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自身がアダルトチルドレンだと気づいた話その④

子供の頃を振り返るとのあまりに不安定な友人関係が見えてきました。つまり、自分はHSPだけじゃなく、アダルトチルドレンの要素を持っていることが分かってきました。

自分が一番アダルトチルドレン度合いの強かったエピソードを書きます。今回はピアノ教室での話です。

私の中でも負の記憶、負の気持ちが強いです。今思うとこの事項はアダルトチルドレンが原因だと思います。


私は自分がやりたいものを察して欲しいと思っていた。大人になるまで親以外には言えなかった。

例えばピアノ教室での話だ。弾きたい曲を聞かれても、一切口から出せないのだ。では弾きたい曲があるけど、言えなかった。

高校生くらいまで先生に当てて欲しいと毎回思っていた。

私は7歳の頃からピアノ教室に通い始めた。友達が習っているのもあり、親に「やりたい」とお願いをしてピアノを習い始めた。

私が通っていた所は担当の先生が若い女性が多く、結婚や引っ越しで先生が頻繁に変わっていた。

それもあり、先生との関係性が築けず、関係が出来た頃にお別れを繰り返していた。ここでの関係性も非常に不安定な状況だった。

だからなおさら「◯◯ちゃんはどうゆう曲が弾きたい?」と聞かれて、答えを持っていても言えなかった。言えたのは13年習った中でわずか10回にも満たないだろう。

発表会だけは高校生くらいでやっとやりたい曲を弾いていた。しかし、先生が選んだ曲の選択肢から選ぶことが多かった。

「この曲がやりたい」と言えたことは20回以上発表会に出てたった数曲。練習曲では殆んど言えなかった。

その結果、私は昔からある子供のピアノの基本でよくあるバイエルを習っていない。先生が好みじゃなかったのか分からないが、全然知らない分からない曲ばかりだった。

だから他の友達が弾ける有名な曲が殆んど弾けなかった。やりたい教本も聞かれたが、ここでも言うことは出来なかった。

だから、先生から言われたやりたくない曲の練習をすることになる。なので、練習が嫌になり、練習をしなくなる。やりたくないが学校と一緒で通い続けるの超悪循環だった。

練習をしないで行ったこともある。最後の方は眠すぎて殆んど練習もして行かないような状況でも行った。誰に強制された訳でもないのに。

大学が遠方で朝バイトと日々の学校の往復で身体が限界に達するまでピアノを辞めれなかった。今度は自分で辞め時が分からなくなっていた。

しかも、一度高校生3年生受験でピアノを辞めているのに、受験終わった再開し、大学2年生位まで無理無理通っていた。

確かに一旦辞めた高校生の時にまだ続けたい感覚はゼロではなかったが、全く練習をしないみたいなピアノの先生に反抗する態度をしてまでやってたのは本当に何だったんだろうと思う。

そのせいもあり、ピアノが嫌いになってしまった。目も悪くなりメガネかけても細い楽譜が読めないことも一因ではあるが。

本当の理由は弾きたい曲が弾けない時期が長すぎてピアノを嫌いになっていた。なのに行き続けたから精神的にもっと嫌いになってしまったことが大きいと思う。

大学生の時最後の最後でやりたい曲を先生に言った。しかし、難しい曲でもあり、すでにやる気と日々の通学等で体力を失っていた自分にはもう出来なかった。

ピアノの音自体は好きだし今は私の家にピアノがある。実家がリフォームでその際にハッキリいらないとは言えなかった。

だけど、いつかまた弾きたい気持ちも残っていた。手放したら楽になるかもしれないけど、手放せないでいる。

家のピアノは1年に数回突発的に触る程度にはなっている。ピアノの音は私にとって癒される。だけど、昔のせいで弾きたくない。

完全にこじらせている。いつか簡単な曲でも弾くことで自分を癒していけるようになりたい。

まだ、ピアノ教室の傷は癒えていない。書きながら涙が出て来る。

家にピアノ無ければ過去の辛い話で終われる。だけどまだ処分はしたくない。だけどピアノがあるのが辛い時もある。

自分が欲しくて親にピアノ買ってもらったのに、放置している自分は嫌になる。やはり高い物だし親に申し訳なくも思う。

ピアノが嫌なままな自分でいたくないとはっきり思っている。ただ、まだ頻繁に触れるとピアノ教室を思い出すので触れたくない。

今もピアノ教室に遅刻していく夢をたまに見る。実際に最後の方は間に合わないことが多かったので、実体験が甦る。それもまた辛い。

辛い理由は先生に迷惑をかけたと自責の念があるからだ。辞める直前は練習不足と睡眠不足で私は明らかに良い生徒ではなかった。

このピアノ教室の話で、さらに自分はアダルトチルドレンだと自覚した。

その5に続く

お待たせいたしました。
次回からアダルトチルドレンの背景に迫ります。

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