感情の大津波
こんにちにちは〜ちゃたです。
静かな中でほぼ過ごしてるのですが、たまーに心の大嵐がくることがあって、ふっとばされます笑
その時は本当にのたうち回るほど苦しいです。
そんな中で、これって所謂インナーチャイルドってやつがいるのか?と思ったんですよ。
だから内なる子どもを発見して、話をよく聞くようにしてました。
その子どもの話を聞けが聞くほど、なんだかとっても欲求が尽きないんですよね...
うーん...????
癒されれば静かになるとか聞きますが、なんかこれもエゴの策略なんじゃないのかなと思うのです。
もしくは脳の応酬系の仕業。
思考、感情を作り出す心がないのなら、インナーチャイルドだって幻ですよね。
この世界はいつでも神の采配によって完璧に進んでいるだけの世界。
それに自我が幸か不幸かと勝手に色付けしてるだけ。
インナーチャイルドを満たす幸せって...?
自我がそこに呼び込むことによって、思考と感情を乱れさせることを正当化してる気もしてます。
インナーチャイルドと仏教の関係性ってどうなんだろう...ご存知の方いますか?
ちょっと要研究ポイントな気がしてます。
もしかして心理学と仏教って混ぜないで、どっちか一本でやった方がいいのかもしれません。
心理学は心があるのが前提の科学。
心の形を変えて苦を減らしていく。
仏教は心がないのが前提の教え。
心を超越して苦をなくす。
相容れないのかなあ...
心理学はちまちまやってるんですが、仏教は経典の一つもしっかり読んだことがなくて、あまりよく知らないのです。
ただ一つ自分などいないのだと腑に落とし、ひたすら湧いてくる思考、感情を呼吸によって流し続ける。今に在り続ける。
これだけでいい気がする。
これをやってるだけで勝手に真我に引き戻されてるしなぁ...。
真我(神の存在)に気がつくと、自然と確信を持って身体が動くんです。
“内なる強い引き“みたいなものが湧き上がるんです。
これを子どもの頃はたくさん感知できていたけれど、社会通念(大人)により無視せざるを得なかった。
それで真我のエネルギーが身体を流れずに感情のエネルギーとなって蓄積してる。
その未処理のエネルギーを利用して、自我に止めさせようとするため、感情として爆発させ、インナーチャイルドを考えるように誘導されてる...?
ふむ...この仮説でいくと...
子ども時代に流せなかった真我のエネルギーが原因ならば、インナーチャイルド化しないですよね。
今それを真我に至った私が解放し流すだけでいいのでは...
そんな風に感じる今日この頃です。
まあこの答えも委ねていれば勝手にやってきますね。
考える私も、答える私も同じで、いないのでね。
今日もありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?