この夜を額に入れて

        

     序




 -「夢」、別名「呪い」で胸が痛くて (「Once Again」 Rhymester)




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                2010年


 運動は決して得意ではなかったが、長距離走だけは好きだった。

 走り始めてどこかで「しっぽ」のようなものをつかむと、どこまでも走り続けられるように思えることがあった。それが不思議で、気持ちよかった。

 高校を卒業してからろくに運動習慣もなしに過ごしていた26歳の頃、一念発起してダイエットをするにあたりジョギングを始めた。
 最初はカロリーを捨てるためだけに走っていたが、次第に虜になった。いつのまにか、生まれて初めての標準体重になっていた。
 その頃ちょうど好きだった「自転車で世界一周」みたいなブログを読んで、ママチャリ以外の自転車の世界に興味を持った。

 京都から愛知に帰ったのを機会にGiant Escape RX3を買った。
 風を切ってどこまでもいけそうな楽しさに夢中になった。
 クロスバイクを買ってすぐ、おじがロードバイクをくれた。

 wレバーの古いバイクだったが、ドロップハンドルに細いタイヤの組み合わせは翼をもらったようだった。ロードバイクのカタログを見る日が続いた。
 ちょうどポンドが安くなっていた機会を利用して、Wiggleからロードバイクを輸入した。ただ、2年ほどはトライアスロンのことなど思いつきもせず、ロングライドメインで楽しんだ。

 朝4時過ぎに家を出て浜松まで行き、250キロぐらい走って帰ってくるみたいなこともしていた。スピードというより、長い距離をゆっくり走るのが好きだった。

 だからレースに出るという発想もあまりなかった。
 

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             2012年冬〜2017年5月


 トライアスロンに興味を持ったのは、2012年の冬だ。

 職場で児童のお母さんから保険の勧誘を受けたのだが、スポーツ習慣の有無を聞かれ、ロードバイクと答えた。その時「トライアスロンみたいなやつですか?」と聞かれたのがきっかけだったと思う。そこで、「トライアスロン……そういうのもあるのか」と気づいた。
 ランニングはちょくちょく続けてるし、あとは水泳だけじゃないか、と。

 そこからまずは情報収集。トライアスロンはスイム、バイク、ランを順番に行う競技であることや、色々な距離のレースがあることを知った。特にロングディスタンスではスイム3.8km、バイク180kmを終えた後にフルマラソン42.195キロを走るというクレイジーさに驚いた。

 驚くと同時に、いつかは挑戦してみたいと思った。

 これこそ一生をかける価値のあるものなのじゃないかと、大げさじゃなく思った。

 特に目標もなく過ごしていたおっさんにとって、この越えるべき山はどうしようもなく魅力的にみえた。

 そうなるともう抑えられない。スポーツ用品店で水着とゴーグルを買い、ジムに入会した。
 水泳なんてそれこそ高校以来で、初回は25メートル泳ぐだけで精一杯だった。
 それでも、プールから上がってジムを出た時の爽快感はたまらなかった。
 頭の先からつま先まで、きれいに洗ってオイルをさしたように軽やかな気分だった。

 それからは”初心者のためのゆったりきれいにスイム”みたいな講座に通い、ゆっくりなら2キロぐらいは泳げるようになった。

 スイムは夜に練習し、ランとバイクは基本的に早朝に練習した。
 平日は大体4時過ぎに起きて1時間強程度練習するというスケジュール。人に話すとよく驚かれるが、まだ街が眠っている時間に走るのは、妙に癖になる気持ちよさがある。
 不思議と、練習した日の方が一日調子よく過ごせることにも気づいた。疲れも少なくなり、仕事や会話の調子も良くなった。

 最初のレースは2014年の長良川ミドル。ほぼ平坦で周回コース。不安だったスイムも問題なくアップでき、初レースは無事完走。ミドルとはいえ多幸感があった。まずはこれでとりあえずはトライアスロンが趣味と言っても差支えなくなった。

 次の年はアイアンマンセントレア。
 距離的には長良川とほとんど変わらないが、さすがのアイアンマン。規模が違った。
 まさにお祭りだった。自動車専用道路まで封鎖され、コース上には常に応援してくれる人がいた。
 そのお祭り感にノックアウトされ、ロングでもお祭り感の高いレースに出たいと思った。

 2017年にロングに挑戦しようと決めた。

 2017年現在で日本国内のロングディスタンスは4つ。
 宮古島、皆生、佐渡島、そして五島長崎。
 このうち五島以外は抽選での受付になるため、ロングの実績がない俺は、必然的に五島が第一候補になる。
 幸いなことに、通称”バラモンキング”と呼ばれるこのレースは、島全体がトライアスロン一色に染まるほどの熱気だという。

 出場するレースは決まった。後は練習だ。
 ロングに対応する体を作るため、強度より時間を長くとることを優先した。
 AeTの上限ギリギリを狙ってできるだけ長い時間動き続ける。ここは、るみオカンさんのブログを大いに参考にさせてもらった。というか補給やコース情報など、るみオカンさんのブログを参考にしてない部分の方が少ない。ありがとうございます。

 4月に異動になり、練習時間が思うように取れなくなった。セントレア前の方が練習してた気がする。
 焦りながらも、気づけばレース直前。目標は完走だったが、
 不安の方が大きかった。

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               2017年6月


 レース1週間ほど前から、重い腰をあげて必要なものの準備にとりかかった。

 まずはバイクの梱包と発送。ケースのシーコンはすでに購入してあったので、使い方を調べながら小一時間で梱包完了。レース前最後の月曜に引き取りにきてもらった。

 サイクルヤマト便のことをドライバーさんが知らなかったため、スマホの画面を見て説明。
 「保険かけたほうがいいと思いますけど中身いくらぐらいですか」と尋ねられ、「50万ぐらいだと思います」と言ってから、もうこの辺の金銭感覚がおかしくなってるな、と感じる。

 あとは前日までにダイソーやドラッグストアで必要なものを購入した。ジップロックやレインカバー、反射テープなど。ドラッグストアでロキソニン。

 しかし、3日ほど前の時点で五島の天気予報は豪雨。前後もがっつり雨予報。俺は雨の日にバイクは乗ったことがない。もういっそのこと中止になればいいとも少し弱気になった。

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              2017年6月9日


 飛行機は7時半にセントレア発。

 逆算すると始発でミュースカイにのらないときびしい計算だ。

 2時半に起きてパッキング、シャワーを済ませ5時前に家を出た。

 セントレアで飛行機を待つ間に考える。なんでこんなことに挑戦しようとしているのかと。金にもならないただの自己満足のために、いい言い方をすればプライドだけのために、長崎まで行き、10時間以上もレースをして、帰ってくる。観光してる暇もおそらくない、ただ戦うためだけの旅。ちょっとグラディエーターみたいでかっこいいな。

 飛行機で長崎へ。長崎空港からリムジンバスで大波戸へ。
 11時ごろに着き、1時辺りのフェリーの切符を買う。少し時間があったので近場をぶらぶらすることにした。ドラッグストアもあるしここである程度必要なものは揃えられたと学習。

 方言のせいもあるのか、少し時間がゆっくり流れてるように感じる。
 そうこうしているうちにフェリーの乗船時間になり、乗船。初体験の雑魚寝スタイル。

 流石にロングともなると、明らかに体つきがアスリートな人たちばかりで萎縮する。場違いにすら思えた。

 3時間ほどでフェリーが止まり、スーツケースを手に降りる。

 島だ。
 気持ちが高まる。

 が、事前に聞いていたよりトライアスロンムードがない。事前情報では島全体がトライアスロン一色に染まっているはずだったが。
 さらに、あれほどたくさん乗っていたはずのトライアスリートたちが全くと言っていいほど降りてこない。

 ここで気づく。

 ここは降りちゃいけない島だ。
 思い込みは怖い。

 フェリー乗り場でお姉さんに尋ねた。
 「福江島まで行くつもりが間違って降りてしまったんですが。。。」
 お姉さんは一瞬ぽかんとした表情を浮かべた後、すぐに「まだ間に合うけん走って!すぐ船に無線いれるけん!走って!」
 走った。
 入口から係員が出てきて叫ぶ。
 「お兄さん走って!」
 走った。
 タラップから船に乗り込むと、直後に海に出た。映画か。
 係員さんに謝って無事再乗船。

 後から知ったのだが、一日3本ある五島行きのフェリーのうち、途中で島を経由するのはこの1本のみ。つまりもし取り残されていたら明日のこの時間まで待たないといけないところで、そうなるとバイクチェックに間に合わない。レース前にカットオフになるところだった。危ない。
 
 その後30分ほどかけて福江島に到着。降りると、島全体がお祭りムードに包まれていた。
 これが正解。

 いたるところにバラモンキングの旗がたなびき、歓迎してくれている。

 ついに来たんだな。

 ホテルはエキスポ会場から徒歩5分ほどの好立地。
 チェックインし、エントリーと開会式へ。

 エキスポで軽く補給食とOS1的なやつのタブレットタイプを購入した。帰り道にスーパーへ。食料を買う。1日も外食はしなかった。

 途中、設置途中のゴール地点に寄った。やぐらに電光掲示板。フィニッシュタイムが表示されるのだろう。レッドカーペット。周りにはたくさんの応援メッセージが書いたボードが飾ってある。ここに辿りつけたらどんな気分だろうかと思う。

 ホテルに帰り、ゆっくり過ごす。そのまま11時ごろ就寝。

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              2017年6月10日


 8時ごろ起床。

 5時には起きて寝不足状態を作っておくつもりが、つい寝すぎた。

 この日は色々とやることが多い。

 まずはバイク組み立て。トラブルなく終了できた。
 トランジションバッグの作成もある。
 スイム、バイク、ラン、それぞれの出発地点が違うため、3種類のバッグを作ることになる。
 ここで入れるものをミスるとバイクの時にシューズがない、みたいなとんでもないことになるので、慎重に。

 ここまででお昼頃。

 バイクのメカトラブルがないか軽くチェックするために走った後、バイクとラン用のバッグを委託しにいく。

 ちょうど二回目の開会式が始まったタイミングだったようで、あまり並ばずにスムーズに終えられた。

 それにしても本当にたくさんのボランティアの方がいて、街を歩いていても声をかけてもらえる。ありがとうございます。

 そうこうしているうちにもう夕方。

 明日は3時には起床したい。6時間は寝たい。すぐには寝付けないことを考えると余裕をみて20時にはベッドにいたい。

 明日のシミュレーションや補給の確認、カットオフの時間を書いた表をジップロックに入れバイクウエアに入れるなど、こまごました作業をしているうちに20時になった。

 シャワーを浴びてベッドに入る。この時点でまだ外がうっすら明るいことには驚いた。

 南に来たな。

 目をつぶる。

 ヨガニードラのアプリを使い、なんとか寝付いたかな、と時計を見ると2時30分。

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           2017年6月11日午前2時30分


 朝。

 というより夜中。

 寝た感じはあまりしないが、時計を見ると時間は2時半。
 寝られたようだ。二度寝して寝坊するより起きてしまえ。

 まずはシャワーを浴びる。そして朝食。

 おにぎりを3つとみそ汁をゆっくり食べた。
 全部エネルギーに変えてやる。

 タトゥーシールを貼る。いっぱしのアスリート気分だ。

 窓から外を見ると小雨。夜に少し強めの雨が降ったようだが、どうやら天気予報は大幅に外れたようだ。
 荷物の最終チェックをして、カッパを羽織り、出発。
 ロビーには同じタイミングで出発するアスリートたちがたくさんいる。ホテルのオーナーも見送ってくれる。

 次このロビーに帰ってくるとき、俺はどんな気分になっているのだろう。

 長い一日が始まる。

 人生が、世界がかわるかもしれないそんな一日。
 行ってきます。
 
 4時前にも関わらず、商店街からシャトルバス乗り場へ向かう坂道には多くのアスリートがいる。    
 今日はここが日本で一番早起きな町だろう。

 バスは4時15分出発予定だったが、埋まり次第随時発車している様子。
 俺の乗ったバスも4時過ぎには出発した。

 隣の選手が幕の内弁当を食べていた。思い思いの緊張を抱えた選手を載せたバスは、30分ほど早朝の街を走った後、会場に着いた。

 会場は小雨がパラついていたが、もうカッパは必要なさそうだった。
 空も少しずつ明るくなってきた。

 スタートまではあと1時間半弱。バイクの空気圧をチェックする。問題なし。
 ボトルホルダーにボトルをつけ、トランジションバッグをセット。

 尿意はなかったが、トイレに並ぶ。小川さんのサグラダファミリアを聞きながら、呼吸に意識を向ける。

 ふとイヤホンを外すと、Right my fireが流れていた。
 この日の会場BGMはありがちなEDMではなくディスコクラシック。歓迎されているような気がした。

 尿意はなかったが、結局3回トイレに行った。

 スイムウォームアップの時間が近づいてきた。ウエットスーツに着替え、スイムバッグを預ける。
 
 スイムゲートへ。
 アンクルバンドで通過時間は自動計測されるようだ。

 ウォームアップ。
 水温はやや冷たい。透明度は低いが全く見えないほどではない。浮いたり、心拍数をあげるために数十メートル泳いでみた。

 スイムスタートが近づき、一度陸へ。
 応援、なりもの、まさにお祭り。

 スイムスタートはウエーブか陸か選べたが、特に不安も感じなかったためウエーブを選択。とは言え一応バトルをさけるため後方へ。

 あちらこちらで鬨の声が上がる。
 自分も上げてみる。
 アドレナリンが全身を駆け巡るのを感じる。
 2012年の冬以来、約5年間毎日のようにイメージしてきたレースが始まる。

 陸地から聞こえるMCの煽りに続き、カウントダウンが始まった。

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             2017年6月11日午前7時
 
 ホーンの音とともに水しぶきがあがる。

 体を水中に沈め、腕をかく。激しいバトルはない。

 あとは黄色のブイを目指して泳ぐだけ、5回ブイにたどり着けば1周が終わる。かける2回でスイムが終わる。

 300メートルほど泳いだところで違和感にきづく。
 200メートルで振動するように設定してあるはずのガーミンが一向に震える様子がない。少し泳ぎを止め見てみると、25メートルから進んでいない。確かにボタンは押したはずなのに。と考えて気がついた。

 オープンウォーターモードにするのを忘れていた。痛恨のミス。なんとか泳ぎながら切り替えたが、海水の中でなかなかGPSを拾えない様子。
 ブイにつかまって拾うことも考えたが、そのロスを考えるとそのまま行ってしまった方がよいと判断した。結局スイムのログは拾えず。

 途中予想以上の波に焦りながらもなんとか1kmほどは泳いだところだろうか。このあたりで次のトラブル。尿意に襲われる。海水で体が冷やされたようだ。
 少し泳いでみるが、次第に強くなる。だましだまし泳いでいると鳴り物の音が聞こえ始め、陸地が近づいているのがわかった。

 迷う。
 陸でトイレに行くとなるとウエットを一度おろしてまた着ることになる。相当なタイムロス。なによりカットオフが怖い身としてはそれは避けたい。

 ここはこのまま行ってしまうことにする。最悪ウエットの中でしてしまえ。サーファーは日常茶飯事らしいし。と考えながらきづけば陸地。
 
 50分弱とほぼ予想通りのタイム。なるようになるさと2周目へ。

 しかし、第1ブイを越えたあたりから尿意がリミットに近づいてきた。
 もう仕方ない。覚悟は決まった。泳ぎながらしてしまおう。と思うが、出ない。
 脳からは出していいよという信号を送っているのに、体が出すことを拒否している。

 32年間刷り込まれてきた「おしっこはトイレでしましょう」という当たり前の感覚が今は憎い。

 このあたりになると周りから人も少なくなり、不安も感じながらただ泳ぐ。
 ブイからブイへ。
 尿意も限界に近付いてきたころ、鳴り物の音が聞こえ始めた。

 もうすぐスイムアップ。

 それにしてもとにかく、おしっこがしたい。
 
 スイムアップ。約1時間50分。いいタイムではないが、人生初の3.8キロオープンウォータースイム、カットオフにならなかっただけで上出来だ。そしておしっこがしたい。

 トランジションエリアでウエットーツを脱ぎ、ワセリンをぬってバイクウエアに着替える。忘れ物がないか慎重になりながらも頭の中は尿意。
 トランジションエリアを抜け、右に行くとバッグ交換エリア、左に行くとトイレ。迷うことなく左へダッシュ。すべりこみで裏カットオフ回避。まさに間一髪。

 無事トランジションエリアを抜け、バッグをピックアップし、バイクへ。
 ロングディスタンス屈指のタフなコース、ここまで来たら走るだけだ。

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                                             2017年6月11日午前9時


 当然これだけスイムに時間がかかると、バイクラックにはほとんどバイクはかかっていない。

 自分のバイクもすぐに探し出せる状況。ただ、焦ることはない。
 目標はあくまで完走。俺の敵はカットオフだけ。
 そんなことを考えながら乗車ラインを越えた。

 サドルにまたがり、ペダルをはめる。ガーミンのスイッチを押す。
 ペダルがはまるカチッという音、そしてガーミンのビープ音とともに、自分の脳内でもスイッチが入るのを感じる。

 少しずつスピードに乗る。

 たくさんの人が応援してくれる。

 トライアスロンのレースの中でも特に好きな瞬間。

 アドレナリンが再び満ちる。

 スピードを上げたい気持ちを抑えながら、バイクウエアの背中に入れたタイム表でカットオフの時間を確認した。計算すると、キロ25程度で走れば最初の関門は1時間弱余裕をもって通過できる様子。
 このあたりで「もしかして完走できるんじゃないか」と邪念がうっすら頭によぎる。すぐにかき消す。

 ただこの瞬間に集中しよう。

 沿道にはたくさんの応援。ほとんどすべての家の人がコース上に出て応援してくれてるんじゃないかと思うほど。ありがたい。

 最初の関門は難なく突破。これをあと8回繰り返せばバイクはゴール。そう言い聞かせる。このあたりではまだ余裕。

 しかし、周回コースに入ったところで、このコースの恐ろしさを思い知らされることになる。

 さんざん聞かされてきた「アイアンマン屈指のタフなコース」
 まさに。
 平坦がほとんどなく、登っているか下っているかだ。

 最初の方はまだ下りでアドレナリンが出るのを感じる。風が気持ちよく、景色もいい。
 応援もありがたい。

 80キロほどはキロ25あたりを保ちつつ順調に進んだ。あと半分。
 このあたりからそろそろいろんな部分に痛みが出始める。手のひらと首の疲れがメイン。
 事前にフィッティングを受けたおかげか、膝やお尻はまだまだ大丈夫な様子だ。

 しかし、少しずつ足が重くなり始める。アップダウンがきつい。

 そんな中でも特にきつい坂、一番つらい地点で巨大なうちわを持って応援してくれてる団体がいる。大声を張り上げて絶対しんどいはず。

 お礼を言うとその中の一人が喋りかけてきた。「今少し先登ってる人、めっちゃ巨乳でめっちゃ美人」それは見ないと、とパワーをあげる。追いついてちらっと確認する。
 ……………
 文句を言ってやりたいが、そのためにはもう一周しないといけない。するしかないな。

 ちなみにもう1周した時点でまったく変わらないテンションで応援してくれていて、もう感謝。下手したらレースよりしんどいんじゃないか。
 ありがとうと叫ぼうと思ったらさっきの一人がうちわを指さし「500円!500円!」
 買うか!と笑ってしまった。結局2回とも笑わされて終了だったが、不思議なことに、笑うとその瞬間疲れを忘れるもの。

 うちわの人、ありがとうございました。

 じりじりと関門の時間が気になるようになる。半分程度通過した時点で、貯金は40分ほどまで減っていた。

 ここが山だと感じる。

 それでもありがたい応援や、きれいな海岸線が一瞬疲れを忘れさせてくれる。

 いろいろなところが痛いけど、あくまで想定内の痛み。致命傷ではない。

 集中してクランクを回す。
 カットオフとの闘い。

 120キロ、130キロ過ぎて少しずつ平均速度が落ち始めた。大体22キロぐらいか。
 ランに6時間は残しておくために16:00までにバイクフィニッシュしたいところだったが、それは難しそうだ。しかし最低でも5時間は欲しい。なんとか17:00までには。

 最後の方、折り返し地点の関門を少し回ったところで、反対車線を走っていく軽を見た。車体には「回収車」の文字。この車に追いつかれたらアウトか。霊柩車を見て親指を隠すような気分になる。

 周回コースも終わりに近づいてきた。残り貯金は20分ほど。メカトラブルやパンクがあったら終わりだが、幸いトラブルなく最後の関門を越えた。

 事前情報では、周回コースが終わると緩やかな下りで楽になるとのことだった。しかし、まさかの向かい風。それも結構な風速で心が折れそうになる。

 全然楽にならないじゃないか。

 さらに、足の色々な部分が攣り始めた。
 左の太ももが攣り、かばいながら走ると右の太もも、今度はふくらはぎと順番に攣る。

 これはだめだ。いったん降りてマッサージしよう。幸い関門は越えてるんだから。

 と、後ろから見覚えのある軽自動車が向かってくる。回収車?なんでだ。もうカットオフはないだろ。
 でも追いつかれるわけにはいかない。体に言い聞かせる。
 頼む。明日になったらいくらでも痛いのは相手してやるから、今だけ頑張ってくれ。

 願いが通じたのか、なんとか収まった。必死にクランクを回す。
 おそるおそる後ろを見ると、軽自動車が左折していった。
 もしかして回収車じゃなくて、交通規制が少しずつ解除されていってるだけだったのか。驚かせやがって、もう、と思ってバイクフィニッシュ。16:57。

 しかし後から知ったのだが、バイクフィニッシュにも関門があり、それが17:00。結局あれが回収車かどうかはわからなかったが、あの車が走ってこなくて悠長にマッサージしていたら確実にフィニッシュ地点でカットオフされていた。

 ありがとうございます。

 さあ、あとはランだけ。といっても距離的にはフルマラソンで、本来ならそれだけで立派に競技として、それもスポーツの中でもタフと言われる部類の競技として成立する。もう感覚がおかしくなっているな、と笑う。

 残りは丁度5時間。
 ここから先は未知の領域。

 でも、もうここまできたらやるしかないっしょ。絶対完走してやる。

 行ってきます、とボランティアさんに挨拶してランをスタートした。

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                                            2017年6月11日午後5時


 少しずつ日が傾き始める中、ランパートがスタートした。

 バイクパート後半は正直もう無理かも、と思っていたが、どこかに残っていたアドレナリンが再び流れ出す。

 ガーミンを見るとキロ6分ペース。このペースなら30分ほど残して完走できる。
 これ以上上げすぎても危険なので、このペースをできるだけ保ちたい。

 さすがにみんな疲れているのか、抜くことがほとんどで抜かれることはない。
 そういえばと思い出す。いつもバイクで最後尾辺りになってランで巻き返してた。ランは好きだ。

 まずは1キロ。あとこれを41回繰り返せば完走。
 まさか完走できるのか?俺が?
 いや、まだだ。言い聞かせる。
 フルマラソンだぞ。

 応援をもらいながら10キロの折り返し地点までたどり着いた。
 割とアップダウンあるやんこのコース。と誰に向けてかわからないツッコミを入れる。

 だいぶ日も落ちてきた。足を引きずっている人や、道路脇でへたりこんでいる人もたくさんいる。泣いている人もいる。できることなら全員で完走したい。声をかけながら抜く。

 20キロの折り返し地点。とりあえず帰ってこれた。もう夜に近い。

 反射ベルトをパチンと腕につけてもらって2週目。

 まだいけるぞ。と言いたいところだが、さすがにこのあたりからはペースが落ち始める。6分30秒、そして7分。大丈夫。今の貯金を考えれば7分でも完走できる。

 25キロを超えた。
 いつもならなんてことのないアップダウンがじりじりと足を削っていく。

 1キロが遠い。

 が、なんとか最後の折り返し地点へ。貯金をたずねると大体30分ほど。完走がもうそこまで見えている。

 しかし足が重い。10キロと言う普段なら散歩気分で走れる距離が、永遠にも感じられる。

 体力の限界なんてとっくに超えてる。
 根性論は個人的に好きじゃないけど、ここまできたらもう本当に根性だ。

 そしてなにより、応援がありがたい。
 日は完全に落ちて投光器だけが頼りのこの時間でも、沿道にはたくさんの人がいてくれている。完走ギリギリな時間帯だけに熱を入れて応援してくれている。この暖かさがなければとっくにリタイアしていただろう。
 お礼を言いながら自分を鼓舞する。
 絶対完走します、と何回も言う。
 
 20分ほど貯金を残して最後の関門を越えた。

 体力はもちろん、筋肉も、精神力も、今まで俺を前に進ませる動力になっていたほとんどのものがもう残っていない。
 それでも走る。前へ進む。

 何も残ってなくても、ただ完走したいという思いだけは残っている。

 練習しているときやレース前に考えていた、この過酷な競技を完走できれば何か変わるかもとか、完走したら自慢できるとか、なんでこんな思いまでしてとか、そういう余分な思考がどんどんそぎ落とされていく。
 
 そんなことはもうどうでもいい。

 今日が人生の最後の日になったっていい。

 涙がとまらない。

 不思議なことに、無駄な思考や欲みたいなものがなくなる代わりに、もう限界だと思ってた足が動くようになる。

 いける。

 ランスタート地点を越えて、レッドカーペットへ。

 3日前にはたどり着けるなんて思ってなかったレッドカーペット。

 MCのあおりが聞こえてくる。ゴールする選手を称える。
 「xxx番の選手、おめでとうございます、バラモンキング!」

 ついににたどり着いた。

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                                           2017年6月11日午後9時45分


 ここからの光景は、おそらく一生忘れることはないだろう。

 両側にはたくさんの人がいて、口々におかえりと言ってくれている。

 ハイタッチ。ハイタッチ。ハイタッチ。

 もういつでもゴールできる。
 でも、ゴールしたくない。

 後ろに選手がきていないことを確認する。
 感謝の気持ちを伝える時間はある。

 最後に体の向きをかえ、ゴールテープを背に大きくお礼を言う。

 「ありがとうございました」

 深く礼。

 向きをかえゴールテープをつかむ。
 フィニッシュは最高の笑顔でしよう。

 涙でぐちゃぐちゃになって、いろんな感情もぐちゃぐちゃになって、それでもなんとか、笑顔でゴールをまたいだ。

 「769番、鬼頭佑輔選手、おめでとうございます、バラモンキング!」

 5年前には夢でしかなかった瞬間。毎日少しずつ練習して、それでもまだ夢の域を出ていなかった瞬間。

 今おれはその瞬間にいる。

 メダルとバスタオルをかけてもらい、地面に座り込む。
 そして泣きじゃくった。

 ボランティアの一人が「大丈夫ですか」と声をかけてくれた。それくらい泣いた。

 心の底から生きててよかったと思った。

 ひとしきり泣いた後、母親に電話した。レースに出ることを伝えるのを忘れていて、ぽかんとしていた。俺とのテンションの差が面白かった。
 後日改めて伝えた時にはどうやらレースの詳細をわかってくれたようで、「来年は応援にいくから」と言ってくれた。心の中で、(来年もでるんや俺。。。)と思った。

 母親との電話を切ると、同僚から着信があった。ウェブサイトでナンバーを入れて関門通過を確認してくれていたらしい。ありがたい。今日仕事やん、と思ったけど。

 一通り余韻を楽しんだらホテルへ。途中マツキヨとほっともっとでビールとかつ丼を買った。親子丼が食べたかったけど、材料が切れててかつ丼しかなかった。
 
 17時間ぶりぐらいにホテルの入り口を通る。
 オーナーがおかえりなさいと出迎えてくれた。

 本当にゴールしたんだ、と感慨深かった。

 部屋へ帰り、まずはシャワーを浴びたのだが、太ももがはりすぎて、ユニットバスへのたった20センチほどの段差がこえられない。これには笑ってしまった。タオルハンガーを手すり代わりに、なんとかお風呂へたどりつく。ここにタオルハンガーがあってよかった。

 ゆっくりとシャワーを浴びて、ふかふかのベッドに倒れこむ。
 声が出る。
 余韻に浸る。

 この5年間に思いをはせながら、友達に報告。インスタにもアップする。時間は23時過ぎ。 

 次の日もほどほどにタイトなスケジュールの予定なので、寝ておきたい。

 とりあえずビールを飲む。もちろんスーパードライ。6缶パック。

 ひと缶目を流し込む。カイジの地下帝国ばりの絵面のはずだが、全然おいしくない。苦い。そしてまったく酔えない。
 きっとすでに脳内麻薬が出きっている状態なんだろう。結局1本だけ飲んで残りは捨ててしまった。ごめんなさい。

 かつ丼を一口食べた。これも喉を通らない。これは明日の朝だな。
 あきらめてベッドに横になる。しかし眠れそうにない。

 興奮と体の痛みとランで摂取したカフェインで、体は疲れてるのに脳は覚醒している。

 ぼんやりと覚醒しながら、中島らもさんのエッセイにあった文章を思い出していた。若くして自殺してしまった友達のことを書いたエッセイの中の文章。らもさんのエッセイの中でも珠玉中の珠玉だと思う。

”~あれから十八年が過ぎて、僕たちはちょうど彼が亡くなった歳の倍の年月を生きたことになる。かつてのロック少年たちも今では、喫茶店のおしぼりで耳の穴をふいたりするような「おっさん」になった。
 そうした軌跡は、かっこうの悪いこと、みっともないことの連続で、それに比べて十八で死んでしまった彼のイメージは、いつまでも十八のすがすがしい少年のままである。自分だけすっぽり夭折するとはずるいやつだ、と僕は思う。薄汚れたこの世界に住み暮らして、年々薄汚れていく身としては、先に死んでしまった人間から嘲笑されているような気になることもある。 
 ただ、こうして生きてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。
だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。生きていて、バカをやって、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。あんまりあわてるから損をするんだ、わかったか、とそう思うのだ。”


 まさに今日がそんな夜だ。この夜を額に入れて、これから先何度も眺めるんだろうな。

 悪くない。
 
 結局眠れずに朝を迎えた。

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                                                   2017年6月12日


 まずは朝一でバイクをピックアップ。そのままホテルでシーコンにバッキング。

 アワードパーティや閉会式に出る時間はなさそうだけど、エキスポ会場へ。
 昨日のゴール写真とおみやげを買った。報告したい人がたくさんいる。

 その後はフェリー乗り場へ。ばらもん揚げみたいなのをかじりながらフェリーの時間を待つ。  

 そうこうしているうちに出航時間になり、出発。
 3日間お世話になりました。ありがとうございました。

 フェリーの中ではハウスオブカードを見て過ごしていたらあっという間に長崎港へ。
 3日前にここを出たのがはるか昔にも思える。不思議だ。

 飛行機まではまだ時間があったので、長崎港付近を歩く。
 体は満身創痍でも気分はクリアだ。
 お店の人が口々にお疲れ様と言ってくれるのがうれしい。

 ようやく体が固形物を受け付けるようになってきて、せっかくなのでちゃんぽんでも。
 街の人にリサーチしてみると4人中3人が同じお店を教えてくれたのでそこで食べることにした。ちなみにもう一人はリンガーハットを勧めてくれた。残念ながらリンガーハットならいつでも食えるぜ。

 お店は少し混んでたけど、「アイアンマンの人やけん」と先に注文を聞いてくれ、着席したらすぐ食べられるよう粋な計らいをしていただいた。感謝です。思い返せば長崎にいる間、「アイアンマンの人やけん」て何回も言われた気がするな。

 ちゃんぽんでお腹を満足させたら、あとは空港へ。4日間、色々あったな。今はすべてが宝石みたいに大切な4日間だ。
 帰りの飛行機はあっという間。気流の関係なのか、予定時間より30分近くはやく到着。思わず降りていい空港かどうか確認してしまった。

 セントレアからミュースカイで名古屋駅へ。ただいま。帰宅後はとりあえずスーツケースから荷物だけ出し、就寝。

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                                                    2017年6月13日


 4時ごろ目が覚めた。とりあえず写真やスーツケースをみて、この4日間が夢じゃなかったことを確認して安心する。

 妙にハイな気分。洗濯物がたくさんあるので、洗濯機を3回回した。その後は仕事だ。

 祭りは終わった。映画ならエンドロールが流れる場面でも、現実は終わらない。
 また日常が始まる。

 5年間夢に見ていた山を登って、世界は変わったか。

 緑は以前より緑で、青は以前より青くなった。
 太陽の日差し、風、空気の匂い、音、すべてが以前より鮮明になった。
 痛いくらいに今を感じる。

 生きていることに、存在するものと存在しないもの、すべてにありがとうと心から思う。
 
 世界は間違いなく変わった。

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                                                        2017年11月


 5か月が過ぎた。季節はもう冬に近い。丁度エントリーを決めた時期が去年の今頃だった。

 レース以降、若干燃え尽き気味になった。食べ過ぎて体重も増えた。
 ほとんど抜け殻のような日々だ。朝ギリギリまで寝ていることも多くなり、まったく練習しない休日も増えた。

 だが、抜け殻のような時期を過ごして改めて思う。

 俺にはあの夜が必要だ。
 トライアスロンは、もう俺の人生にはなくてはならないものになっている。

 眠りの誘いを断ってシューズの紐を結び、まだ眠っている街の中を走る。
 ビンディングシューズのダイヤルを回し、ウェアの隙間を縫って肌を刺す向かい風の中クランクを回す。
 あるいは酔客の喧騒を横目に、ひとりジムへ向かう。

 引き換えに多くのものを手放しても、辿り着きたい。

 あの夜は、そんな夜だ。

                 了


最後まで読んでいただきありがとうございます。
拙い文章ですが、トライアスロンの魅力ーそれも一見しただけでは狂気の沙汰に思えるようなロングディスタンスの魅力をー伝えられれば、あるいは再発見していただければ幸いです。
五島長崎国際トライアスロン大会に携わってくださるすべての方に感謝します。

ありがとうございました。

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