3月17日 今日は思春期
思春期のことを思い出していました。
他にすることがなくて。いや、あるけど。たくさん内線かかってきて、「この人たちわたしのこと暇だと思ってるじゃん」ってちょっと怒ったくらいには今日ちょっとだけ忙しかった。
タロットカードがめちゃくちゃ好きで、本気で信じているのですが、仕事の項目で「死神」がシレッと出てしまい「そりゃ楽しくないでしょうねやる気がないんだもの」とバッサリ言われました。わかる、最近どうも気持ちが奮い起たない。しょっちゅう「しごときらい」って言うわりに、悔しくて泣いたり嬉しくて泣いたり、そんな毎日が楽しかったので、ちゃんと好きではいたんだ。自分の考えていることがどうも立体的にならなくて、中身がなくてまるっきりからっぽだということを痛感している最中だからなのか、ひとつもおもしろくない。
おもしろくないほど、おもしろくないルーティンにハマって今日はまるで沼の底かのようでした。
このあいだ「仕事は楽しくなきゃ」みたいな話をしたばかりで、わたしはそれに納得したつもりでいたのだけど、見事なまでの体たらく。生みの苦しみといえば聞こえは良いのだけれど、わたし今なにかをどうしたいとかいうことがまるっきりない。だからこそもう恥をかこうがなにしようが思いきり生きていた、あの思春期とかいうお年頃のことなんか考えちゃったりとかしたのだろうな。柄にもなく。嘘です柄ですヒョウ柄です。
わたしの思春期めちゃくちゃ思春期で、いまでも引きずるほどの思春期だったから今日まで見事に友達が全然いないわけ。友達の顔するの下手くそだったしほら見ろよこの通り、本当の本当に自己中心的でわたしが世界のすべて人間だったから当たり前っちゃ当たり前だけどさ。
そういえば思春期のほとんどを、尊敬する人の言葉を借りて生きていまして。その頃歌とか作ったりしてて、その人に一番に聞いてもらったりとかしていた。後にも先にも人生でいちばん崇拝していた人だった。今でもギターを弾いて、歌をうたっていて、たぶん音楽から生まれた人だと思う。
あなたの真似して作った歌を、あなたに送りつけてどうするつもりだったんだろう。
わたしの芯を正してくれる言葉があり、その言葉をずっと大切にしていたのだけれど、自分でないがしろにして、なんだかもうどうにもならないほど折れてしまった。ごめんね、でももしかしたらありがとって話なのかもしれないね。でも全然しっくりこないから、違うと思うんだよね。たぶんこれは物語になるほど残しておきたい大事な記憶になるような出来事で、やっとやっと書き終わったころに運命みたいな顔して笑ってくれたりするんだろうな、とかめっちゃくちゃに信じている。此の期に及んで。
すこしゆっくりめに起きます。おやすみ。
ちすけ