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真実の日米関係史②
南北戦争勃発で生じた日米関係の空白
ペリーから開国の要求を突き付けられた幕府は、翌年、日米和新条約を結び、下田・函館を開港します。
ここに日本の鎖国は終わりを告げました。
その後は、各国と同様の条約を締結し、江戸幕府はその土台が揺らいで一気に幕末へと向かいます。
なお、ペリー提督には、その他に、中国(当時の清朝)との交易を開始するという目的がありました。
というより、交易の点から言えば、中国のほうが最終目的地でした。
アメリカ外交の側から日米中の関係史を見ると、対日関係を基軸とする時代と、対中関係を基軸とする時代がハッキリ分かれています。
このときも交易の点から言えば、対中国が主で、日本はその次だったのです。
さて、日本の開国にアメリカは先鞭(せんべん)をつけた形だったのですが、対日政策で大きく遅れをとってしまいました。
これは、南北戦争(1861〜65年)があったからでした。
アメリカは南北戦争を始めてしまったことで、東アジアでは何もできなくなってしまったのです。
南北戦争というのは、アメリカ史上最大の戦争でした。
内戦というとあまり大きな戦いだとは思えないかもしれませんが、実にこの南北戦争で60万人が死んでいます。
一方、第二次世界大戦で亡くなったアメリカ人は、40万人です。
アメリカ人同士がお互いに殺し合いをした南北戦争で、史上最大の死者を出しているのです。
ですから、この戦争でものすごく深い亀裂を国内に抱え込んでしまいました。
150年経っても、南北問題というのは消えずに残っているほどの根深い傷を残しました。
このように、アメリカはこの間、外に目を向けるどころではなく、しばらく身動きがとれませんでした。
そのうちに日本の開国のプロセスが済んでしまいます。
幕末の日本は、フランスとイギリスによる奪い合いとなりました。
フランスが幕府の側につく一方、イギリスは薩長の側についていました。
表の歴史は薩長が勝ったということになっています。
つまり、イギリスの勝ちです。
・・つづく・・
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【参考書籍】「太平洋戦争の大嘘」藤井厳喜著(ダイレクト出版)
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