【腹黒い自分】人の失敗を聞いて安心してしまった話
腹黒な自分が見れたので報告します。
今日、私の同期が自分の業務に関する報告会を行っていました。簡単に言うと研究報告会みたいな感じです。
本社の経営陣や、各地方のお偉いさん方がテレビ会議を繋いだりして、発表します。
私はほかの業務があったので見に行けませんでした。
発表が終わったみたいで、同期の課長が席にオフィスに帰ってきました。
パソコン打ちながら耳を傾けていると、
「いや~はじめはよかったんだけど、最後らへん緊張でしどろもどろだったね~。よく頑張っていたけど。めちゃ噛んでたね~」
と言っていました。
(へぇーそうだったんだ。)
と思っていると、自分の中にある感情が沸いたのが分かりました。
(あ、俺安心してる)
自分でも気持ち悪いくらい、ホッとしていました。
もちろん同期のこの体験は失敗ではありませんし、ざまあみろなんて
思っていません。ただ、これから先の文章同期のこの出来事を失敗と書かせてください。(そっちのほうが説明しやすいので)
なぜ、こんな感情が生まれたのか少し客観的に考察してみようと思います。
▶相対的に自分の評価が上がったような気がしたから
人は
他人より優れていたい
という感情が多かれ少なかれ生活の中で発生していると私は思っています。
すぐ年収を比べたがるし、出身大学の偏差値だって比べたがる。
(資本主義社会に生きている以上、競争は仕方のないことですが)
そんな自分の中にある感情が今回の件に関係していると思いました。
例えば、同期の評価が5だとして私の評価も5だとしましょう。
今回、同期の報告があまりうまくいかなかった事で周囲の評価が-1されて同期の評価が4になったとすると、相対的に私の方が評価が高いということになります。
そんな思考が頭の中で生まれていたんじゃないかと思うわけです。
▶失敗していいんだと思ったから
誰しも失敗することは怖いことです。
だって恥ずかしいし、悔しいから。
自分も今月末に社内発表を控えているのですが、自己紹介でもあるように
吃音持ちなので、正直発表が怖いです。
そんな中、今回同期が失敗してくれたことで
(あ、自分も噛んだりどもっていいんだ。だって同期も噛んでたし。)
と心の中で思ったみたいです。
みんなが当たり前にできていると、より緊張感も増すものです。
しかし、誰かが失敗してくれると安心できる。皆さんも心当たりありませんか?
▶人の失敗に安心してはだめなのか?
さて、ここまでは私が同期の失敗に安心した理由を解説してきましたが、
ここからは、そんな感情を抱くことの是非について考えていきます。
人の失敗に安心してはだめなのか
この問いに対して皆さんはどう思いますか?
非常に難しい質問ですが、私がこの問いに答えるなら
ダメではない
です。これの真意は、
人の失敗に安心することはもはや本能に近い部分だと思うので、安心する行為をのものは避けられないと考えています。だからダメではない。
しかし
安心したと気づいたら、そこで手を緩めずに努力を続けること
これが大切だと思います。
要するに、安心して、
(あいつも失敗してるから、そんなに一生懸命頑張らなくてもいいや)
は大間違いだということです。
なぜか?
先ほどの評価の話で説明すると、同期は発表後、評価が4になったが、この失敗を糧に努力し、いつのまにか8くらいの能力まで上がっているかもしれません。
そんななか自分が立ち止まっていると、知らないうちにどんどん離されていきます。
短期的に見ると、自分のほうが優れている位置にいるように思えますが、
長期的に見ると失敗を経験した同期のほうが、3歩進んで2歩下がるを繰り返し成長を続ける可能性があるのです。
逆の立場になって考えると、自分が失敗しても、努力をやめなければ、周りを安心させて自分だけ抜け駆けするチャンスだと捉えることもできます。
(少し安直ですが(笑))
▶まとめ
さて、今回は人の失敗に安心する心理とその是非についてお話してきましたが、いかがでしたか?
まとめると
必ず皆さんも一度は経験したことがあると思うこの感情、比べてしまうことは別に悪いことではないけれど、その感情に傲ってはいけないよ
という話でした。
あと、記事を書いているときにこんな本を見つけたので興味がある方は読んでみてください。
サポートして頂いた8割をマーケティングと、よりよい記事の作成のため、勉強に使わせていただきます。2割を吃音のために使いたいのですが、どこか機関をご存じの方教えていただけると幸いです。