東山魁夷記念館へ行った帰り道、生きる目的ってなんだっけ?に想いを馳せる
前から気になっていた、東山魁夷(ひがしやまかいい)記念館(千葉)
よく見かける記憶に残る風景画は、
JR総武線下総中山駅を出、階段おり、すぐ目の前のバス停、北方停留所まで9分乗車、バス停を降り道路の反対側。
平日の雨模様で、人がチラホラだったので、贅沢に観覧出来た。
絵を眺めてると、何かを感じ始める。
環境に意識がいくせいか、美しいものを求めたくなる。
昨今グローバル化が進み、自然破壊が進んでる事に憤りを感じる。
子供の頃、自然環境を破壊したり、動物達を苦しめる人類など・・・・と思ってた。
長く生きてる自分も、知らずに環境破壊に多く加担している。
かと言って自分のなせることなど些細なこと、何か特別な事をしてるわけではない。
美しいものを維持し永遠に残す事、
結局人間を介さなければ、今の環境は変えられないのか、
意識を高く、そして強く生きていく。
東山魁夷氏(1904-1999没)が絵を描いていた頃は、今よりも山や水はもっと美しかったのではないだろうか。
青々しさ、緑の木々、澄んだ水や空気、空、様々な季節の風景画に心が喜ぶ✨
永遠に受け繋いでいかれるに違いないと思いたい。
美術館に傘を忘れ、傘をかける🔑を持ってきてしまった💦
電話をし郵送しますと詫びたが、電話を切ったあと、また近々来たい、と思った。
美術館は自分との対話に最高の場。
この絵の緑の中の白馬のように、ひっそり想いに耽けたい✨
帰りは思いつきで、15年ご無沙汰の画材屋さんに寄ってみたくなった。
以前から居た店員さん懐かしい♪(私の事は覚えてないと思う)
大きな絵を立てかけながら必死💦
「すみませんね歩きにくくて」
お店は狭いが、画材に囲まれると心落ち着く。
私よりずっと年上と思ってた店員さん、変わらずに若く見える。
相変わらず気さく、
「これね、80代の人が書いたんですよ、
3日後に乃木坂の国立美術館に運ばなきゃならなくてね、
崩して2tトラックで運び、向こうでまた組み立てるんで、結構大きくてね」
身長より大きなキャンバスが何枚か重なってる、だからもっともっと大きいって事だ、すごい!
「今ね、結構な年代の人が絵を描くの増えててね、90以上の人が80代の人教えたり、みんなホント凄いよ」
「とにかくね、生きる我欲や執着心強い人ほど、ボケずに長生きするよね、
政治家もそうでしょ、ある意味強欲さも必要だと思いますよ」
私は感心し「へー」と、話に新鮮さを感じた。
我欲?!、特に意識してなかった。
人は歳を経る毎に煩悩を削ぎ落としていくのだと、自分は履き違えた考えをしてたのか?
ある意味生命力は我欲やエゴあってこそ強い。
長生きしたいとは思わないが、生きるからには元気で最後はスッ!と立ち去りたい。
昔のように頑張らなければじゃなくて、夢中で楽しくはつらつと生きたい。
絵の具を買った私に、
「目的を持って描くといいですよ、分からない事あったらなんでも聞いて下さい」
あの時と同じ『何でも聞いて下さい』の言葉が心強く響く。
他人に対し、自分はそんな言葉を言った事があったか?
この人は何十年も画材屋さんとして、きっと人を励まし続けて来た。
だから、どんな年代になっても描き初め、続ける事が出来る。
好きな事をやるきっかけや続けられるのは、こういう人がいてくれるから〜✨
目的かー!
何気ない店員さんの言葉は、心を見透かす神からのメッセージのよう🤔
寄り道して良かった♪
最近意識が飛び飛びで路頭に迷ってた。
夢を思い描きやった気になり、バーチャル的想像の中で満足し終わってる事しばしば。
絵をちょっとだけ描いてた時も、色々夢があり、次から次とやりたい事が変わっていき、
あの時はワクワクしてたが、仕事と家庭が忙しく描くのを忘れてしまった。
下手でもなんでもいい、また描いてみようか。
数年前からのメッセージは、矛盾した言葉で深く捉えられないでいた。
『エネルギーを一つに集中させないとみんな中途半端になってしまいます。
しかし貴方の生きる動機は完成させる事ではなく、探求する事、
他人と比べないよう、そこに興奮と刺激がある限り、とことん追求しましょう』
「現実は一瞬で過ぎ去る、全ては空、残るのは体験体感だけ」と心で唱えてみた。
あれこれやっても無駄!と現実を馬鹿にしてしまってた自分、
でも現実を遊ばないと、感じる事も空虚になってしまうのだ。
探求する事に刺激を求め、完成させようと思わなくっていいんだ。
帰り道のバスの中で、心に惹かれる事をメモしてみた📝
そこには昔と変わらない自分がいた✨