金を稼がねば」とも。
母は0から100へと一気にギアを加速させた。
昼間は会社の事務、夕方からはドラッグストア、深夜はスナックでと3件の仕事を掛け持ちした。
睡眠時間は1日3時間程度。
シフトの関係で、毎日すべての仕事に行くという訳ではなかったが、空いている時間の殆んどは睡眠にまわしていたから、私と会話する機会は極端に減った。
そして私は小学校へ登校するようになった。
4年近く不登校だった私は、教室の雰囲気に緊張した。
ひとつの部屋にいろんな声が聞こえてくる。そんな状況が怖かった。
でも、クラスの皆は余計な詮索などせずに、自然に振る舞ってくれた。1ヶ月もしたら、友達が何人か出来た。友達が出来ると、教室の雰囲気も気にならなくなっていた。
勉強の方は、家でも算数や漢字のドリルはやっていたので、5年生の終わりにはなんとかついていけるようになった。
5年生から6年生に上がる春休み、父はアパートを出て行った。
あとから姉に聞いた話によると、半年くらい前から離婚は決まっていたらしい。母が父に離婚を切り出し、父はそれほど抵抗せずに受け入れたということだ。
同じ地域の少し狭いアパートに引っ越して、母と姉と私の3人での生活が始まった。母が知り合いから猫を2匹もらってきた。
新しいアパートで唯一、陽が射し込む窓には厚い遮光カーテンが掛けられ、こちらでも部屋の中はいつも暗かった。
母は変わらず忙しく働いていたし、姉は高校生となり帰りが遅くなった。
私は学校が終わってから姉が帰宅するまで、猫を撫でながら本を読んで過ごした。それは私にとって癒しの時間であった。
姉とふたりきりになると、喧嘩することが増えた。姉が口うるさくなってきたからだ。早くひとり暮らしをしたいとその頃から思い始めた。
父はとなりの街のマンションでひとりで暮らしていた。
月に1度くらいの割合で私と姉を食事や遊びに誘い、私と姉は3回に1回くらいの割合でその誘いを受けた。
姉は部活や友達との約束で忙しく、私もひとりでは行く気になれなかった。
食事や遊びに行った帰り際の、あの各々が感じる独特の重苦しい雰囲気が嫌いだった。
父もそう感じたからなのか、私達が断る割合が多いからなのか、父からの誘われる間隔がだんだんと開いてきた。
私が中学生になると、会う回数は年に2回程になっていた。
その頃、私は男友達数人と一緒に遊ぶようになっていた。
〈またつづく〉