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怒りの中にある意志を見逃したくない

「怒る人は器が小さい」

そう思って生きて来た。だからあまり怒らないように努めて来たし、あまり腹を立てない自分は嫌いじゃなかった。

でもその考えが変わった。

「怒りを抑えるなんてもったいない。」
「怒ってる人がいたら、深掘りして、心の動きをよく観察したい。」
そう思うようになった。

なぜなら「怒り」には僕が手に入れたい「意志」の成分が含まれているように思うからだ。

その考えに至った経緯を、自分の思考の整理のために、予期せぬ誰かの自己変容のために、まとめる。

抽象さを失わずに伝えられないか?

もともと、抽象的なものを抽象的なまま伝えることに興味があった。

「デザイナーとは抽象的なものを具現化して伝えるものだ」という定義がある。話を聞き、枝葉を切り落とし、伝える相手に分かりやすい形にする。今までそうしてきた。分かりやすい、きれいな形になると満足感があった。
しかし、同時に、心にも靄(もや)が残ることもあった。

靄の正体は、おそらく罪悪感だ。

例えば、家族愛を描いた映画を観て「つまり、家族とはかけがいのないもので、大切にした方がいいということを伝えたいのだ」と言い捨てる。
その言葉を聞いただけでは心は動かないし、映画にする必要はない。
映画のようなナラティブを社員やユーザーに伝えるべく、ブランディングや文化醸成が必要になるわけだが、多くの場合そんな時間の猶予もなく、歪んだローコンテキストを強いられて言い捨てる役割をデザイナーが担っている。

例えば、ニンジンの泥や葉を落とし、皮を剥き、甘く柔らかく煮て半月切りにする。
ニンジンの良さを活かし、口に合うベストな料理を拵えても、ユーザーは生のニンジンの歯ごたえも、畑から抜いたばかりの愛くるしい姿を知らない。
「ニンジンらしさ」をそのまま伝えられない罪を背負う。ニンジンは、農家は、プロダクトオーナーは、少し悲しい顔をしてデザイナーに「ありがとう」と言う。

「分かりやすくする過程を経て伝える」のではなく「分かりにくいものを分かりにくいまま伝える」気持ちが高まっていた。抽象的なものを、その愛おしい抽象さを保ったまま伝えられないか。分かりやすくする過程で削ぎ落とされるものを、もっと大切に扱いたくなっていた。

だから意志について、主観について、怒りについて、結論を急がずに靄のまま育ててきた。大切な気持ちを、見落とさないように。



組織に意志を与えられていたか?

2023年7月末に前職を退職した。これからの20年を決めるタイミングだと思ったので、自分を見つめ直すために2ヶ月は働かないことを決めた。

やりたいことリストをつくり、次の仕事を何にするか考え、積本を消化し、会いたかった人と会い、ジムに通い始め、行きたかったサウナに行き、何回かパチンコに行ってみた。パチンコに夢中になる人の気持ちはまだ分からなかった。

旅行にも行った。旅行相手は家族だけでなく、同じような状況の友達がまわりにいっぱいいたので困らなかった。葉山・小田原・八ヶ岳・上田・福井・金沢・福岡・広島・神戸・高知・京都・韓国・コペンハーゲン・パリ。

旅行を楽しくさせるのは、誰かの「ここに行きたい」「あれを食べたい」という意志だと思う。意志が多く、そして強ければ旅行はより楽しくなった。
観てもいない韓国ドラマの聖地なんて興味の持ちようがないのだけれど、なんでもない壁が友達にとってはとても特別な場所で、オタクが前面にでて興奮する姿は忘れない。

僕にとって旅行は「誰と行くか」が大事で、「何をするか」にそんなに意志がなかった。
同行者全員が僕のように「行きたいところもない」「食べたいものもない」では間違いなく退屈な旅行になっていただろう。
だから、やりたいことがあり、その気持ちを伝えてくれる友達は大切にしたいと思う。そういう人は、そんなに多くない。

どこにも所属しない無職には、誰も自分に目的や役割を与えてくれない。自分の意志で行動しなければ(または行動しないことを決めなければ)いけない。
毎日の行動を決定する行為が「意志を確認する儀式」として機能した。

儀式を繰り返すうちに、一人で行動する時の意志のなさを感じていた。仕事をしていればやりたい事が溢れていたのに。
僕は今までずっとどこかに所属していたので、誰かの意志で、誰かが与えてくれる目標や目的が常にあり、それが行動を決める拠り所になっていたのだろうか?

もしかしたら世界は「①意志に従うと幸福になる」「②ほとんどの人は意志がない」という2つのルールがあり、「多くの人を幸福に導くために学校や会社、宗教や国といった、意志や目的を与える機能」があることで成立しているのかもしれない。
遊びにしろ仕事にしろ、数少ない意志を持った人が、意志のない人を率い、または小さな意志を名前をつけ、役割や正義に変換し、「意志の生態系」をつくっているのではないか。
テキトーな仮説だけど、うん、悪くない気がする。

「自分に強い意志がほしい。」
「自覚していない意志があるなら、それはなんだろう?」

パリでレンタルサイクルに乗りながら、そんな事をぼんやり考えていた。



デザイナーは自我を殺す職業か?

どうやらいつまでも無職で居続けることはできなそうなので、転職活動をした。41歳にして、はじめての転職活動だった。

カジュアル面談の機会をいただいた20〜30社すべてが魅力的だなと本気で思った。スキルや条件がマッチしないことはあっても、それぞれの良さがあり、やってみたいと思った。どうやって選べばいいんだ。
悩んでいる学生や採用候補者にアドバイスめいたことを言ってきた分際で、自分のこととなるとさっぱり分からない。

「意志がないから決められないのか?」
「なぜこんなに意志がないのか?」
それはデザイナーの職業病かもしれない、と考えた。

大学や職場で天才的なアイデアマンに出会い、自分にはアイデアがないことを嘆いた。それと同時に大衆の気持ちが分かる事、普通である事は、ほとんどの場合はアイデアマンであることよりも大事であると悟り、そこに自分の強みを見出そうとした。

はじめて働いた制作会社時代から、PCのUI設定は常にデフォルトのまま使うように心がけた。デザインをスクリーンショットで提出する習慣がきっかけで、閲覧者と同じ環境であることを正義としていた。デュアルディスプレイも避けた。携帯端末も一番売れているモデルを選び続けていた。
スペックや通信回線が閲覧者のそれよりも高いことに罪悪感があった。ユーザーの環境と自分が離れると、デザイナーとしての能力が低下しているように感じていた時期もあった。ロールプレイではあるのは分かっているが、客観に近づきたかった。

ユーザーのメンタルモデルに合わせて期待に応えるデザイン、溶け込むようなデザインを正義とした。「ユーザーにとっての当たり前」を探すようにデザインし、発明的なデザインは寄り添うモデルを見つけられなかった時の悪手だと思っていた。不要なオリジナリティはいらない。

僕がデザインの現場で言う「作家性」は悪口に近い。
ユーザーに最適なデザインを繰り返しているはずなのに、似たような成果物が並ぶのは、そこに好き嫌いや手癖からくる「作家性」が滲み出てしまったからであり、最適とは言えないとデザインフィードバックしたこともある。
主観をなくせ、と言っているようなものだ。

ファシリテーションの仕事が増えても、主観を殺した。
ワークショップの参加者間での議論と合意形成が進めるために、自分の意志や主観を入れるのは悪だと思った。

自分なりのあるべきデザイナー像に向き合った成れの果てが、「主観や意志を持たない自分」なんだろうか?
コモディティ化を加速させる「客観の奴隷」であり続けることに辟易して、檻の中で息を潜めている主観や意志が目を覚ます気がした。ロールプレイとしての客観の危うさは説明できても、言語化できない主観を正当化できない。「自我が死ぬHR・マネージャー」も似たような現象が起きていそうだ。

揺らぐアイデンティティの傍らで、「多くの事業に魅力を感じ、多くの情熱に共感できる」側面を捉えて、それまで選択肢から除外していたクライアントワークを次の働き方にすることにした。
8年ぶりにフリーランスに戻り、ホームを株式会社MIMIGURIとした。



怒りの中に意志があるのではないか?

働き方は決まったものの「意志」について悪戯に考えることは続いていた。無職は暇。

実家に帰った時、中学生の時に手に入れた『風の谷のナウシカ』をあらためて読み直した。当時の僕にはあまりにも難しい内容だったので、大人になってから読み直すと、気づきがあって面白い。
ナウシカも王蟲も、記憶よりもずっと怒って、悲しんでいた。世界を想い、憂いていた。ナウシカの視座、マジやばい。
ナウシカは強い意志とともに怒っていた。

意志と怒りに関係性があるかもしれない、という発想に取り憑かれた。

僕はあまり頻繁に怒らないタイプだと思うが、年に数回怒ってしまう事がある。怒っている時は、自分の中の大事なもの、意志のようなものが理由であることが多い。たとえば大切な友達が軽んじられた時や、デザインの重要性が伝わらない時に怒ったことがある。そして自分が怒った時に、大事なものや意志の存在に気がつくことがあった。

友人Tにこの話をしたら「自分がデザインしたロゴタイプにデザインフィードバックをもらって、自分が思っていた以上に反論してしまった。無意識にしていたそのデザインが、そのデザインである必然性をきれいに言語化できたし、ロゴの全体感に欠かせない大事な要素であることに気がついた事があった。」と言っていた。
デザインフィードバックが良い「問い」として機能して、水面下にあった強い意志が氷の塊のように姿を表したのだ。

また別の友人Yは「日々怒りの気持ちを高めて、怒ったことを逐一メモに記録している。月に一回、そのメモをカウンセラーに見せて内省に活かしている」と言っていた。怒りの中にいる、認識していない自分を確認しようとしているように思った。

怒ることは「器が小さい」ことで、良くないことである。
怒らない人間でありたい。
そう思っていたが、怒りの裏側に意志があるとすると、怒りの景色が変わるように思えた。

もしかしたら、頻繁に怒るあの人は大事にしているものがいっぱいあり、強い意志があるから怒るのではないか。顔を思い浮かべると、よく怒る人と、意志の強さに関係性があるような気がしてきた。
僕がもっと強い意志の持ち主で、譲れない大切なものがたくさんあったら、もっと怒っているじゃないだろうか。全然怒らない僕は、大事にしているものがあまりない、薄っぺらい人間なんじゃないか。

エンターテイナーなどの表現者も意志が強い印象がある。
SNSであることないこと好き勝手言われている芸能人やアーティストは、怒らないにしても「腹を立てる機会」がたくさんあり、その度に意志が磨かれ、鍛えられ、強い意志へと変わっていくのではないだろうか。

「怒りと意志の関係性を深掘り」や「自覚していない意志の探求」は酒の肴としていい味を出し、かなり気に入っていたが所詮その程度でもあった。
しかし11月に株式会社MIMIGURIという変な会社に入社し、酒の肴から探究テーマへと昇格した。



アイデンティティが揺らぎ続ける

MIMIGURIは人と組織の創造性を高めるための実践と研究を行っており、特に「会社中心のキャリア感(軍事的世界観)」から「人生中心のキャリア感(冒険的世界観)」に移り変わるための組織支援に力を入れている。
そしてMIMIGURI自身が実験台として、人と組織を接続するプロトタイピングをトップダウン・ボトムアップの双方で行っている。これが、面白い。

毎日開催されている番組(社内向けウェビナー)では、プロジェクトやメンバー、研究内容にフォーカスし、当事者と司会者が対話形式で深掘りを行う。1on1をライブ形式で放送したり、クライアントをゲストに呼んでプロジェクトの紆余曲折を紹介したり、メンバーが人格形成された経緯を紐解いたりする。
プロのミュージシャンがジングルまで用意して、本気でやり切っている。本気でなければ茶番になってしまいかねない危うさ、そこから産まれる緊張感が好きだ。本気はいつだって美しい。

所属チームの定例ミーティングでは、プロジェクトの共有や相談をするだけでなく、もやもや(課題や関心事の卵)も共有し、深掘りをしている。自己を開示することを「開く」といい、誰かが開くと私も開き、私が開くと誰かが開くという段階的な安全性と開示の交換が繰り返される。集団野球拳の最後には、服を着ているのが恥ずかしい感覚さえある。

研究を生業としているプロフェッショナルに、私の拙い謎理論を展開するのは失礼に当たるとも思ったが、開いて「意志と怒り」の話をすると耳を傾け、問い直し、考えを発展させてくれた。

「実は私は発揮していないポテンシャルへの怒りドリブンなんだ」
「クライアントの怒りを探索するのは、組織課題解決になるのでは」
「◯◯チームの◯◯さんと喧嘩してみるといいかも」
考えを開くことが、自分とチームの変容につながるこの体験は、最高のオンボーディングとなった。

何よりも衝撃的だったのは、全員が口を揃えて「ファシリテーションは客観的にやるべき」という考えを否定してくれたことだ。議論の結末を意図して歪めることはもちろん避けるべきだが、ファシリテーター自身が開いて対話が活性させたり、まなざしを切り替えることは良い結果につながる。そこに超個人的な主観や意志が宿るのは当然だ。

MIMIGURIの叡智が詰まった学習プラットフォーム『CULTIBASE』でチームメイトの小田が語る『身体性』の講義は、「客観」や「言語化」に囚われていた僕のデザイナー観を揺らした。

身体性から育んだ経験は、反復することで無意識下の不随意運動に至る。説明できなくても手足の動き方が分かり、口に入れてはいけないものが分かり、気が合いそうな人・気が合わなそうな人が分かる。

例えばデザイナーであれば、説明できなくても配置のバランスの良し悪しが分かり、文字組みの美醜が分かり、言葉やサービスの分かりにくさ・分かりやすさが分かる。
「直感」という関数は、論理的な正しさも好き嫌いもすべて混ざった認識できない暗黙知のロジックで編み上げられ、美醜や感動、違和感といったフィードバックを「感じる」という現象で返してくる。

「まずやらなきゃいけないのは、何故心が動いたのか現象に目を向ける。私達の身体感覚・身体反応を探求しない限り、感動する価値なんて作れるわけがない」

講演内でそれが当たり前かのように言った小田の言葉で「客観の奴隷」を縛る鎖が千切れた気がした。

自分に十分な経験があり、受動的綜合が鍛え上げられているのであれば、たとえ説明できなくても直感に従うことは正しい判断であることが多い。その直感に自身の主観や作家性が宿っていても、後ろめたさを感じる必要はないんだ。
心の動きに耳を傾け、対象を弄って心の動きを観察し続けることで、形式知るに巡り帰ってくる。

そう整理されると、別に新しいことでもなく、今までもそうしてきたように思う。いままでも人間らしく、自分らしくあったのだと思う。後にこの話を元同僚にすると「米田さんバリバリ主観インプットの人じゃん」と言われた。ありがとう。認知歪みまくってた。

研究チームの西村さんの暗黙知の話も、気づきを与えてくれた。

僕には暗黙知があり、言語化が不可能だったり、そもそも存在に気がついていない事が多くある。水面下に巨大な暗黙知の氷があるのに、水面にすこしだけ顔を出した形式知だけで巡らされる思考は限られている。

知っている。チーム開発における暗黙知の重要さは知っている。でも自分に転用していなかった。

そして、感情の爆発は、暗黙知を水面下から引き上げる機会として働いている、と言えるのではないか。
深層にある意志ほど浮上は難しく、強い感情のエネルギーは硬い氷にヒビを入れられる。浮き上がる時は減圧症で強い負荷がかかる。急に沸点に達する湧き上がる怒り、説明できない怒り、怒ることでは認識できる意志。怒りのメカニズムを説明できそうだ。

意図して凍らせておいた気持ちの存在や、減圧症の身体ダメージを考えると、いたずらにヒビを入れるものでもないとも思う。

しかし、強い感情が顔を出した時、「感情的になるのはよくない」と言ってなかったことにしてしまうのはもったいない。畑から抜いたばかりのニンジンが目の前にあるのだ。そこに隠れている意志を見逃さないよう、心の動きを観察しつづけ、問い、揺さぶり、またとない機会と捉えたい。

僕が抽象的と呼び、そのまま伝えたいと願ったものの正体も暗黙知なのだろう。

変化が大きい業界では研究より実践が大事だと思い、現場で手を動かす事ばかりしていた。ユーザーが期待する挙動に応えるには主観より客観で考えようとしていた。
研究というものが、こんなに人間的で、やさしくて、実用的とは思っていなかった。祈り、呪い、飽き・・・怒りに限らず探究したいテーマが沢山ある。心の動きを観察し、主観に服従すると、意志が湧き出る感じがする。

アイデンティティが揺らぎ続けている。

揺さぶりをかける事、揺さぶりをかけられる事が、自分の捉われを見つける事が、こんなにも楽しいとは。



本記事は、MIMIGURI Advent Calendar 2023の第23弾となります。
6つのキーワード(冒険・葛藤・探究・遊び・理論と実践・自己実現と社会的価値)を基に、様々なバックグラウンドを持つメンバーが記事を書いていますので、是非ご覧ください。

本記事にも登場する小田の記事もめちゃくちゃ面白いです。是非、是非是非。

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