◆映画批評・「香川一区」(監督大島新)「なぜ君はデジタル大臣になったのか」(ネタばれあり。※画像は公式サイトより)
ライティング活動を始めました。趣味の映画や文学作品のほか、社会問題などをテーマに評論やコラムを不定期で上げていこうと思います。この世界の片隅から響く「負け犬の遠吠え」のようなコラムです。お楽しみください。記念すべき第一回は、ちょっと今更ながらという感じはありますが、話題の映画「香川一区」について論じます。
「香川一区」は、2021年秋に行われた衆議院議員選挙香川一区で、政権与党自民党の平井卓也・元デジタル担当大臣と野党統一候補で立憲民主党の小川淳也元衆議院議員らが繰り広げた選挙戦を記録したドキュメンタリー映画である。本作のメガホンをとった大島新は「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」などで知られる映画の巨匠大島渚(1932~2013年)の次男。大島は本作の制作を衆院選前に発表。衆院香川一区の有権者の選択が映画の結末を左右するという趣向が話題を呼んだ。
本作は、同じく香川一区を舞台に2017年衆院選を追ったドキュメンタリー「なぜ君は総理大臣になれないのか」(2019年公開、以下なぜ君と略す)の後日譚である。衆院香川一区は県庁所在地の高松市と小豆島の2郡からなる選挙区で、小川と平井は2003年からの過去6回の選挙で争っている。小川は高松市の小さな理髪店を営む父母の家に生まれ、東京大学卒業後に総務省官僚を経て2003年に初出馬した。対する平井は、祖父、父が国会議員という政治家一族の生まれ。所謂「三世議員」だ。祖父の太郎は地元のテレビ局西日本放送の創業者で、地元シェア6割を占める地方紙「四国新聞」の社長も務めた人物。四国新聞は現在、平井の母温子が社主を務め、弟龍司が代表取締役社長の座に就いており、過去にも選挙の折にはたびたび紙面上で平井を援護射撃している。一族3代にわたって築き上げてきた強固な地盤を継承し、地元メディアの情報力もバックにつけた「香川のメディア王」の前に、地盤も看板も鞄(金の意味)もない小川は選挙区で敗北し、比例復活当選をするという「苦杯」を幾度もなめさせられている。
〈もっと見たかった平井陣営〉
「香川一区」で興味をひかれた要素の多くは、「平井陣営」を取材した映像に由来していた。「香川一区」の劇中にはいくつかの「スクープ」が含まれている。政治資金パーティーを装った有権者からの巧妙な寄付募集。企業・団体選挙と思われる実態の一部などがそれだ。同作公開(2021年)時点で衆院選は終結しており、香川一区で小川が勝利したことは既に誰もが知る周知の事実。小川が勝利した背景にはたくさんの名もなき市民の協力があり、陣営が県内外からのたくさんの有志で連日にぎわっていたことも、小川自身や陣営のスタッフが選挙期間中に発信していたツイッターやインスタグラムなどの情報で知っている。それ故に「勝者」の物語には惹かれなかった。選挙戦の裏で繰り広げられていた熾烈な暗闘の方に食指を動かされた私の中では、同作を視聴していくにつれ、「敗者」となった平井陣営で巻き起こっていることへの好奇心が膨らんでいった。
だが、その好奇心とは裏腹に、大島班のカメラは平井から徐々に遠ざかっていく。はじめは衆議院議員宿舎でアクリル板を挟み対面でにこやかに取材に応じた平井だったが、選挙終盤に近付くにつれてフレームの中に映る姿はどんどん小さくなってゆき、最後は声が聞こえないまでになってしまう。カメラが遠ざかった原因は平井陣営の側にもある。選挙戦中盤に、平井に焦りが見え始める。平井家が経営する「四国新聞」が選挙情勢を報じる記事で「小川先行」と打った‹1›ことなども焦りに拍車をかけただろう。平井は情勢不利の原因を「なぜ君」の公開による小川の知名度向上に求め始め、「PR映画」とまであてこするようになる。周囲を取り巻く陣営の面々にも張り詰めた空気が立ち込める。街頭演説をする平井陣営にカメラを向ける撮影者に、「何の取材?」「許可取ってんのか?」と詰め寄り、仕舞いには警察へ通報する始末。平井陣営との摩擦を避けるかのようにカメラも次第に遠ざかっていく。街頭演説に立つ平井を取り巻く黒スーツの男たちを印象的に移すカット割りなどは、平井陣営の不気味さを際立たせる。
一方、小川サイドへのドキュメントは、議員宿舎で50歳の誕生日を祝う小川夫妻と娘の食事の様子を撮影するなど、政治家とはまた別の人間臭い一面を映し出す食い込みよう。新聞やテレビなどのメディアが追ってこられないような移動の車の中を撮影して小川の表情に迫るなど、小川陣営のドキュメントの「近さ」は劇中終始一貫していたように思う。
ドキュメンタリーは取捨選択の連続だ。撮影した膨大な映像の中から作り手が選び取って一つの物語を構成していく。その「構成」には作り手の価値観が色濃く反映される。政治性と言い換えてもいいかもしれない。大島は「なぜ君」を「PR映画」ではないとあてこする平井に「ひどいじゃないですか」と反論するが、小川陣営と平井陣営のドキュメントの不均衡は見過ごせないのではないか。平井にだって小川のような政治家とはまた違った一面があったかもしれない。だが、平井が選挙期間中に築いた壁の厚さゆえに、「香川一区」では国会でワニの動画を見てしまうような「人間臭さ」を目の当たりにすることはかなわなかった。
〈平井一族に垣間見える日本政治の「原風景」〉
総務官僚だった小川は人口減少や環境・エネルギー問題の解決に向けた政策をまとめた著書「日本改革原案:2050年成熟国家への道」(2014年、光文社)を刊行するなど、福祉や環境・エネルギー分野などに明るい所謂「政策通」だ。加えて、膝覆って有権者と話し、時に涙を流す実直な人柄も評判だ。「なぜ君」でも登場しているが、2017年の衆院選時、小川が所属していた民進党が、小池百合子東京都知事が結党した希望の党との合流を決めた時も、希望の党からの推薦をもらうことに納得がいかない有権者を集め、厳しい口調の意見にも唇を真一文字に固く締めて耳を傾けていた。政策通で実直な人柄という、政治家としては申し分のない資質を持ち合わせた彼だが、香川一区での平井との戦績は2021年秋の衆院選までに1勝5敗と大きく負け越している。
一方平井という人物はというと、2021年衆院選直前に、東京五輪パラリンピック向けに開発したアプリをめぐって請負先の企業に対し「脅しておいたほうがよい」と恫喝する音声が明らかになった‹2›。加えて、NTTグループから高級会員制レストランで接待されたことが週刊文春に報じられ‹3›、事後に精算するという始末‹4›。平井周辺から漏れ伝わってくる情報はというと、およそ大臣および政治家としての資格を疑ってしまうような不祥事が目立つ。
だが、いざ選挙となると平井は強い。平井の「強さ」の源泉は何か。親子3代にわたって築かれた権力基盤を頼りとする地元政財界の強固な支持だ。政権与党の自民党は政府と太いパイプを持つ。財政的にひっ迫する自治体はこのパイプを当てにして地方交付税交付金などの財源確保を与党政治家に働きかける。「香川一区」の劇中、小豆島土庄町の三枝邦彦町長(当時)は、国の交付金や有利な補助金を確保してひっ迫する町の財政をよりよくするためには与党候補に当選してもらわなければ困る旨の発言をし、平井の指示をカメラの前で公言している。平井の出陣式に地元高松市の市長が出席して応援演説をする様子は象徴的な場面だ。選挙は、生まれた家柄や貧富の差にかかわらず基本的には出馬でき、当選できる可能性がある平等を体現した仕組みのはずだが、実態は、古くからの有力者一族が築いた「王国」の世襲が行われているに過ぎないのである。これは香川一区に限ったことではない。例えば長野県は、羽田孜・元内閣総理大臣の羽田一族、井出正一・元厚生大臣を輩出した井出家などがその典型例だ。いずれも明治時代やそれ以前から続く名家で、両一族から排出された子息は現在現職の国会議員。先の衆院選の応援には地盤を持つ地域の首長たちがこぞって駆けつけていた。「香川一区」の風景は、日本全国津々浦々ありとあらゆるところで見ることができるこの国の「原風景」だ。
「なぜ君」は日本の選挙に広がる「原風景」を、香川一区の「負け候補」小川淳也を通じて活写した。実直な人柄で政策にも明るい小川がなぜ総理大臣になれないのか?という視点で日本の選挙の矛盾点を映し出したのが「なぜ君」だったとするならば、「香川一区」は、平井のような政治家としてはおよそ適格とは言い難いような人物がなぜ権力の座に居座り続けなければならないのか―という視点で活写できたはずではないか。平井のような政治家は日本全国にいる。漢字も読めないような人間がなぜ総理大臣になれるのか。広島の平和式典という重要な場面のスピーチ原稿をまともに読めない人間がなぜ総理大臣になれるのか。日本の政治が抱えるこれらの根深いクエスチョンに対する答えは、小川ではなく、平井の方にこそ用意されているのではないか。
平井と小川の決定的な差は何か。やはり何と言っても「家柄」である。生まれた「家」によって平井のアイデンティティはほぼ決定づけられてしまっている。平井家の最大のミッションは、3代にわたって築いた王国の「遺産」を持続させることだ。そしてその「遺産」は、王国が持つ権力に群がる地元の政官財有力者たちの期待にこたえなければ持続させることはかなはない。そうした一族の宿命を背負っているのが、現当主平井卓也だ。もし仮に平井が平井家に生まれず、ごく普通の家庭に生まれ育っていたとしたら、平井卓也は平井卓也ではなかったかもしれない。祖父の代からの地盤を受け継ぐというプレッシャーなどない自由な人生があったかもしれない。「100日後に死ぬワニ」をプロデュースしていたのは平井だったかもしれない。だが平井家に生まれてしまったがために、自身の思いとは裏腹に、自身の器量にはおおよそ見合わない宿命を背負わされてしまった。先述した数々の不祥事を見ても、平井の方こそ政治家に向いているとは到底思えない。そんな平井が政治家となってしまっていることこそが「悲劇」なのではないだろうか。そう思うと、平井卓也という人物に対して同情にも似た感情が沸き起こってしまうのは私だけだろうか。もし仮に平井陣営が築いた堅牢な「壁」を超えて大島が平井の懐へ飛び込むことができていたらどんな景色が広がっただろうか。だがこの映画は、その景色に迫る「選択」をすることはなかった。
【参考引用文献】
1.「四国新聞」(2021年10月21日付朝刊)
2.「朝日新聞デジタル」(2021年7月14日)。
3.「週刊文春」(2021年6月)
4.「朝日新聞デジタル」(2021年9月27日)。平井が会食の費用を支払ったのはNTTから接待を受けて半年後のことだった。
「なぜ君」…「なぜ君は総理大臣になれないのか」。2019年公開。高松市出身の大島の妻が、同郷の同級生の小川淳也が総務官僚を辞めて衆院選に出馬するという話を聞きつけたことがきっかけで取材がはじまったドキュメンタリー映画。高松の小さな理髪店を営む家に生まれ、東大卒業後に総務官僚を経て国会議員となった小川の歩みを、大島は10年以上にわたって追い続けている。
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