「人は死なない」矢作先生
2週間くらい前、ふと死に関しての話はないかと、思ってたら、
たまたまNaokimanと東大名誉教授矢作直樹先生の動画を見つけました。
そのあとパートナーが7回目の入院となり、より、死というものを意識してしまいました。
矢作先生は、35年医師として活躍され、今は別の道で活躍され霊性の高い方、
ご自分の仕事での経験から、死に関してもそうですが、世界的、地球宇宙規模で、信憑性あるお話をされてとても興味深いです。
医者でありながらも、物質や科学以外で、幅広い視野の感じ方考え方をしているので、
医療現場ではやりずらい事も沢山あっただろうな〜と思われました。
昔『人の魂は永遠』という話を他人にすると、
私は無宗教ですが、「変な宗教に入ってる?!」と怪訝な顔をされたりしましたが、
死んだら終わり!と思う人に対し、逆に不思議でした。
日本人は肉体は滅んでも魂は永遠という事を、もともと深い所で感じ知ってると言われてますが、
『現実的に生きる事が大事』という、地に足がしっかりついてるという事な訳で、
そういう人ほど真剣に生きてる!と思ったりもします。
肉体を脱いだらどうなるんだろう?、あちらの世界は?など、興味津々でも人と話せない分、本で調べるのが楽しくて仕方なかった頃から比べると、
ようやくこういう時代が来たー
♪───O(≧∇≦)O────♪
と更に魂は喜んでます。
しかしながら、私はこの矢作先生の動画を見る事で、パートナーの状況に対し安堵感を得たかった訳なのですが、
先週の旅行から帰宅した後、酸素欠乏でだいぶ苦しがっていて、普通に立って歩けずで、這いつくばってベットに向かおうとするのを手助けしようとすると、
「自分でやるから大丈夫」と、哀れで見ていられなかったです。
もしかして、別れが早くくるかもしれない、と気持ちが焦りました。
私の中では、彼はもっとこの世でやりたい事があるはずで、こんなに早くはいくはずがない!と、根拠のない自信を感じてます。
この世で親しい人との別れは、悲しいもの。
かと言って、亡くなった存在に、いつまでも思いをはせ執着し続けるというのは、よほどの死に方以外はあまりないと思ってます。
もし涙が溢れ過ぎてどうしようもないとしたら、その人との関係の中で、やり尽くしてないものがあり、後悔や反省があるからなのではと思うのです。
亡くなった時に、それらの思いや自分の相手に対する懺悔で涙するのではと思います。
生きてる間は、完璧に相手を愛し続けるのは、なかなか難しいと感じる事もあります。
時にはムカついたり、憎む事もあったり、
身近な人は、そう言った思いを清算する為に出会う事もありますが、
クリアにするというのが難しい事も多々あると思います。
せめて生きてる間に手放していきたいものです。
この辺の話は長くなるのでやめておきます。
パートナーが7回目の入院の先日、
救急隊員に「付き添いは?」と聞かれ、私はまごつき、
「私が行こうか?」と娘が言ってくれ、託しました。
娘は今回初めての付き添い、
私以上にショックと疲労で翌朝から寝込んでました。
病院で危機的状態を聞かされた事でしょうから〜
真夜中でしたので、彼女は一睡もせず朝方タクシーで帰って来て、
私はすれ違いで仕事場へ、
職場の人に聞いて貰いたいと思ったら、ついつい泣いてしまいました。
職場の人は話を聞き受け止めてくれ、私もグッと堪え仕事を続けられましたが、
なんだかボーッとしミスばかり。
仕事を終え面会に行き、lCUに入った彼の姿を見て愕然としました。
呼吸器は3から6に高く上げ、彼は力を振り絞り何か伝えようとしてるのですが、言ってる事が聞き取れず、
うんうんとうなづくしかありません。
過去によく見たTVドラマのようです。
彼も疲れて話しては眠るの繰り返し。
病院を出た私は涙を堪えても、どんどん流れてきて、
こんな沢山の涙、身体のどこから出るだろう?と冷静に思ったりしました。
こんなに泣くのは、彼に対し厳しくしてきた懺悔。
まだ死んだわけではない!
泣いてはいられない!そう自分に言い聞かせました。
こんな私ですが、切り替えは直ぐにできる方。
よく相方を失って鬱になってしまったという方の話を聞きますが、自分はそこ迄は大丈夫と思ってます。
翌々日の面会、
前回より少し元気になったよう、
「ママ、有難う」とハッキリした言葉を聞き、
「話せるようになったの?、心配したよー😭」
そして二人で😭ながら、私は彼の浮腫んで太くなった手を握り、
自分が彼に厳しかった時の事を謝り、
「辛いよね〜、でも絶対大丈夫だから」
と言って、いろいろ二人で話し、面会時間が過ぎ病院を出ました。
また翌々日の面会、
丁度肺の主治医の先生が来てくれ「数値が良くなって来た」との事✨
退院したら家での介護は難しいので、リハビリセンター医院に移動した方がよい!と。
彼は、lCUでの体制が辛く、食べ物が不味い、看護婦さんが直ぐ来てくれないなど、愚痴ばかりこぼしてました。
肝性脳症は性格がネガティヴになるらしく、それも一理ですが、
私はこれは彼の内在していたエゴの部分で、今まで押さえてたものがドッと出てきたのではないかと思いました。
肝臓は怒りの臓器
責任感の強い頑固な性格の為、我慢する事が多かったと思います。
「パパの仕事に対する姿勢は素晴らしいけれど、もっと自分を大事にしなければ〜」と、何度も言いました。
責任者でもあったので、人や職場の為に限界を超える無理な働き方をする事に、警告を出し
ワクに対しても危険視を発してました。
仕事に対し自己犠牲を強いる人は多いと思います。
日本人は働き過ぎ、本当にやりたい事は脇にどけ、最後は倒れ、苦労したままあちらに逝ってしまう人が多いのでは、
それも人生でしょうけど〜
彼に「そんなに仕事が好きなんだ」と言うと、
「好きな訳ないだろう、辞めたくても辞めれないもんなんだよ」
やり甲斐があったかもですが、キャパシティを越えてたでしょうから、
「辞めたい」の言葉が自然に出てしまってたんですね。
そんな彼が、病気をした事で、本性というか、本音がよりボロボロ出てきたのです。
また、病気というものは、その人の魂の学びの為にあるものと捉える私は、
例えワクでこうなってしまったとは言え、本人は想像し得なくとも、
魂はなんらかのカルマ解消をしようと、したのかもしれない、と勝手に思ったりします。
人は病気をして初めて今までスルーしていた見えなかったものが、見えたり感じたりするものです。
今の彼はがんじがらめの蓋を開け、怒涛のように隠された思いを吐き出してるかのように見えました。
私は彼に諭すよう、厳しい事を沢山言ってきたのですが、
ワクに対しての怒りは私の中ではもうありません。
なってしまった事は変えられません。
今の現状をどう生きるかが重要で、
彼がこのような道を選んだのは何故なのだろう?と、考えてみたり、
社会の歯車に翻弄され続けてきた、忘れてしまった本来の自分を、取り戻して欲しいと思いました。
私が彼の何を知っているのかさえ分からないのにです。
そして今は、今後どうしていけば良いのかにフォーカスするのみ。
彼も私も、過去の執着心を外し前を向いていくのです。
矢作先生のこちらの本も買いました♪
医学の話の部分は難しかったですが😳
なんだか、心が軽くなりました😌✨