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デジタルデトックスをしたら、言葉に流されていたと気づいた

この記事を読んでくださっているあなたは、どんなお正月を過ごされたのだろうか。私は、三が日はデジタルデトックスをしていた。スマホも、いまこの記事を書いているノートパソコンも一度も開かなかった。

今日は、そんな三が日の記録と、それを経て得た気づきを残してみようと思う。




デジタルデトックスをしようと思ったきっかけ

そもそも、なぜデジタルデトックスをしようと思ったのかというと、ある記事を読んだからだ。それは、年末年始は家族団欒をしましょうみたいな空気を、辛く感じる人もいるという内容だった。そういう人はスマホを引き出しにでも入れて過ごしましょうとあった。

私は辛く感じたことはないけど、SNSで心がざわざわすることは多いから、デジタルデトックスをやってみるのもいいかも?と軽い気持ちで始めた。


12/31 デジタルデトックス前夜

大晦日は、書類の提出をしたり、急に思いついてnoteの記事を投稿していた。それが終わると、私はパソコンを物置化している部屋へ移動させた。スマホは、寝る前に充電を100%にしたのを確認し、机の引き出しへ入れて寝た。


1/1 デジタルデトックス1日目

朝起きてからしばらくして、引き出しからスマホを取り出した。寝起きする部屋にスマホがあると触ってしまいそうなのが怖くて、パソコンと同じ部屋に置くことにしたのだ。

無印で買ったパソコンケースに、パソコンとマウス、スマホを入れた。手首に優しいというゴツいマウスのおかげで、ケースは閉まり切らなかったけど、これでよりデジタルツールから離れられる気がして安心した。


このバッグに無理やり入れました。パンパンでチャックが閉まりきらなかった…


やることないな〜、暇だな〜なんて思いながら、ふとスマホを探している自分に気づいた。手持ち無沙汰になってこういう時に触っていたんだと実感した。

私は、12月に数冊本を買っていた。だけど全く読んでいなかったので、こんなときに読めばいいと思いつき、それらを読んでこの日を終えた。(その本の感想も近いうちに記事にしたい…)


1/2 デジタルデトックス2日目

天気がよかったので、散歩をした。散歩をすると、考え事がクリアになったり、アイディアが出てくることがある。それらを残したくて、いつもスマホを持って散歩をしていた。

だけど、今日はそれができない。どうしようかと考えて部屋を探していると、小さなメモ帳とペンを発見した。それらをダウンのポケットに入れて家を出た。

私が家に帰ってきたのは、約80分後だった。歩くペースはゆっくりだし、途中ベンチで休憩していたからとはいえ、こんなに時間が経っているとは思わなかった。

スマホがないからこんなに歩いたのだろう。スマホがあったらきっと、「もう30分も経ったから戻ろう」となっていたはずだ。

時間(もしくは時計)ではなくて、「ゆっくりできたから、そろそろ帰ろうかな」と自分の内面から判断できたから、満足感があったような気がする。

散歩効果か、この日はよく寝れた(と思う)。


どこかのアウトレットに行ったときにもらったようです。


1/3 デジタルデトックス3日目

デジタルデトックス期間、最大の危機が訪れた。年末に買った里芋の簡単な皮むき方法をうろ覚え状態でやり始めたものの、やはりうまくいかなかったのだ。(里芋って、皮むき難易度高い…)

ネットでもう一度調べるよう母にやんわり言われたが、「デジタルデトックス中なんで!」と言い張り、結局母が一生懸命包丁で切ってくれた。

そんな母と、「これさえかければなんとかなる」と思って購入したチーズのおかげで、里芋グラタン風のものを夕飯として食べることができた。デジタルデトックス中に新たなメニューを開拓するのは危険であることを学んだ。


1/4 デジタル解禁の日

いよいよだなと思いながら、いつも見ていたネットニュースを開いてみた。その瞬間、頭がガンガンしてすぐに閉じた。

開く前の私は、30分とか1時間とかはあっという間に時間を溶かすのだろうと思っていた。だって、数日前の私はそうだったから。だけど、そうならなかった。たった3日見ていなかっただけなのに、自分でもびっくりで想像していない反応だった。


デジタルデトックス中の情報源

デジタルツールを手放してなにで情報を得ていたかといえば、新聞やテレビといったオールドメディアだった。もともと、これらは私の生活の身近にあるものなので、たとえば新聞を読むことは全く苦ではなかった。

むしろ、新聞はネットニュースにありがちな、煽るようなタイトルがついていないので、必要以上に自分の心を乱されなかった気がする。

元日だけは、「自分の知らないところで重大なことが起きているのでは?」と謎の焦りがあった。だけど、本当に重要な情報はオールドメディアのみでも入ってくる。そもそも、知らないといけないようなことは、そうは起きないと気づいた。

ちなみに、4日の解禁日以降、ネットニュースを何度か開いている。そのたびに、頭がガンガンするような、胸が苦しくなるようなそんな状態になって、すぐに閉じた。

見たい気持ちが全くないわけではない。もしかしたら、ただのやせ我慢なのかもしれない。でも、ネットニュースをいままでのように見るのは、もう少し先延ばしにしてもいいような気がしている。


SNSとの距離感を考えてみる

デジタルデトックスを終えたいまでも、SNSはほぼお休み状態だ。このnoteか、Xで数回投稿しただけだ。それも、noteでこんなことを書きましたという内容。

フリーランスとして、自分のサービスで生活をしたいと考えている私にとって、SNSをやる/やらないは死活問題である。と思っていた。

フリーランスにおいては、SNSをやらないことは存在しないことと同じであるという言葉を聞いていた。お勉強した経験もあってか、特に去年は発信を頑張っていた。

Xには週5で投稿することを意識していたし、インスタもやっと始めた。放置していたスタエフも9月からだけど、月に1回投稿し始めた。noteは週に1回の投稿を必ずした。

私は、SNSを見てはすぐに誰かと比較して落ち込むところがある。うらやましい気持ちも出てくるし、そんな自分にがっかりすることもある。それらを燃料にして頑張れたらいいのだけど、そこまでの根性はない。

最近のXは、タイムラインを自分がフォローしている人のみに設定しているにも関わらず、変な広告とか、心がえぐられるような投稿が流れくる。設定を変えたり、ミュートにしたりといろいろと対応したけど、効果を感じない。

SNSをやらないことは、フリーランスとしてはどうなんだろう?という不安もある。だけど、いまの私には見なくて得られる穏やかさのほうが価値としては大きい。

SNSをやらないことは存在しないことと同じであるという言葉から、発信を頑張っていたつもりだった。だけど、それは自分の考えなんかじゃなくて、「〇〇さんがそう言っていたから」のような受動的な考え方だった気がする。

教えてもらったことを実践したり、参考にするのはもいいことだと思う。でも、私は自分の頭で判断したというより、ただその言葉に流されていただけだったことに気づいた。


まとめ

私は、デジタルデトックスをしたほうがいいとか、オールドメディアを見ようなどと言いたいわけではない。

デジタルデトックス期間を通して、SNSなどを見て、自分から落ち込みにいっていることを自覚できた。

自覚できた私なら、いまよりもSNSをやったりネットニュースを見ることがあっても、自分から落ち込みにいっているなと気づくことができると思う。

いまは割と穏やかに過ごせているけど、きっとまた落ち込むことがある。そのときに、このことを思い出せるように残してみた。一度経験した私なら、またいまの状態に戻ってこられると思うから。

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アヤノ
30歳を過ぎたいま、ようやく「自分らしく暮らす」「自分らしく働く」を実現させようともがいています。いただいたサポートは、これらを現実にするために使わせていただきます☺️よろしければサポートお願いします🙏