指示語は抽象化が得意な人間にしか伝わらないという思いつき。
これについては、本当に思いつきであり、何の根拠も無い。
前文で、「これ」として指示したものは本記事のタイトルである。
指示語(これ、それ、あれ、どれ)にて、物事を指し示すということについて考える。
まず、指示語が伝わるということは、その文の置かれている文脈を理解しているということである。
つまり、
「これについては、思いつきであり、何の根拠も無い」
と、突然に脈絡もなく読んだのでは、何の意図も伝わらない。
「これ」という箱に詰められている概念、物事についての合意、文脈の共有が必須である。
そしてこの箱にはどんなものでも入りこむ余地がある。
自分の持っているぬいぐるみを指差し、
「これは私のぬいぐるみ。」と言ってみる時。
「これ」はぬいぐるみという一つの物、物体を指している。
あるテーマについて議論をしていて、誰かが1つの意見を述べる時。
そして、その意見について反論する時。
「それは、〇〇という立場だから言えることであって、、、」
「それ」として指示してみたものは、伝わった意見全体をさしている。
具体的な事物を指すことも、抽象的な概念を指すこともできる。
この指示語。
メタレベルを縦横無尽に駆け抜けることが可能である、これらの指示語を上手く活用するためには、様々な次元(抽象レベル)で物事を捉えることのできる能力が必要なのではないか。
つまり、抽象と具体を行ったり来たりできる人間なのでは無いか。
話し手の立場に立つことができる能力。
とも言い換えられるか。
それは抽象化をする能力と、似通ったものなのではないか。
様々な事柄をさすことができる指示語を、相手の伝えたい次元で捉えることができる能力。
これは、なんだ?