【ダイソーと無印良品】 スタンダードへのアプローチを比べてみた
「30年はいけるよ」
陶磁器デザイナーであった森正洋(もりまさひろ)さんは、無印良品の白磁のお皿を作った後に、デザイナーの深澤直人さんに言ったそうだ。
無印良品で数百円で販売されている白磁のうつわたちは、見ればなんてことのない「ふつう」な形をしている。
そこには奇抜さも、近頃よく聞く「エモさ」もないけれど、2004年の発売から17年目となる現在でも引き続き販売されている。
17年の間に、スマホやタブレットが生まれ、いろいろと変わったこともたくさんある。直近の1年で言えば、新型コロナウイルスの影響で、「ニューノーマル」なんて単語も生まれるほどに、生活環境には変化も見られる。
それでも、お箸を使ったり、お米を炊いたり、カレーを食べたり。
食事に関するところは、そこまで大きくは変わらずに、森正洋さんの言うところの30年の半分が経過していることは確かだ。
なぜ森正洋さんの言葉を思い出したかと言えば、このごろダイソーが店舗を開いて話題となっている「Standard Products(スタンダードプロダクツ)」というブランドを見たことがきっかけだ。
「無印良品にそっくり」という声もネットで多く上がっていたけれど、たしかに置いている商品は無印良品の既存の商品を思い出せるようなラインナップに、昔無印良品の店頭に立っていた人間としては思うところもある。
でも、たくさんの人が渋谷にできたお店に来店して、盛況だという話だし、求めている人もたくさんいるのだなと感じた。
それと同時に、「ふつう」や「スタンダード」ってどういうものなんだろう?という疑問が、改めてふつふつと湧いてきた。
今回のnoteでは、私が考えていた「ふつう」の話を書かせていただきたいと思う。
「ちょっといい」と「これでいい」
そもそもダイソーは、どんな想いでこんなブランドを立ち上げたのかをホームページで拝見すると以下のように書かれている。
普段の⽣活で使う、⽇⽤品をちょっと楽しく。そんな思いを込めて⽣まれた、Standard Products。
これまでに膨⼤な数のアイテムを取り扱ってきたダイソーが、新しいスタンダードのあり⽅を提案します。
商品が個性を主張するのではなく、使うひとが⾃分らしさを 楽しめるブランドをめざします。
使いやすさはもちろん、環境に配慮した素材など、私たちだから出来る感動価格、感動品質でお届けします。お客さまがコーディネートしたくなる⾊揃えを展開していきます。
スタンダードであり続けるために、使い勝⼿や品質の向上に努めます。
どこにでもありそうだけど、ちょっといい。 ⾃由に気軽に、⾃分らしく楽しめる。それがお客さまにとって「ずっといい」になっていく。私たちは、そう信じています。
ちょっといいのが、ずっといい。
公式HPより引用
「普段の⽣活で使う、⽇⽤品をちょっと楽しく」の実現のために、「新しいスタンダードのあり方を提案する」というような内容は決して目新しいものではない。
ただ、ダイソーの100円均一で磨き上げたコストパフォーマンスからは、無印良品やニトリ以上に安く購入できそうな期待感があるし、実際売場でもお求めやすい価格で様々な商品が展開されているらしい。
そして、「ちょっといいのが、ずっといい」という一番最後の言葉からは、無印良品が提唱している「これがいいではなくこれでいい」という2002年に発表されたメッセージのことが想起される。
無印良品はブランドではありません。
無印良品は個性や流行を商品にはせず、商標の人気を価格に反映させません。
無印良品は地球規模の消費の未来を見とおす視点から商品を生み出してきました。
それは「これがいい」「これでなくてはいけない」というような強い嗜好性を誘う商品づくりではありません。
無印良品が目指しているのは「これがいい」ではなく「これでいい」という理性的な満足感をお客さまに持っていただくこと。
つまり「が」ではなく「で」なのです。
しかしながら「で」にもレベルがあります。
無印良品はこの「で」のレベルをできるだけ高い水準に掲げることを目指します。
「が」には微かなエゴイズムや不協和が含まれますが「で」には抑制や譲歩を含んだ理性が働いています。
一方で「で」の中には、あきらめや小さな不満足が含まれるかもしれません。
従って「で」のレベルを上げるということは、このあきらめや小さな不満足を払拭していくことなのです。
そういう「で」の次元を創造し、明晰で自信に満ちた「これでいい」を実現すること。
それが無印良品のヴィジョンです。
無印良品からのメッセージ 無印良品の未来より引用
私はここに、無印良品とダイソーのそれぞれの「ふつう」や「スタンダード」へのアプローチ方法の違いが見えてくるような気がする。
無印良品は、「これがいい!」と使い手が物欲を呼び起こされるような商品よりも、いろいろなところで商品を見たけれど、この分野にはそこまで興味がないし、それでいて変なものも買いたくないから「無印でいいか」というような「脇役的ポジション」を目指して、「ふつう」をつくっている。
空っぽの器のように、使う人によって受け止められ方を任せて、店舗、家、事務所など様々な場所で使われる様子からは、「自分らしさを楽しむ」といったことすらも押し付けない、無印良品のプレーンな姿勢が感じ取れる。
それに対して、ダイソーは普段の生活で使う日用品を「ちょっと楽しく」できるようなものを作ろうとしている。
「使いやすさはもちろん、環境に配慮した素材など、私たちだから出来る感動価格、感動品質でお届けします。お客さまがコーディネートしたくなる⾊揃えを展開していきます」という言葉からは、使いやすさはもちろん確保した上で、環境に配慮した素材(エコ・サスティナビリティ)、価格への感動(百円均一同様のコスパの良さ)、感動品質(それでいて品質がいい)、といった現代に重要視されている要素を実現した商品こそがスタンダードであるといった意志も読み取れるように思う。
こうして比較してみると、同じような店舗の雰囲気や商品の形状であったとしても、目指すところは結構違うのが感じられるのではないだろうか。
「流行り」として求められている「ふつう」
「個性を大切に」であるとか、「自分らしさ」を中心にという言葉をそこかしこで耳にする時代だけど、同時に「スタンダード」や「ふつう」といったものも世の中では強く求められているように感じられる。
それは、一時期のムジラーなんて存在まで生み出した無印絶頂期が、バブルと呼ばれた有頂天な時代の反動から生まれたように、世の中が「エモさ」や「映え」を求めるほどに、「批判されない安全地帯」としての落とし所を求めているからじゃないか…なんて自分なりに思ったりしている。
批判の余地がないほどに「ふつう」で「ていねい」に作られたものは、目まぐるしい情報に流されそうなこの時代において、誰もが安心して立ち寄ることができる場所なのかもしれない。
ただ、そうやって「ふつう」が「ブーム」や「トレンド」として消費されているようにも感じる。
ダイソーのスタンダードプロダクツはそんな市場の動きには確実に意識されていて、「オーガニックコットン(環境への配慮)」や「金属洋食器の街として有名な「新潟県燕市」製のカトラリー(丁寧に作られた日本製プロダクト)」といった要素がしっかり組み込まれている。
スタンダードプロダクツではキャンプ用品もラインナップされているそうだけど、これもニューノーマルな今の時代を反映した「スタンダード」の提案なのだと思う。
こういった動きを見ていると、トレンドに合わせてデザインがくるくると移り変わるファッション業界のことも思い出す。
そして、ファッションといえば「ホームファッション」を看板に大きく打ち出していた(この頃なくなってる?)ニトリの看板が頭に浮かんでくる。
そういった意味では、ニトリは「ファッション」としての家具やインテリアコーディネートを打ち出してきた原点が伺える。
スタンダードプロダクツの食器には、上のリンクからも御覧いただける通り、日本古来の尺貫法が用いられていて、今後は食器だけでなくカトラリー、キッチンツールなども同様のサイズ規格で設計を進めていくとホームページには記載されている。
継続して食器を使い、買い足すときにも規格の統一は便利なものでもあるのは確かだ。
そして、「新しいスタンダードを生み出す」というダイソーの商品開発への意欲の表れとしても受け止めることができる。
ここで、話は冒頭に繋がる。
私が気になっているのは、ダイソーのスタンダードプロダクツは、「どれくらいの期間、この規格をスタンダードとして貫く」のだろうか…ということ。
もちろん、無印良品にも廃盤になる商品はあるので、一概に長く続くかどうかというのが判断の尺度になるとは言えないとは思う。
しかし、「スタンダード」を謳うのであれば、どのくらいの想いや覚悟をもってこのブランドをはじめたのだろうか…というのは純粋に気になってしまう。
たぶん、スタンダードプロダクツ関連のニュースやツイッターをみて胸がもやもやっとするのはこういった部分から来ているような気がするのだ。
ぐるぐると円を描く無印良品
森正洋さんから「30年はいけるよ」という話をきいた深澤直人さんは、無印良品のデザインを語る上で最重要なプロダクトデザイナーだ。
そんな深澤直人さんが、無印良品のありかたを「ぐるぐると円を描く」ことに例えて、説明をされていたのを聞いたことがある。
きれいな円を描くのはとてもむずかしい。
かつて、漫画の神様である手塚治虫はフリーハンドで器具を使わなくてもきれいな「円」を描くことができたという。
ただ、常人である私達には、そんなことできなくて当たり前だ。
けれど、ぐるぐるぐるぐると何回も。
何回も何回も。
何回も何回も何回も円を描き重ねていくと…
すると正しいところが重なって、きれいな円がシルエットとして現れていく。
この例えを用いて、深澤さんは無印良品も「間違っていく」ということを話していた。
間違えて、修正して、間違えて、修正して。
絶対的に正しいことが、いつでもできるわけではない。
それでも、お客様と適正な場所を探しながら、試行錯誤していくうちに、「きれいな円」が浮かび上がってくる。
そもそも「ふつう」というのは「普遍」とも少し違う。
「海の音を聞くと落ち着く」とか「夕日を美しく感じる」というようなことは、世代を超えても通用するような「普遍」的な事柄だ。
でも、「スマホを充電する充電器があったほうがいい」とか「マスクを常にしておかないといけない」といったことは、その時代時代の「ふつう」ではあるけれど、様々な環境によって移り変わっていくようなものだという。
無印良品は基本的な姿勢として、その時代時代にあわせた「ふつう」を探りながら円を描き、間違えては修正することを40年近く続けてきた上で今があるのではないかと自分は考えている。
トップ画像にさせていただいた形は、丸を描く形と、Standard Productsの「ちょっといい」の上向きの矢印から画像にして比較させていただいた。
思えばこのちょっといいの基準も、無印良品だとか、たくさんのブランドが築きあげてきた基準の上にあるようにも思える。
もちろん、ダイソーのスタンダードプロダクツの商品が「ほしい!」と思って購入することが、自分にも今後もあるかもしれない。
でも、そのときにもきっと私は、無印良品の商品と、そのアプローチ方法も含めて比較検討してから購入するように思う。
こんなお話があなたの購入基準の参考や、同じような胸のもやもやの解消になれば嬉しく思います。
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