白龍神と満開の桜
大昔のお話しです。
ある村に、白龍の女の神さまがいました。その神様は、天界の命令で違う村から、この村へ移転したばかりでした。
今は春。花が咲き誇るきれいな季節でした。
その神様の名前は、汀(みぎわ)。もう、500年以上も生きている。
白い肌に、長い白髪。頭の後ろに髪を紅い紐で結んだ、美しい神様。
汀は毎日、村人が祠にお供えしてくれる供物を嬉しそうに食べては、村人を守るために、力を使っていました。
穏やかで小さな村。汀は、まだ来て日の浅いこの村がすぐに好きになりました。
時は流れて、秋になりました。
村はこの時期、作物の収穫をお祝いする祭りを開きます。
米、果物、穀物などがどっさり供物として捧げられる。そして、もう一つ、供物として捧げられるのが、生きた人間でした。
汀の様な神様は、人間も食べます。
「今日の人間は、どんな味をしているかしら…不味かったら嫌だな……その時はお返ししよう…」
汀は、そんなことを独り言のように呟き、人間の供物が捧げられるお堂へと向かいました。
夜中の2時、辺りは暗闇に包まれ静寂そのもの。汀はお堂の壁をすり抜けて中に入いりました。
お堂に入ると、男性が一人、床にそのまま横になって寝ているのが見えました。
(…この人が、今回の祭りの供物として出されたのね……まだ、若いようだけど)
汀が男性のそばまで歩いて行くと、その寝顔は幼く見えました。
(この村で初めて食べる人間……今まで何人食べてきたか忘れてしまったけど……久々のご馳走……)
汀は微笑んで、男性を起こしました。
「村人さん、起きて…」
肩を軽く揺らしてみると、男性は眠たげな目を半開きで、汀を見上げました。
「……うー…ん………え……だれ…ですか?」
「私はここの村の守り神よ、あなたを食べに来たの、起きてちょうだい」
「え……っ!」
男性はいきなり飛び起きて、汀の前に正座をした。
「す…すみません……!! 神様に起こしてもらうなんて……失礼しました!」
男性は、驚くくらいの大声で汀に謝り、頭を床に付けました。
汀もその行動に呆気にとられたが、その行動が何とも可笑しく、笑ってしまった。
「ふふふ、面白い人ね。寝てたくらいじゃ何とも思わないわ。………あなたが今年捧げられた人間ね」
「はい、そうです」
男性は20代半ば、素直で素朴に見えた。
「では、神の領域に行きます、私の手を取って…」
汀はそう言って、男性に自分の右手を差し出しました。
男性も素直に手を取ったその瞬間、ぱっと白い光が辺りを照らし、二人を消しました。
「大丈夫?」
汀が男性の顔を覗き込んだ。
「あっ!すみません……!」
男性は、声をかけられるまで、ぎゅっと目を瞑り、汀の右手を握っていました。
「……ここは……?」
男性は、辺りを見回し汀に問いかけます。
「ここは、神の領域。ここであなたをいただくの」
淡い光で満ちた何もない空間。男性は、興味深く辺りを見回している。
「ふふ、本当に面白い人ね。何もないところなのに、そんなに興味深い?」
「あ…すみません……とてもきれいなところだと思って……
こんなところで最期を迎えられるなら、幸せです」
男性はそう言って微笑みました。
(…幸せ……そんな言葉を言った人間は初めてだわ……なぜだろう……なぜか心が、ざわつく)
汀は、今まで人間を供物で食べてきましたが、このような気持ちは初めてでした。
「…そう、幸せなら良かった………
ねぇ、なぜあなたが今回の供物になったの?」
汀も、自分の言動に驚きました。
今までだったら聞かなかった内容を人間に聞いていたからです。
男性は、躊躇することもなく答えました。
「私は…、心臓を病んでいます……
神様の捧げものにしたら申し訳ないのかもしれませんが………私は、他の村人よりも働けません…すぐに身体は疲れてしまい、動けなくなってしまう……皆の役に立つために何かないかと思ったら、供物しかありませんでした…」
男性は苦笑交じりに話をしました。
汀は、そんな男性の言葉と表情に、今まで感じたことのない、痛みの様なものも味わいました。
「………そう。心臓を……」
「あ!心臓が病んでいる人間は、食べられませんか!?」
男性はあたふたしながら、汀を泣きそうな目で見ている。そのころころ変わる表情が汀を和ませました。
「大丈夫、食べられるわ……私たち神は、人間の外側の肉を食べるのではなく、今まで生きてきた内面を食べるのよ」
「内面……?」
「そう…、どんな生き方をしてきたかで、味がわかるの。あなたは……心がきれいで、一生懸命生きてきた人だから、きっと美味しいと思う」
汀は、少し目を伏せて話をしました。
人間をいただく前に、こんな話しをしたことがなかったのです。
戸惑っている汀に男性が言いました。
「嬉しいです!神様からそんなふうに褒められたら、もう思い残すことはありません。病気の私でも、役に立つことができて本当に良かった……
神様から褒められたこと、私はずっと忘れません!」
汀に向けられる、泣きたくなるほどの笑顔。その顔は、春の満開の桜を思わせました。
(……あぁ、神として生まれたことを、今日ほど疎ましく思ったことはない)