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この笑いは「正しさとありのまま」への執着だ。

 笑いは正しさへの執着だ。人間は人と本心で向き合えば、軋轢や摩擦をいともたやすく生んでしまう。自分の伝えたいことと相手の伝えたいこと、自分の主義主張と相手の主義主張、必ずどこかが食い違い、必ずどこかがひっかかり、悲痛な鳴き声をあげる。そんな時、笑いを潤滑油として使う。自分の中の正しさを相手にその形のまま伝えるために。

 自分の思いをそのまま言語化して伝えるのではなく、相手に伝わりやすい形で伝えること、これはコミュニケーションでは当たり前のことだ。しかし、これでは伝えたいことは伝わっても、伝えようとした過程の思考そのものは隠していることになる。つまり、度が過ぎると嘘になる。いや、コミュニケーションという言葉そのものが、「嘘」という意味をも孕んでいるのではないか?  そんな「深い話(笑)」はどうでもいいか。

 伝えたいことそのものの本質だけを伝える場合、その内容をカチコチな物体であり、フィットする場所にしかぴったりと収まらない固体と例えるならば、受け手の受容力を想像して、情報をゲル状であったり液体の別の形に変えて、収まりを良くしてあげる。本質は変えずに浸透力を付け加える。こうすれば幾分か受け取りやすくなるのだろう。が、果たしてこれは嘘じゃないのか??

思考が闇の彼方へ葬られる前に、脳みそへのランダムな刺激を期待してWikipediaちゃんに登場してもらおう。

嘘:嘘(うそ)とは、事実ではないこと。人間をだますために言う、事実とは異なる言葉。偽りとも。

 そうかそうか、伝えたいことそのものを事実と反する方向に捻じ曲げていない場合、言葉にしたことと実際が矛盾していない場合、嘘ではないのか。これはちょっと嘘の概念を捉え直さなければならないようだ。この定義で考えるならば、思ってもいない実際の感情とは異なるお世辞などは「嘘」であり、相手が受け取りやすいように装飾する言葉達は「嘘」ではないのかもしれない。私の中でもこれは「嘘」というより「操作」が近かったが。しかし、相手が受け取りやすいように飾った言葉でも実際との矛盾が含まれる場合もあるじゃないか。あれ、、それに、「今伝えたことが全てです」然とした面構えでいるのに、その裏にあれこれの思考が潜んでいるなら、それは立派な「嘘」なんじゃないか?道徳、コミュニケーション、社会人という皮を被った悪魔め!

 少し着眼点を変えてみて、なぜ私はこんなことが気になるのか考えてみることにしよう。まず一番は、自分が思ったこと、ありのままを伝えられた方が純粋に気持ちが良いからである。しかし、当然に社会的な制約、人間関係の制約、自分の感情からの制約、その他いろいろなものの束縛を受けて、思ったことと、言いたいこと、そして実際に言った言葉はそれぞれ別の形をしているのが常である。

 そして一番の原因は、私が相手に優しい嘘を吐かれている場面を想像すると、吐き気がするほど嫌だということである。私は純粋に相手が思ったことをそのまま知りたい。好奇心でもあるし、それをもとに嘘のない思考ができるからでもある。なぜそれをあなたに、未来の感情を予測され、勝手に感情と嘘とを天秤にかけられ、挙げ句、事実を知りえるチャンスをみすみす逃すことにまでならないといけないのか。受け手の立場になると、嘘も、優しい嘘もどちらも変わらず嫌なのである。受け手では嫌なのに、発言としては優しい嘘を吐いているとなれば、これは所謂ダブルスタンダードではないか。
 私は今更ながら「おいデーブ!デブ!やーいやーい」「そういうことを言ってはいけません!〇〇君に謝りなさい!」「本当のことだから言ってもいいだろー!やーいやーい」というやり取りに一種の尊さをも覚えるのである。

 だからといって、本当に傷つける言葉を投げかける人を擁護しようとしているわけではないのであるから、私の論理はたちまち粉々に破壊され、音もなく吹き飛ぶのだ。そしてそのまま二度と戻ってこないほうがいいのだが、ここで「笑い」に登場してもらおう。

 伝えようとした過程含めて相手に知ってもらおうとする時、嘘のない思考の過程を披露する時、「笑い」がとても重要な役割を担ってくれる。ここでの「笑い」の役割は「本当に伝えたいこと、伝えるべきこと、ありのままの情報」と「いろいろな制約」の架け橋になることである。潤滑油である。私はよく「私は君とは違ってこう思ったんだけどね」のような相手に対して一定の不快感を与える場合も予測される言葉群を、面白おかしく脚色する。これは固体を液体かゲル状に変化させて、相手にフィットしやすい情報を投げてやることにも近いが、面白おかしく事実を組み立てることには「嘘」は含まれていないと私は思うのだ。私はできれば、自分も他人も常に笑っていて欲しいと思っているし、常に真実を口にしていたいとも思っている。その折衷案が笑いなのである。

つまり、この笑いは「正しさとありのままへの........


「ちょっとまったあああああああああああああ!
あなたを論破しに来た!!!論破ちゃんだわよ!!!!」

なんだよ、いきなり。

「なに論理立てて、ここまで話せて良かったって顔してるのよ、ひとつあなたの矛盾点を見つけたわ、とりあえずお疲れ様ね」

はあ。

「あなたはさっき『なぜそれをあなたに、未来の感情を予測され、勝手に感情と嘘とを天秤にかけられ』なきゃいけないのって言ってたわね。」

うん、言ってた。

「じゃあなにを勝手に相手の感情を予測して笑わせようとしてるのよ、それはあなたの嫌いな感情の予測と操作じゃない」

!?、、あぁ、、、確かにそうだ、、。笑いは予測で純粋じゃない、、?知らず知らずに俺は神様気取りをしていたのか、、はは、ははは、ははははははははははははははははははは

※この笑いは「正しさとありのまま」への執着だ。



出演 私(俺)
   Wikipediaちゃん
   論破ちゃん

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