抽象度が高いとは
毎度どうもこんにちわ
晴耕雨読の生活が1年になろうとしています
冬大根からはじまり、玉ねぎ、にんじん、エンドウとよい収穫ができました
スーパーで買ってきた三つ葉を1束土に帰したところ地面の近くから新しい葉が出てきました
植物の生命力はすさまじいですね
これこそがレジリエンスなんだな、と思った次第です
さてさて、抽象度の高さとは?
というところですが、私は点と点を結ぶ「線」の引き方が上手いことだと認識しています
点とは情報のことです
これを共通の項をもって線を引けるかどうかが抽象度の高さです
線を引く力が強いほど、日常のどんな瞬間でも点を繋ぐことができます
たとえば、お笑い番組1つをとっても
天丼といって同じフレーズを数回繰り返すことで笑いを誘う技法があります
これを軍事戦術とつなげると、波状攻撃が浮かんできました
お客の反応をみながら、同様の攻撃を繰り返す
一体何回目のフレーズで笑いをとるのか、時間は同じでいいのか?
もうこないな、と思わせて3回目の攻撃をずらして笑いをとるか
あるいは、攻撃をいったんやめて、場を温める見に回るのか
天丼=波状攻撃の有効攻撃回数、成果を見極める
そこで成功することができれば、それが他者の成功体験ではあるが、自身の経験・知識として積もる
また新たに点を探してもいいし、線を繋げてもいい
つながる線は360度、何本でも引けるのだから
抽象度の高い文学に短歌がある
古今東西、四季の自然や情景を基礎に自身の想いや別の情景を結ぶものです
(初夏とタコと稲作を絡めるのが今の季節のポイントだったりするそうです)
平安時代の歌人はまさに抽象度おばけだったのでしょう
人のすれ違う関すらも無常のものと歌った蝉丸さんはまさにそれだなぁと感じるところです
私はまだまだ研鑽中の身ですので、今しばらくは点を増やす日々を送りたいです