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ポコ流幸福論

人は誰でも幸福に生きたいと願う。

だが、幸福とはいったい何だろう?幸福を定義するのは意外と難しいのである。

ギリシャの哲学者プラトンの答えはシンプルである。彼にとって幸福とは、イデアの世界に秘められた『真善美』を体験することだった。人生は至高の存在と出会うための長い旅である。

現在でも、カルト宗教からエコロジーまで、世俗の文明を拒絶し超越的な価値を求める人々の列は続いている。しかし、その列に並ぼうとは思わない。おそらく私には、それが真実か迷妄か判断できないような気がするのである。

18世紀末のイギリス人ベンサムはこう言った。『幸福とは快楽の充足であり、社会全体の快楽の増大がすなわち善である。』神の無い時代に幸福を定義しようとすると功利主義によって立つしかない。人間が神の玉座を占める社会では法を侵さない限り、欲望を満たすあらゆる行為が許されるのだ。

もっともベンサムは自分勝手なワガママな行動を勧めてるわけではない。人は一人では生きていけない。自分が幸福に生きるためには共に暮らす人たちも幸福になってほしい。夢見る現実主義者ベンサムは、功利主義が共同体への献身につながることを期待していたようだ。

幸福の形にはいろいろあっても『自由』が幸福の条件であることに文句はないであろう。奴隷が幸福になれないのは自由を奪われているからである。私たち人間は自分自身の支配者であり、誰もその権利を侵すことはできないのだ。

ヒトは一匹の動物として生まれ、成長し、老い、死んでいくのである。この世に生を受ける前に親や国や性別などを選択することはできない。ほとんどの日本人は莫大な財政赤字と少子高齢化に悩むこの国とともに21世紀を生きていかなければならない。だとすれば、人生の大半は運命によってあらかじめ決められていると言ってもいいだろう。だからこそヒトは残されたわずかな自由を大切に生きるのだ。

人生を経済的な側面から語るならば、その目的は何ものにも依存せずに自由と家族の生活を守ることのできる経済的独立を達成することにあると言えると思う。

自由とは何か?自由とは人生に複数の選択肢を持つことである。国家であれ会社であれ、経済的に第三者に依存して、そこにしがみつかなければ生きる術が無いのなら、そこから前には進めない。

自由に生きるために一定量の貨幣が必要ならば、自分に与えられた資源を最大限有効活用して、最短距離で目標に到達するべきであり、それで人生はより豊かになるはずである。

自由や富が幸福な人生を約束してくれるわけではない。それは未知の世界を旅する通行証のようなものである。

しかし、いつの日かその通行証を手にして未知の世界の始発駅に立ちたいと、いつも思ってきたし、今も思っている・・

おしまい

ポコ♪🐸🇯🇵🇯🇵🇯🇵

【参考文献】『知的幸福の技術』橘玲著

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