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デザイナーの立ち位置、当事者性の強さとは何かモヤモヤ考える
こんにちは、コンセントのサービスデザイナーの藤井です。
先月、合同会社レデソン様のTen様に来社いただき「凸凹あるこうカードゲーム」のワークショップを開いていただきました。
凸凹あるこうカードゲームとは
「社会側が発達障害の特性を理解していないのではないか?」という視点から「そもそも“自分自身がどういう特性があるのかわかってない”のではないか?」という発達障害当事者が抱える課題に焦点を当て、自己理解と他者理解の両方の理解を促進するカードゲーム。2020年のハッタツソンで考案し最優秀賞を受賞。
また、このワークショップと同時期に前職で企画した「こまった課?」というゲームもコンセント社内で遊んでもらいました。
こまった課?とは
プレイヤーはとある街の市役所の中にある「こまった課?」の職員です。「こまった課?」には、いろんな特性を持った住人がお困りごとの相談にやってきます。職員であるあなたは、住人たちに質問をすることで、困ってしまう理由(特性)を見抜いて解決しましょう!住人たちがどうしたら楽しく暮らせる街にできるのか、仲間と一緒に考えましょう。
今回、この2つのゲームを遊んだことで見えてきた「デザイナーとしての問題への向き合い方」や「当事者性の強さとは何か」の気づきをお話ししたいと思います。
2つのゲームの、姿勢の違い
この2つのゲームは同じ「目に見えない障がい」がキーワードとしてテーマになっており「当事者の悩みを解決しよう!」というゴールは共通です。
しかし、ゲームシステムから姿勢の違いがくっきりと感じられました。
「全員が当事者だよね」か、「どちらの場合もあるよね」か
凸凹あるこうゲームは「プレイヤーという自己」と「障がい(あるある)」を結びつけて、当事者と支援者という垣根をなくして誰もが「あるあるを抱える人である」という前提でゲームが進行します。
一方、こまった課?は「障がい(特性)がある住人にプレイヤーがなりきり」、当事者の役割と、支援者の役割をスイッチさせながらゲームを進行します。つまりプレイヤーは「当事者であるときと、そうでないときがある」という前提があります。
当事者が参画しているか、いないかの違い
この前提の違いに、ゲーム企画に当事者が参画しているか、参画していないかの違いを感じました。凸凹あるこうゲームは「インクルーシブデザイン(当事者の方と一緒にデザインする方法論)」の考えのもと、当事者を含めて「一人ひとりが過ごしやすい社会を作りたい」と検討されたゲームです。
一方、こまった課?は当事者を支援する人々(+デザイナー)が「両者にとって、どうしたらより良い世界になるだろうか?」と考えて作られたゲームです。
実際にゲームで遊んでみて
凸凹あるこうゲームは、ゲームで議論される対象と私たちの暮らす社会は同じ世界として扱います。
こまった課?は、当事者はユニークなキャラクターが登場し、ゲームで議論される対象と私たちの暮らす社会は異なっています。
同じ世界であることで、凸凹あるこうゲームはプレイヤーに「自分も当事者の一人である」という意識を芽生えさせることに成功していると言えます。当事者がデザインに参画するパワーを感じました。一方で、当事者として自己開示することは人によってはハードルもありました。(自分が苦手なこと、うまくできないことは人に知られたくないこともありますよね)
ファンタジーの世界であることで、プレイヤーは自己開示の必要なくゲーム内で障がい(特性)のある視点を体験することができます。その代わりに「自分も当事者である」という意識は醸成しづらく、プレイヤーは現実で「そういうことがあるかもしれない」と想像するだけに止まります。
デザイナーはどの位置に立つか
さて、上記を踏まえて私のような「デザイナー」はどの位置に立っていく必要があるのでしょうか。私は当事者でもなく、支援者でもない、また違う立ち位置であるのではないかと考えました。ただし、擬似的にデザイナーは当事者でもあり、支援者でもある瞬間があります。それは、メタ的に起きている問題を捉え、当事者・支援者(第三者)の視点をスイッチしながら、プロトタイプを作るからです。
おまけ、当事者意識とは何だろう?
全日本学生児童発明くふう展の発表より引用して「彼は難病を抱えるお母さんとずっと一緒にいたい」という思いから、このプロトタイプを作ったとコメントしています。
近日「当事者意識」という言葉は場面によって「主体性」とニアリーイコールで語られることが多く思います。しかし、この動画や凸凹あるこうゲームで感じる「当事者意識」と「主体性」は異なるように見えます。どちらかというと「現状に対する絶望、何かうまくいっていないという認知(ジレンマとも言えるかも)」が強く感じられます。このパワーが当事者が関わるデザインの強さなのかも知れません。このジレンマが良いデザインのヒントになるのでは、と考えさせられる動画でした。
凸凹あるこうゲームも、こまった課?も、別の角度から良い社会を作ろうと思考する、楽しくも面白いゲームですので、気になった方はぜひ遊んでみてください!
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。