見出し画像

自身がアダルトチルドレンだと気づいた話その⑤

自分の友人関係、そしてピアノ教室での話。どれも苦しく、辛いそして悲しい思いをしてきました。

その苦しさはHSP気質よりも、むしろアダルトチルドレンが原因だとハッキリ自覚しました。今回はそのアダルトチルドレンの原因になった話を書きます。きょうだいの話です。


私には歳が近いきょうだいがいる。きょうだいは小さい頃は心身元気だった。不器用なお姉ちゃんを見ているので、悔しいが割りと何でも器用にこなせた。

私と違い、動きも素早い。活発すぎる程に自分のやりたいように動き回っていた。幼稚園の時も、お友達と遊び、自分の家の中や親戚の家にでは自分のしたいままに動いていた。

私の記憶だが、きょうだいは高学年になるまではわりと気ままに友達と動いて遊び回っていたと思う。

小学校の先生からも、「良い意味で人並みにズルさもあり、器用にやれている」と言われていた。なので、不器用で心配な私に比べ、「あの子は大丈夫」と母も私も思っていた。

ところが、普通に過ごしていたと思われたきょうだいが高学年になると、急に人と上手くいかなくなった。

私と違い、言いたいことはズバズバ言う。明るく、ひょうきんでいつも動き回っている子が変わっていった。体型も変わり、表情も暗くなった。

写真を見ても、別人みたいだ。新しい友達と喧嘩してはよく泣いて家に帰って来ていたのを覚えている。

真相は本人しか分からない。だが、母が言うには恐らく「1番よく遊んだ友達と、2番目の友達の引っ越しがきっかけだと思う」ということらしい。

言いたいことをズバっと言えて外で遊べる友達が周りからいなくなったのだ。

高学年になるにつれ、段々周りは成長し、静かに室内で遊ぶようになっていた。しかし、きょうだいは違ったようだ。

それで、友達の家に行っても上手くいかず、途中で泣いて帰ってくる。家に入るまではこらえていたようだった。

しかし、帰ってきた途端にギャン泣きが始まる。泣く力が無くなるまで力の限り泣き続ける。母が声を落とすよう何度も注意しても治らない。

成長してもあまり変わらない。そのうちに家族は諦めることにした。対処のしようがなかった。

そのような日々が続くようになり、やがて私と母の「きょうだいについて」の談義が始まることになる。

これは母から持ちかけたのではない。HSP気質を持つ私自身が母ときょうだいが気になって自然に始まったことだ。その談義は30年以上、そして今も続いている。

何故私自身が子供の頃から母とこんなに長い間談義をする必要があったのか。

それは私も母もきょうだいの言動・行動が理解出来ず困っていたからだ。

今思うとだが、きょうだいは自分が上手くいかない、自分の思っていた通りにいかないと激高する。かんしゃくを起こしていた。思春期は特に激しかった。

それが本人のタイミングで突然来るもんだから私はびっくりする。だけど、もうそれが当たり前の環境だったので、何も感じなくなっていた。

きょうだいは中学でスポーツの部活に入った。しかし、人間関係上手くいかず続けられなかった。スポーツでイライラを発散する機会も奪われた。

別の部活とはいかない。一旦傷ついた心は戻らない。きょうだいは私よりもさらに繊細な心の持ち主だったのだ。ガラスのハート。

傷ついたら何年もずっとそのまま。さらに傷が上乗せされていく。なかなか更新されない。

私も繊細だが、決定的な違いがあった。きょうだいは物事を全て自分目線で考えていること。これは私が30年近く考え続け、やっと最近分かってきた。母もそうだと言っていた。

よく昔国語のテストて「筆者の気持ちなんて分からない!!!」と言っていた。

このように私は小学生から結婚するまでは常に、結婚してからは薄く、長い間きょうだいのことを考えてきた。だから、いつの間にか私はお姉さんを超えてお母さんになっていた。

それは、昔本人に「頼りないから姉として見れない」と言われたのもあり、頑張ったのかもしれない。

ちなみにきょうだいは母のことも認めていない。自分が思う母親ではないらしい。だから母も相当傷ついていた。

母の行動に納得いかないもんだから怒鳴る。だから私は母が可哀想で放って置けなかったのだ。

きょうだいはとても根は優しい。どこかに出かけると必ずみんなのお土産を買ってきてくれる。

料理も得意で裁縫も上手い。マッサージも上手い。何でも調べる、情報量、質ともに私よりも上手だ。自分が興味を持ったことは高める為どれも技術が高い。

私はその技術面の恩恵は受けている。その面ではとてもお世話になっている。

ただ、物事をハッキリ言う。どんな時も。だから、昔の私はきょうだいから喧嘩を売られているようにしか感じなかった。喧嘩は数え切れない。

仲良く出かけても最後まで一緒に帰れない。言い方がキツ過ぎて私が堪えきれず、「カチン」と来てしまうからだ。他のソフトな言い方をすれば恐らく喧嘩にならなかっただろう。

私はHSPで平和主義、どちらかと言うと温厚なタイプで殆んどキレない。しかし、きょうだいの発言はキレてしまっていた。

その6最終話につづく




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?