ほとけさま
どうもこんばんわ。Jアラートが騒がしかったですね
もしその他の場面で例えば自分が命の危険に瀕したとき、他の何を犠牲にしても自分だけは助かりたいと思っている所存です
えぇ絶対に助かってやります
まさに五右衛門然りですね
そんなわけ今日のタイトルと相反する人間があるとき仏さまに出会ったお話をひとつ
もう7.8年ほど前になるでしょうか
飲食店に勤めていた時に開店前に一人の老人がお店の前で待ってました
ただご飯食べたかっただけだろうと
特別に先に案内したのですが、その時点で随分ご高齢で足もおぼつかなく、やっと歩くぐらいの方でした
ちょっとのご飯とうどんを召し上がられたのですが、土師の扱いもうまくできず、フォークを使ってのお食事でした
それでもすべて召し上がって早々に帰られたのですが、下足の先で段差を踏み外してその老人は転んでしまいました
私はとっさに手を伸ばしたのですが届かず、助けることができませんでした
私はその罪悪感から思わず
「すみません」
と一言言ったのですがその老人は私の顔をじっと見て
「どうして謝るのですか?あなたは何も悪いことなどしていませんよ?
誤るというのはなにか相手に謝罪するときに使う言葉です。私は今勝手に転んだのです。謝るのは私の方です、どうもご迷惑をおかけしてすみません。」
と言われました
足腰も弱く、手も器用じゃなくなりつつあるその老人は真っすぐ私の目を見て言われました
自分の保身ではなく、相手の誇りや尊厳を守るようなその態度に私は胸を打たれました
その5分後にその方の召し上がった皿を洗いながら、あの人は仏様だったんだと何故か思わずにはいられませんでした
その瞬間にはあまりのありがたさに大粒の涙がこぼれました
ただただありがたいと思う気持ちが溢れてきました
嬉しくも悔しくも悲しくもない涙は初めてでした
そのすぐあとその老人の娘さんがお店にやってきました
聞くとその老人は重度のアルツハイマー型認知症にかかっており勝手に外出してしまうことがあるそうで
今回もまさにそれで私は歩いていかれ方角だけをお伝えしました
もうおそらく二度と会うことはないでしょう
ただこの場借りてお礼を言います
あの時、人間としての誇り高い姿を見せてくださりありがとうございました
私はあなたのことを生涯忘れません
仏様とは他人の心の中に宿るものなんですね