今村夏子著「星の子」を読みました
こんにちは、露口です。
2020年秋に映画が公開される今村夏子氏の著書「星の子」を読みました。
芦田愛菜さんが主演を務めるとのことで今からとても楽しみです。彼女は天才なので。
新興宗教に入信した夫婦の娘、という視点で描写される物語で、読む前は不穏な展開になるのかと思い込んでいました。しかし、娘・ちひろの穏やかな性格と、そう育たざるを得ないとも言える状況のせいでしょうか、善悪のない淡々とした語り口が印象的な作品でした。
ちひろの両親は出生後から病弱であった娘を救うために「あやしい宗教」から「あやしい水」を買うようになり、少しずつ新興宗教にのめり込んでいきます。世間からは忌避され、親族にも更生を促され、金銭問題を抱えますが、その現実世界とは裏腹に新興宗教内では承認や仲間意識、信仰心を得てむしろのめり込んでいきます。ちひろは、物心ついた時から宗教を信じている両親が自分の世界にあり、それを当たり前のものとして受け入れます。学校で傷つくことがあっても特に反抗したり拒絶したりすることなく「そういうもの」として受け入れてしまいます。
ちひろが中学生になった時、新しく赴任してきた南隼人に傾倒する場面がありました。ちひろは南のプロフィールや似顔絵を紙に描きまくるといった、まるでフィクションの世界に憧れるようなのめり込み方をしていきます。南のことを東洋のエドワード・ファーロングと評すなど、およそ自分には直接関係ない遠い世界のものとして南を受け入れました。ちひろのこういった現実世界への態度が、現実をフィクションとして、新興宗教の世界を現実として受け入れているように思えました。一方、新興宗教の集会の中ではみんなの憧れとされている海路さんと昇子さんとは普通に会話をしており人間として受け入れている印象を受けます。ちひろの姉のまーちゃんは思春期の頃に家を出て宗教とは関係のない世界に行ってしまいますが、ちひろの中ではどちらがちひろにとって現実なのかこの場面からわかりますね。
私は個人的に新興宗教について調べるのが好きで、ご多聞に漏れずあのオウム真理教の記事やウィキもよく読んでいました。その中で、麻原彰晃の三女の麗華、アーチャリーがオウム真理教をどう受け止めていたかを知りました。
”自分自身の信仰心については、物心ついた頃から教団があり、そこにいるのが自分にとっては自然なことで「オウムという“街”に住んでいた感覚に近い」と感じており、「入信も出家もしていない」と語っている” ーWikipediaより引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/松本麗華
ちひろは物心つく前から既に宗教の世界にいた。しかし姉のまーちゃんはおそらく物心ついた後からの体験でしょう。つまり、ちひろにとって世界である新興宗教は、アーチャリーと同様に街のようなもので入信も出家も必要ない所でしたが、姉のまーちゃんにとって世界は最初の現実の方なので、新興宗教と付き合っていくには入信という心の準備が必要であった。そしてまーちゃんはそれをしなかった。人間にとって、もともとの世界の概念が揺らぐことはかなりストレスになりますよね。だから入信できなかったのか、ただまーちゃんがそういう人だったのかはわかりませんが。
私が思ったのは、生まれてから自我が芽生えるまでにいた世界がその人にとってのベースの世界になるのではないかということです。だから幼少期の被虐待経験は成人になってからも大きく影響するし、繰り返されるのではないかと思うんです。ただの推測ですけどね。
私は新興宗教に対しては是も非も意見としては持ち合わせていません。人の人生の責任は取れないので、誰かの生き方を否定したり後押ししたりすることはしません。生まれてくる子供たちが意志も決意もなくこうした新興宗教に取り込まれていくことに反対の意見があるのも分かります。しかし、ベースとなる世界を私たちはみんな選べません。宗教とは切り離した世界で子供を産み育てる義務をつけたとしても、それはそういった宗教的主義を持つ別の世界であるだけなのです。